書類などには、いまだ平成13年と書いてしまうくせに、つい5日前の大晦日が遠い昔のような気がしてならない。
大晦日にしてこの状態であるから、クリスマスにいたっては、もう大昔なのである。
いったいその時何をしていたのか、また考えていたのかを完全に忘れてしまっている。
若い頃から、正月になるといつもこの状態に陥るのだが、40歳を過ぎた頃から「もしかして、これはボケの兆しか?」などと思うようになった。
その時の記憶をたどるには、日記なんかが一番いいのだが、こんな屁理屈ばかり並べている日記では、記憶も蘇らない。
これのどこが「頑張る40代」だ!
そういえば最近、倉庫に商品を取りに行って、何をしに来たのかさえ忘れてしまっていることがある。
倉庫に着いたら、頭の中が一瞬真っ白になってしまうのだ。
その空白の後、「何しに来たんかなあ?」などと考え込んでしまう。
そこにいる他の人への対面上、そのまま帰るわけにもいかず、タバコを吸ったりトイレに行ったりして、いかにもそのことをしに来たんだというふうに取り繕っている。
ひどい時には、「何をしに来たんかなあ?」とも思わず、ほかの作業をやって、それで満足して帰ったりしている。
そして、帰ってから初めて何をしに行ったのかを思い出すのだ。
以前はぼくも記憶力のいいほうで、覚える必要もないことまで覚えていた。
嫌なことや細かいことも、いつまでも忘れずにいた。
それらが気になって気になって、いつまでもクヨクヨしていたものだ。
おそらく白髪も、そこから来たものではないだろうか。
ある日中国の古典を読んでいると、物忘れのひどい男の話が載っていた。
物忘れのひどい男が「これでは困るので、記憶力をよくしてほしい」と神か何かに頼み込み、その願いを聞き入れてもらった。
それから、その男は、忘れるということがなくなり、記憶していること一つ一つに囚われ、気を病んでしまった。
結局、また神に頼み込み、元に戻してもらった、という話だった。
これを読んで、ぼくは人間は忘れることが大切なんだ、と思うようになった。
それから忘れる努力が始まった。
いったん忘れる癖がつくと、細かいことが気にならなくなるものだ。
それはそれでよかったのだが、ここまで物忘れがひどくなるとは思わなかった。
しかし、いったん忘れる癖がついてしまうと、それが大切なことであろうがなんであろうが、見境なしに忘れていく。
「このことは覚えとかないと」と思っていても、5分も経たないうちに忘れてしまう。
「もう忘れることはやめよう」と思ったりもするのだが、また前みたいにクヨクヨするのも嫌だし、そのことで髪の毛に異変が起きても困る。
髪の毛の異変、ここまで来ると、もはや残っているのは・・・。
言えない。
ぼくは2年前からパソコンを始めたのだが、その始めた理由のひとつに、ボケ防止というのもあった。
ボケ防止には、指を動かすことがいいというのは知っていた。
それまでは、ギターを弾いていたのだが、以前に比べ弾くことが少なくなった。
「このままだとボケるなあ」と思い、それに代わるものを探していたのである。
しかし、2年間やってもこの状態では。
あ、そうか。
ぼくはキーボードを打つ時は、2フィンガーなのだ。
指全部を使うようにしたらいいのかもしれない。
でも、せっかく覚えたその指使いも、すぐに忘れてしまうんだろうなあ。