1968年、花の小学5年生。
『亜麻色の髪の乙女』が流行っていた頃に、ぼくは小学5年生になった。
3年4年と歳を増すごとに、ぼくは悪ガキになっていった。
4年生まではまともにやっていた宿題も、この頃からやらなくなっていった。
それから高校を卒業するまで、ぼくはまともに宿題をしていったことはない。
授業態度も不真面目で、しょっちゅう廊下に立たされていた。
ある日、友人と廊下に立たされている時だった。
北の空に光る物体が見えた。
友人に「おい、今の見たか?」と聞くと、「おう、見た見た」と言う。
「あれは何かのう」
「うーん?」
「あれは円盤やろ」
「そうかのう。飛行機やなかったか」
「円盤っちゃ。それでいいやないか」
ということで、授業が終わった後クラスの連中に「おれたち、さっき空飛ぶ円盤見た」と触れ回った。
「ホントかっ!?」
みんなうらやましがっていた。
しかし、そのことが先生の耳に入り、またもやぼくは叱られることになった。
「しんた君は、廊下に立たされとる間、なぜ自分が立たされたのかと反省せんかったんかねえ?」
「いや、反省してました」
「嘘ついても、わかるんやけね。反省してたのに、どうして円盤なんか見る暇があるんね」
そう言って、先生はぼくの頭を叩いた。
しかしぼくは「確かに見ました」と言い張っていた。
掃除当番もまともにしなかった。
ぼくたちが一番楽しみにしていたのは、月に一度回ってくる便所掃除だった。
そこは、唯一先生の目が届かない場所だった。
もちろん、掃除はせずに、ホースやバケツで水遊びをしていた。
壁に水をかけ、便器に水をかけ、最後は天井に水をかけて、トイレ内を水浸しにして終わっていた。
いつも他のクラスの生徒から、「お前たちが掃除した後、いつも天井から水が落ちてくる」とクレームが付いていた。
しかし、ぼくたちは悪びれもせず、「それだけ真面目に掃除しよるということやろ」とやり返していた。
その頃のぼくは露出狂だった。
当時はまだ水泳の時間でも、女子といっしょに着替えをしていた。
ぼくは最初の頃こそバスタオルを腰に巻いて着替えていたのだが、だんだんそれが面倒になり、ついに「勇気ある者」と言いながらタオルをつけずに着替えてしまった。
それが受けた。
そのうち、男子のリクエストに応え、教壇の上に立って着替えるようになった。
さすがに女子は顔を覆っていたが、中にはしっかり見る者もいた。
そういうことをやったのは、その年が最初で最後だった。
さすがに6年生になったら、恥じらいも出てきたのだ。
その6年生の時も、5年生時代の延長だった。
クラスが変わらなかったので、やることは同じだった。
それにしても、ある面まとまりがよく、ぼくにとっては居心地のいい楽しいクラスだった。
よく叱られてはいたが、先生もいい先生だった。
それから数年後、先生にバイトでお世話になることになる。
1970年3月、小学校卒業。