吹く風

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『長い浪人時代』

最近エッセイの編集をしているのだが、その最中にあることを思い出した。
それは、かつてぼくのエッセイを読んだ人から、よく言われていたことで、「『長い浪人時代』の続きは書かんとか?」である。
その頃は、ぼくも、「今、構想中だから、もう少し待ってくれ」と言っていたが、そのうち忘れていった。

実はその『長い浪人時代』は、このサイトを始める前に書いたものだ。
1976年から1981年まで、ぼくが浪人をしていた頃のことを書こうと思って始めたものだが、それが二部で終わったままになっているのだ。
その頃は、近いうちに書こうと思っていたのだが、この日記を書くようになってからは、そちらに時間をとられるようになってしまい、そのためいまだに手つかずになっているのだ。

しかし、何も書いてないのではない。
ちゃんとこの日記の中で、断片的にその当時を回顧したものは書いている。
ただそれを体系付けてないだけの話である。

せっかく書き始めたものだから、最後まで書きあげたい気持ちはある。
しかし、4年以上も前に書いていたものだから、どういうふうに文章を繋いで、どういう流れで持っていったらいいのかがわからない。
とりあえず、エッセイは1977年10月で終わっているのだから、そこからのことを書いていけばいいのだが、4年前と今では、その記憶の量が違う。
何よりも重大な問題は、その時期に書いていたノートが手元にないということだ。

実は、その『長い浪人時代』の時期の後半、ぼくは東京に出るのだが、その東京時代の最後、仲の良かった人に餞別代わりと言って、気前よくそのノートをあげてしまったのだ。
その時は、その元となった下書きのノートが実家にあるので、それを編集すればいいと思っていた。
ところが、こちらに帰ってきてから、しばらくしてその下書きノートを探してみたのだが、見あたらない。
母に「あのノートどこにやった?」と聞いてみると、「あんたが東京に行っとる間に、汚いものは全部捨てたよ」と言うのだ。
結局、その下書きノートの、さらに元となったメモ用紙が何枚かが手元に残っただけだった。
そのノートに書いている詩の中には活字にものもあったのに、そういうものがすべて闇に葬られてしまったわけだ。

さて、そういうこともあって、その『長い浪人時代』の続きが書けないでいるのだが、今書いておかないと、後日回しにしてしまうと、さらに記憶は薄れていく。
そういうわけで、近日、その続きを書くことにします。