吹く風

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

学芸会

毎年この時期になると、学芸会のことを思い出す。
現在こちらの学校では学芸会を2学期にやっているが、ぼくたちの時代は、運動会は2学期、学芸会は3学期と相場が決まっていた。
講堂に漂うナフタリンの匂いが、今でも懐かしい。

ぼくは小学校の学芸会で、六回のうち四回、器楽合奏に参加した。
担当はハーモニカである。
ぼくはおじの影響で、物心ついた時にはすでにハーモニカを吹いていた。
当時流行っていたカントリー&ウェスタンを、よく吹いていたそうだ。
そのおかげで、保育園や小学校の時、ハーモニカだけは誰にも負けなかった、と思う。
小学生の頃の音楽の成績はいつも4であった。
歌は真面目に歌わなかったし、他の教材であるたて笛がそれほど得意ではなかったので、おそらくハーモニカの腕が評価されての成績だったのだろう。

さて、学芸会においてハーモニカというのは、ピアノや大太鼓・小太鼓などに比べると目立たない存在である。
しかしぼくは、たて笛よりはいいと思っていた。
その時の写真が残っているが、たて笛を吹いている奴は、表情が実に暗い。
顔を下に向け、唇をとがらせて笛をくわえ、上目づかいで指揮者を見ているのだ。
それに比べると、ハーモニカを吹いているぼくたちは、ひじを張って明るい表情をしている。
たて笛が得意じゃなくて本当によかった、と今でも思っている。

ところで、残りの二回の学芸会では何をやったのかというと、合唱と劇である。
合唱は二年の時、劇は四年の時だった。
合唱をやったのには理由がある。
実は、最初ぼくは「踊り」に回されていたのだ。
初めての練習の時、先生がどんな踊りをやるかの説明をした。
それは、創作ダンスのようなものだった。
説明が終わり、先生が「じゃあ、基本の練習をしましょう」と言った。
基本の練習とは、なんと「スキップ」なのである。
その日の練習時間は一時間であった。
ぼくたちは一時間、バカみたいに笑顔でスキップをやらされていた。
「こんな女々しいこと誰がするか!」と思い、ぼくは練習が終わってから先生にかけあった。
ぼくが「踊りは嫌ですから、代えて下さい」と言うと、先生は「踊りのどこが嫌なんね。楽しいやろう」と言った。
ぼくがしつこく「代えてくれ」と言ったので、先生もあきらめたのか「じゃあ、何がしたいんね?」と聴いてきた。
「ハーモニカがしたいです」
「器楽はいっぱいやけ、だめ」
「じゃあ、歌でいいです」
ということで、合唱に変えてもらった。
このことがあったからだと思うが、なぜかぼくは踊りが嫌いになった。
後年、ディスコに行っても、飲むだけで踊らなかったのは、この一時間のスキップが影響している、と思っている。

もう一方の劇のほうは、自分から志願したのである。
三年の時、ぼくは同学年の劇を見て「劇のほうが目立つやん」と思っていた。
四年の学芸会の種目分けの時、先生が「劇に出たい人」と言ったので、ぼくはすかさず手を上げた。
難なく劇に決まった。
その年の四年生の劇は「彦市とんち話」であった。
練習初日に、オーディションのようなものがあった。
これで役を決めるのだ。
が、役は最初から決まっていたのだと思う。
いい役に選ばれたメンバーを見てみると、PTAの役員の子供か成績の良い生徒ばかりだったのだ。
子供心に嫌な気がしたものだ。
ぼくに与えられた役は、「その他のたぬき」だった。
セリフも、たぬき全員で「彦市どーん」と言うだけだった。
これを言うだけのために、何日も練習したわけである。

さすがに5年生からは本業(?)に戻った。
ハーモニカ担当は10人ほどいたのだが、ソロパートを吹く3人の中に選ばれた。
やはり自分に自信があったからだと思うが、緊張もしなかった。
たぬきの時は「彦市どーん」一つに、なぜか緊張したものだった。
もしかしたら、今でも人前で「彦市どーん」とは言えないかもしれない。
今度試しに、店に来たお客さんの前で言ってみようか。
しかし、その時は違った意味で緊張するだろうなあ。