中学2年の社会科の授業の時のこと。
何かの話から、先生が「この中で神様を信じている人はおるか?」と訊いた。
ぼくは躊躇せずに手を上げた。
「おう、しんたは信じるか。理由を言うてみ」というので、
「はあ、今年の夏休みに宇佐神宮に行ったんです。
『ここは太宰府天満宮に比べると、店の数も少ないし、参拝する人も少ない。面白くないのう」などと文句を言いながら境内を歩いていると、真っ白い馬がいました。
ぼくが近寄ると、「餌をくれ」と言うように馬が首を伸ばしてきたので、そこに売っていた餌を買って、与えました。
しばらく馬の首などをなでていたんですけど、突然馬が何かにとり憑かれたような表情になり、ぼくの腹をめがけて顔を伸ばしてきました。
ぼくはとっさに避けたんですが、へその下あたりを噛みつかれました。
その時『ああ、さっき文句言うたけ、神様が馬を使って噛みつかせたんだ』と思いました。
それで『やっぱり神様はいるんだなあ』と思いました」と答えた。
先生は「そうか、馬に食いつかれたけ、神様を信じるようになったか」と言った。
授業の後、友だちから「そんなことあるわけないやん」と言われたので、「じゃあ見せてやる」と言って、馬の歯型がついている腹を見せた。
しばらく忘れていたが、今年が午年だというので思い出した話である。
歯形はその後も残っていた。
最後に確認したのが、32,3の時だったろうか。
その時もまだうっすらとした傷跡を確認できた。
今日この話を思い出したので、仕事中にバックヤードに行って、十何年かぶりに確認してみた。
さすがにもう傷跡は消えたようだ。
しかし、その傷の箇所だけは、あの時の痛みとともに覚えている。
その後、神社などに行って悪口を言うのはやめることにした。
やはり神様はいると思っているから、バチがあたるのが怖い。
「あの時の馬のおかげで、敬虔なしろげしんたが出来上がった」、と言っても過言ではない。
馬の思い出というのは、この話くらいしかない。
なぜなら、あの出来事が、ぼくを馬嫌いにさせたからだ。
当然、競馬もしない。
テレビに馬が出ていたら、チャンネルを変える。
あの事件からこちら、まじまじと馬を見たのは、宮崎の都井岬で野生の馬を見た時ぐらいだ。
なぜ、まじまじと見たかというと、牡馬が雌馬に交尾を迫っていたからだ。
「こんなシーン、めったに見れん」と思い、しばらく眺めていた。
しかし、その牡馬は嫌われたのか、雌馬から足蹴にされた。
そのあとも何度か挑戦していたが、そのたびに足蹴にされる。
しかしそれを見て、ぼくは「ざまーみろ。バカやのう、馬は」とは思わなかった。
なぜなら、犬と違って、馬はバチがあたるからである。