別に引きこもりということではなかったんだけど、
家に帰るといつも部屋の中に閉じこもっていましたね。
そこで何をやっていたのかというと、
レコードを聴いたり、ギターを弾いたり、
作曲をしたり、詩を書いたり、
ギターとか作曲だとかは少し遠ざかっているものの、
基本的に今と変わらぬことをやっていたんです。
ま、詩に関しては今と内容が全然違ってましてね、
愛やら恋やらといった、
当時としてはこっぱずかしい言葉を、
コロコロ、コロコロ転がしていたものです。
好きなアーティストは吉田拓郎でした。
その前の年の末に出た『LIVE'73』に、
頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
その時、これから日本の音楽は
こういう路線になっていくんだろうな、
なんて思ったものです。
結局そうなってしまいましたね。
いやいや、その年のレコード大賞が
『襟裳岬』だったということとは
まったく関係ありません。
勉強はほとんどしてないです。
だから各教科欠点ぎりぎりでしたね。
進学校だったのに、
よく留年せずに卒業できたものだと、
今更ながら感心しております。
あっ、そうだ。
国語だけはよかったな。
おそらくは愛やら恋やらといった
こっぱずかしい言葉を
転がしていたおかげだと思います。
好きな人ですか、
やっぱりそういうことを聞くんですね。
はいはい、ちゃんといましたよ。
だからその時詩人になれたんです。
愛やら恋やらが書けたんです。
ま、片思いでしたけどね。
けっこう心悩ましていたんだけど、
今となってはそれでよかったと思っています。
結局男女の仲なんて縁が一番大切なわけですよ。
いくら「いい女」の電波を感じても、
「未来」の電波を受け取れなければうまくいかない、
ということです。
つまり彼女に『赤いエプロン』を
見つけることができなかったということです。