そこで知ったのが、姓名判断だった。
これはけっこう深く研究したものだ。
その甲斐あって、最終的にはネーミングまでやることができるようになった。
何度か赤ちゃんの命名を頼まれたりしたが、その時付けた名前がよかったのか、いまだに感謝されている。
しかし、名前というものは、あくまでも人為的なものである。
人為的なものでは、人の持っている先天的な『運』まではわからない。
まあ、そういう名前になるようになっていたと捉えれば、先天的でないことはないのだが…。
ちょうど姓名判断の限界を悟った頃だったろうか、三国志を読んでいて、すごい占いがあるのを知った。
あの諸葛孔明が活用していた占いで、性格や運だけでなく死期までわかるというのだ。
「これだ!」と思ったぼくは、さっそくその関係の本を漁りに、本屋へと向かった。
それは四柱推命という占いだった。
生年月日時で占うもので、その組み合わせは60の4乗というから、何と1296万通りの型があるわけである。
12通りの型しかない星占いや、わずか4種類の型で分ける血液型占いとはスケールが違う。
本屋にはいろいろな四柱推命の本が並んでいた。
が、けっこう難しいものばかりだ。
とりあえず簡単な入門書を選び、それで基本を学ぶことにした。
ところが、その本はかなりいい加減な本で、そこに書かれていたぼくの性格は、まったく違うものだった。
悪いことを書かれていても、心当たりがあれば納得することも出来るのだが、心当たりのないことが綿々と書かれている。
おまけに初年運のところには、「父親の恩恵を受けて、ぬくぬくと育ってきた」などと書いてある。
冗談ではない。
ぼくの父親は、ぼくが3つの時に死んでいるのだ。
遺産があったわけでもなく、どう考えても父親の恩恵を受けたとは思えない。
しかもその本では、星占いのように12通りの型に当てはめ、それで占うようになっていた。
これではせっかくの1296万通りも役に立たないではないか。
ということで、その内容に嫌気がさしたぼくは、その時点でその本を捨て、同時に四柱推命も諦めた。
それからまたいろいろな占いを探し回ったが、どれも自分を納得させるものはなかった。
ということで、結局自分の持っている『運』がわからないまま、ぼくは社会に出たのだった。
社会に出てから、相変わらず姓名判断はやっていたものの、占いというもの、いや『運』という言葉から遠ざかっていた。
その間、昇進したり、左遷の憂き目にあったり、転職をしたりと、まあ普通のサラリーマン人生を歩いていたわけだ。
しかし、何か違う。
何か物足りない。
それは、そこに『運』を感じないことへのいらだちだった。
再び『運』を探す旅が始まった。
またいろいろな占いを研究するようになるのだが、最終的に行き着いたのは、若い頃に諦めたはずの四柱推命だった。
最初に諦めた時から、もう20年近い年月が流れていた。
そのため、自分の人生の資料も充分に用意できていた。
そこで、それまでの人生に起きたことを、四柱推命にいちいち当てはめてみた。
「すごい!」の一言だった。
どういう時に自分が強くなれて、どういう時に自分が弱くなるのかが、的確にわかるのだ。
そして、自分の持っている『運』も知ることができた。
もしあの時四柱推命を諦めずに、しっかりと研究していたら、『運』活用することも出来、もう少し違った人生を歩めたかもしれない。
しかし、それをさせなかったのは、ぼくの『運』であった。
どうもぼくは、先頭切って積極的に走っていくよりも、何ごとも人より遅れてスタートしたほうがいい『運』を手に入れることができるようなのだ。
だから花咲くのは、人生の後半なのである。
人生の後半か、そろそろその時期にさしかかっている。
…と思いたい。