いよいよ、最後の日になった。
ぼくは各社員に挨拶をすませ、最後に店長のところに行った。
「お世話になりました」
「あ?おれは前に言うたのう、義務を果たせと。まだ報告書を、おれはもらってないぞ」
すでに報告書は出来ていたのだが、ぼくはわざとその日まで出さなかった。
再棚卸の結果は、ぼくの予測どおり思わしくなかったらしい。
店長は焦っていただろう。
それがぼくの狙いだった。
「じゃあ、後で持ってきます」
そう言ってぼくは事務所を出た。
その後売場に戻ったぼくは、部下とバカ話をしていた。
そうこうするうちに午後9時を過ぎたので、ぼくは部下を帰らせた。
店長はぼくの報告書をずっと待っている。
しかし、ぼくはまだ提出しないでいた。
一人で残務整理をしていると、バカチョーが「しんたー」と大声を上げてやってきた。
「何ですか?」
「報告書はまだか。店長待っとるぞ」
「そうですか。あと少しで出来ますから、もう少し待ってくれと伝えて下さい」
「早くしろ!」
それから30分ほどして、またバカチョーがやってきた。
「おい、まだか!?」
「もう少しでーす」
「もう帰るぞ!」
「課長は帰ったらいいやないですか」
「そういうわけもいかん」
「じゃあ、もう少しお待ちください」
10時を過ぎた。
ぼくは用意していた報告書を袋の中から取り出した。
そして、事務所に向かった。
事務所では店長とバカチョー、それに事務所の責任者がいた。
「持ってきたやろうのう」と店長が言った。
「はい、これです。これだけ書けば、充分でしょう」と、ぼくは20枚以上に及んだ報告書を手渡した。
これがぼくの最後の仕事になった。
平成3年10月31日、ぼくは10年8ヶ月働いた会社を後にした。
悲しくもなかった。
辛くもなかった。
感傷に浸ることもなかった。
10年を振り返りもしなかった。
「ああ、やっと終わった」
ただ、それだけだった。
ところで、ぼくは一つ手を打っていたことがある。
それは些細なことだった。
だが、後にそれが波紋を呼ぶことになる。
辞表のことである。
通常辞表というのは、お伺いを立てるという意味で、形の上では「退職願」と書いて出すものである。
しかし、ぼくはそう書かなかった。
「退職届」と書いて出したのだ。
内容も「いついつをもちまして、退職します」という宣言文にした。
辞表を提出して2週間後、それは本社の社長の机の上に置かれていた。
その辞表が常軌を逸していたものだったので、本社の幹部連中が「これはおかしい」と思い、調査に乗り出した。
ぼくにも調査のための電話が入った。
商品部の課長からだった。
「しんた君、辞めるらしいねえ」
「はい、いろいろお世話になりました」
「どうして辞めるんかなあ。理由があったら教えてくれんかねえ」
これは調査だ、とぼくは思った。
そして、わざとぼくは「いやあ、課長が期待しているような理由はありませんよ」と答えた。
「いや、正直に言ってくれていいんだよ。参考にしたいだけだから」
「本当です。そういう理由じゃありませんって」
「じゃあ、どうして辞めるん?」
「やりたいことがあるからです」
「やりたいこと?何だろう?」
ぼくは、「歌手になりたいんですよ。ハハハ」と答えておいた。
「課長の期待している理由」とは、つまり、店長のことである。
4月に新店長として就任して以来、何人もの人が会社を辞めている。
それに加えて今回のぼくの「退職届」である。
いよいよ店長の管理能力が問われだしたのだ。
調査の電話でこういう受け答えをされると、かえって「怪しい」と思うものである。
ついに取締役たちも動き出した。
11月、ぼくが会社に行かなくなってからのことだが、ぼくのことを知っている何人かの取締役から、残留組の10年生に電話が入ったという。
「しんちゃん、辞めたらしいなあ」
「はい」
「何かあったんか?」
「さあ?」
「店長か、問題は」
「よくわかりません」
「そうか・・」
ぼくが辞めた後も、何人かの社員が辞めた。
これで、店長の管理能力のなさが決定的なものになった。
翌年の3月、店長は閑職に追いやられた。
それから現在まで、彼は日の当たらない場所にいるという。
あの「退職届」こそが、ぼくの店長に対する反撃ののろしであった。
(完)