吹く風

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

明太子

ここ何ヶ月か、休みの日の朝食にはいつも明太子を食べている。
これほど、ご飯がおいしく感じられる食べ物はない。
朝食といえば納豆が一般的だろうが、あれは面倒くさい。
とくにぼくは、納豆をムキになってかき混ぜるので、腱鞘炎になりかねない。
ノリの佃煮も確かにおいしいのだが、歯ごたえの点で明太子に遠く及ばない。
あの「プチ」感がたまらなくいい。
以前読んだ「博多っ子純情」というマンガで、「博多の朝食は“おきゅうと”たい」などと言っていたが、あんな味気のないものでは食は進まない。
それに博多のほうでは“おきゅうと”だろうが、北九州のほうでは“おきゅうと”は一般的ではなかったようだ。
ぼくの周りは圧倒的に明太子が多かった。
ぼくが初めて“おきゅうと”を食べたのは20歳を過ぎてからだった。

さて、この明太子、昔はどこの家庭の食卓にも登るほど一般的なものだった。
そのへんの魚屋や乾物屋で売っていたが、今のように一つ一つご丁寧な箱入りにしているのではなく、漬物みたいにまとめて桶に入れて置かれていた。
グラムいくらの量り売りで、他の魚などと同じように、竹の皮に包み新聞紙などで包装していた。
一般的な食べ物だったから、価格も今みたいに高いものではなかった。
高くなったのは、辛子明太子が「福岡のお土産」扱いになってからだ。
ぼくが子供の頃は、明太子なんか土産にする人もいなかっただろう。
そういえば「辛子明太子」なんて言ってなかった。
ただの「明太子」だった。
詳しいことはよくわからないが、おそらく「辛子」とういうのは、土産化する時に付けたのではないだろうか?
例えば「辛子れんこん」のように、語呂がいいということで。

似たような話で、以前ブームになった「モツ鍋」というものがある。
これも福岡発らしいが、こちらでは「ホルモン鍋」と呼んでいた。
だから初めて「モツ鍋」という言葉を聞いた時、「こちらにそんな鍋物あったかのう?」と思ったものだった。
じゃあ話のネタに一度食べに行こうと、仲間と行ったところ、なんとそれは「ホルモン鍋」だったのである。
これなんかも、「ホルモン鍋」よりは「モツ鍋」のほうが宣伝効果があるんじゃないか、という意図があったにちがいない。
そういえば、「キムチ」だって昔は「朝鮮漬け」と呼んでいた。
これも最初聞いた時は、何のことかわからなかった。
店頭に並べられているのを見て、「なんかこれ、朝鮮漬けやないか」と思ったものである。
これも本場の言葉で言ったほうがインパクトがあると考えたのだろう。

ところで、「長浜ラーメン」というものがある。
これはただ福岡の長浜という所にラーメン屋がたくさんあるからそう呼ぶだけで、別に「長浜ラーメン」という特別のブランドがあるわけではない。
細めんを使って、替え玉をしているだけのことで、ただの「ラーメン」である。
最近よく「長浜ラーメンの店」などというのぼりを立てている店を見かけるが、まずおいしくないと考えていいだろう。
十何年か前、まだ「長浜ラーメン」が有名になる前に、夜中に長浜までラーメンを食べに行っていたことがあるが、あの頃の「長浜屋」のラーメンはおいしかった。
テレビで紹介しだしてから、味が落ちたような気がする。

話は明太子に戻るが、ここ八幡に「石原軍団御用達の店」というサブタイトルのついた明太子屋がある。
なんでも、石原裕次郎がここで明太子を買っていたということらしく、今でも石原軍団はここで明太子を買っているらしい。
しかし、である。
石原軍団が買うからおいしいとは限らないのである。
ぼくはこういう売り込み方をする店が嫌いなので、この店の明太子を食べたことがない。
だから味がどうこう言える立場ではないのだが、確かに裕次郎にはおいしく感じたのだろう。
だけど、峰竜太はどうなんだろうか?
海老名みどりは喜んでいるのだろうか?
「軍団の付き合いだから、しかたなく買った」と説明しているのではないのだろうか?
軍団といっしょに写真に写ることが、おいしさの証明になるとは思わないのだが。