吹く風

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

過保護

最近休みの日は、家でごろごろしているか、本屋に行くかのどちらかである。
今日は雨にもかかわらず、JRに乗って本屋に行った。
JRといっても遠くへ行くのではなく、次の駅(黒崎、約2分の距離)までである。
車で行っても、渋滞さえなければ5分しかかからないのだが、休みは歩くことを重視しているので、約10分間の駅までの道のりをいつも歩いている。
それに駐車料金などを考えると、車で行くよりはJRで行ったほうが安くつくという利点もあるのだ。

午後一時の電車に乗ったのだが、今日は学生が非常に多かった。
「今日は平日なのにおかしいなあ?今日は学校行事で半ドンか?」などと思っていた。
約2分後、電車は駅に着いた。
学生たちもぞろぞろ降りてくる。
そして、互いに「よいお年を」などと言い合っている。
「え?今日は終業式か?まだ21日じゃないか!」
しかしよく考えてみると、明日22日は第4土曜日、23日は祝日、24日は振り替え休日だ。
「なるほど、それで今日が終業式というわけか」と一通り納得したところで、今度は怒りがこみ上げてきた。
「おれたちの頃、一日早く終業式をしたのは24日が日曜日の時だけだったのに、なんだこの差は!ゲームとカラオケしか知らんガキどもに、休みなんか増やしてやる必要があるか!宿題を倍にしろ!」と、けっこう本気になって一人で怒っていた。
ぼくは怒ると顔が赤くなるたちなので、周りにいた人は「なんだ、この人は!急に顔を真っ赤にして。危ない人かも知れん。近寄らんどこ」などと思っていたかもしれない。

しかし、最近の子供は優遇されているよなあ。
休みはぼくたちの頃よりずっと増えているし、物は満ち溢れているし。
「ここまで過保護にしなくてもいいのに」と思うことがよくある。
例えば、先生から体罰を受けたらクレームをつける親。
子供の言い分だけしか聞かず、一方的に学校が悪いと決めつけ、非があっても「うちの子がそんなことをするはずがない。うちではとってもいい子なのに」とやる。
あほか!お前が「いい子」と思っているから「悪い子」なのだ。

過保護の最たるものが「人権」と言ってもいいだろう。
何かあれば、すぐに「子供の人権」などというわけのわからないことを言う。
万引きしたガキまでが、悪びれず「人権蹂躙」などとほざく。
だいたい人権というのは、人身売買される子供を守ろうということが発端になっているのだ。
犯罪を犯した子供をかばうためのものでも、制服を着なくていいようにするためのものでもない。
犯罪を犯したら、ちゃんと社会のルールどおりに相応の刑を受けさせなければならない。
万引きも立派な犯罪なのだから、窃盗犯として処罰してもらいたいものだ。
「たかが万引きぐらいで」などと軽く扱うから、大きな犯罪も平然と行うようになるのだ。
制服は最初から学校で決められていたルールであり、その子にだけ当てはめたものではなのだから、「着てこない」などというのは、当然その子のわがままに過ぎない。
そういうことを許していたら、思慮のないガキのことだから図に乗るばかりだ。
それが子供の成長や自立のため、などと思っていたら大間違いだ。
あほな大人が後ろで知恵をつけているだけの話じゃないか。

だいたいなあ、・・・
・・・・・
ああ、また顔が赤くなってきた。
このままだと眠れなくなりそうだ。
ということで、今日はここまで。