幼い頃、ぼくは便秘症だった。
これは決して体質的なものではなくて、ウンチをするのが面倒臭くて、便秘の習慣がついたものだと思う。
便秘になると、ぼくはいつも『サラリン錠』という便秘薬を服用していた。
この薬を飲んでいた理由は、糖衣錠なので飲みやすかったからである。
さて、ある日のこと、いつものように便秘になり、いつものように『サラリン錠』を飲んでいる時のこと、ぼくは何を思ったか、『サラリン錠』を噛み砕いてしまった。
そのとたん、口の中一杯に広がる苦味、この世のものではなかった。
気分が悪くなり、吐いたほどだった。
しかし、それが良かったのか悪かったのか、それ以来ぼくはどんな薬を飲んでも、「苦い!」とは感じなくなった。
ぼくが小学3年の時の話。
夏休みに家族で、宗像の神湊(こうのみなと)という所に、泊りがけで遊びに行ったことがある。
ここは玄界灘に面したところで、海水浴が出来、玄界灘の新鮮な魚を食べられることで有名な場所である。
神湊は、うちから車で30分ほどで行ける近場だが、その当時はうちに車がなかったので、バスや汽車を乗り継いで行かなければならなかった。
しかし、乗り継ぎとなると、連絡の関係もあり、片道2時間以上かかるため、日帰りだとちょっときつい。
ということで、泊りがけということになったのだ。
宿は親の勤めの関係で、八幡製鉄の保養所を利用した。
かつてぼくのうちは、旅行とはまったく縁がないうちだった。
ぼくが小学生の頃に行った旅行は、この小旅行と、同じ3年生の頃に名古屋の叔父の結婚式に行ったくらいしかない。
したがって、あまり旅行慣れしてなかった。
旅行用のタオル、旅行用の石鹸、旅行用の歯磨きセット、すべて真新しいものばかりだ。
この真新しさが悲劇を呼んだ。
夜が明けた頃だった。
母親が、突然「あー!」と大声を出した。
どうしたんだろうと、起きてみると、洗面所のところで立ちすくんでいる。
「どうしたんね?」
「歯磨きと間違えて、ムヒで歯を磨いた」
「ええっ!?」
かなり苦かったようだ。
母は歯を磨こうとして、無意識に使い慣れた容器に手を伸ばしたということだった。
真新しい歯磨き粉は、見慣れない容器に入っているため、潜在意識が判断できなかったのだろう。
その朝、新鮮な魚を使った朝食が出たのだが、味などなかったに違いない。
魚とムヒの混ざった味、想像しただけでも気持ち悪い。
ぼくが19歳の春のことだった。
その頃、ぼくは大学受験が終わり、なんとなくボーっとしていた。
そういう時に、名古屋の叔父がやってきた。
叔父は、当時長距離トラックの運転手をやっており、熊本に荷物を届ける途中に寄ったということだった。
母が「一人で行くと?」と聞いた。
叔父は「そうだけど。あ、しんたも連れて行ってやろうか?」と言った。
受験勉強疲れもあったし、気分転換の意味で、熊本に連れて行ってもらうことにした。
夜中に家を出て、翌朝熊本に着いた。
荷物はドラム缶だった。
トラック一杯に積み込んだドラム缶をそこに降ろし、次に向かったところは大牟田だった。
今度は集荷があるというのだ。
大牟田で積み込んだのは、カーボンだった。
これをトラック一杯に積み込む作業は辛かった。
カーボンはセメント袋のようなものに入っていたが、持ってみると、これが実に持ちにくい。
おまけに雨も降り出したので、手がすべる。
また、カーボンは粉なので、ちょっとした刺激で空中に飛び散る。
そのたびに、黒いカーボンを鼻から吸い込むことになる。
積み込みが終わって鏡を見ると、顔は真っ黒だった。
さらに口の中を見ると、舌も真っ黒になっていた。
工場の人が、風呂に入っていったらいい、と言うので、お言葉に甘えて風呂に入らせてもらうことにした。
顔や手に付いたカーボンは、比較的楽に落ちた。
問題は、舌に付いたカーボンである。
うがいしても、指でこすっても、容易には落ちない。
もちろん、歯磨きなどは持ってきてない。
そこで、石鹸で洗うことにした。
鏡の前で、舌をダラーっと伸ばし、石鹸をつけた。
最初は何も感じなかったが、だんだん苦味が広がってきた。
『サラリン錠』の比ではない。
おまけに、その石鹸は匂いつきの石鹸だったため、その臭いまでが口の中に広がる。
慌てて、口をゆすいだ。
しかし、苦味と石鹸臭は口の中に残ったままだった。
家に帰ってから、歯磨き粉で口の中を洗ったが、容易には取れなかった。
口を閉じると苦味が走り、息をすると石鹸の匂いが漂う。
2,3日この状態が続いた。
今でもその石鹸の匂いがすると、吐き気がする。