吹く風

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

お酒

この日記は、だいたい午後11時を過ぎてから書き始める。
つまり、食事を終えてから書き始めるのである。
ぼくの食事というのは、お酒の時間である。
お酒が入っているということは、少しは酔いも回っているということである。
酔いが回るというのは、眠たいということである。
そう、日記の書き始めはいつも睡魔との闘いなのである。
この酔いが醒める頃に、やっと脳が活動しだす。
そして、日記の構想が出来てくる。
それから書くのだから、当然日記が遅くなる。
こうやって講釈を垂れているのも、つまりは酔いが醒めてないからである。
脳の動きが活発ではなく、今日の日記の構想が出来てない証拠である。

さて、昨日タバコのことを書いたので、今日はお酒でいくことにします。
ぼくとお酒の付き合いは、タバコの比ではなく、もう43年になる。
伝え聞いた話によれば、1歳の頃親父の晩酌の日本酒を取り上げ、2合空けたということだ。
その伝説(?)から、「おれは酒が強いんだ」という錯覚が始まる。
小学1年の時、お盆で来たお客さんのビールの残りを飲みまくり、気がついたら3本近く飲んでいた。
それでも平然としていたので、親戚一同から「血は争えんのう」と言われた。
小学3年生の時、親戚の結婚式で名古屋に行った。
その帰りの汽車の中でビールを6本開けた。
他の乗客がぼくを見て唖然としていたが、気にせずマンガを読んでいた。
小学6年生の時、家の中で空中回転の練習をしていた。
のどが渇いたので、冷蔵庫の中を覗いてみると、カクテルが冷やしてあった。
他にジュースなどなかったので、ぼくはそのカクテルを一気飲みした。
そしてまた空中回転の練習をしたのだが、効いた。
トイレに駆け込み、何度も戻した。
酒を飲んで吐いたのは、これが初めてだった。
ここからぼくは酒が弱くなってくる。

ぼくが晩酌を始めたのは高校2年からである。
東京にいた2年間を除いて、25年間晩酌をやっていることになる。
うちの親は、タバコには目くじらを立てていたが、お酒に関しては寛容だった。(これは今でもそうである。タバコを吸っていると、今でも嫌な顔をされる)
晩酌も、最初はビールだったが、徐々に日本酒や洋酒に変わっていった。
高校3年の時は主に日本酒を飲んでいた。
予備校時代はウィスキーのお湯割りだった。
東京から戻ってきてからは、バーボンやブランデーなどを口にするようになった。
その後、紹興酒泡盛、地酒などを経て、今の黒砂糖焼酎に至る。
よく「どの酒が一番おいしいか?」などと聞かれるが、どの酒も飲むほどに味が出てくるので、「これが一番!」とは言い難いものである。

ところで、今ぼくは「おれは酒が強いんだ」などとは思っていない。
「酒が強い」というのが錯覚だったとわかったのは、社会に出てからだった。
世の中には酒の強い人が山ほどいる。
ボトル2本をストレートで空けて平気な人。
ビールを毎日1ダース空ける人。
一升瓶を一気に空ける人。
こんな人たちを目の当たりにしたら、「おれは酒が強い!」なんて自慢は出来ない。
彼らから見れば、ぼくなんかはヒヨッ子である。

40歳を過ぎてから、酒がだんだん弱くなっているのを感じる。
最近は二日酔いすることはないのだが、宴会などで飲むと、決まってその日は寝るまで頭が痛い。
そこまで深酒はしてないつもりだが、晩酌よりも量が多いのは否めない。
しかし、量が多いと言ったて、たかだか3~5合程度である。
10年ほど前なら、そのあと仕事をしても平気だったのに。
体が酒を拒むようになったのかなあ?

おかしいなあ。
今日はまだ酒が抜けていない。
結局、脳は活動しないままだった。