吹く風

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

・・・を見た

今日、小学5,6年の時の担任の先生の夢を見た。
「T先生お久しぶりです」
「ああ、しんた君じゃないね。どうしたの?その頭」
「ははは、いろいろ苦労しまして」
「まあ、あなたのことだから楽しくやってるんだろうね」
「ところで先生。何年か前にうわさで聞いたんですけど、先生は生徒に対してかなり厳しくなったらしいですね」
「おそらく、今の子供たちは厳しいと受け取るんだろうね。あなたたちの頃と何も変わってないよ」
そうだろう。
ぼくたちの頃は、先生に叩かれたりしても、「自分が悪かったんだ」という反省の心があった。
親に言っても、「あんたが悪いけ、先生に叩かれるんよ」と逆に叱られていた。
それが普通だった。
最近は「私は別に体罰が悪いとは思っていません」などと前置きしてから、さんざん先生に文句を言う親が増えていると聞く。
文句を言われる先生も先生だ。
「自分は教師である」という自覚が足りないのだろう。
変な組合に入って政治活動などをする前に、もっと自分を磨くべきだろう。

T先生は敬虔なクリスチャンだった。
生徒には教師という誇りと慈愛を持って、真剣に接してくれた。
おそらく今の子供たちは、そんな先生の本質を見抜けずに、ただ厳しい先生としか写らないのだろう。


変な空を見た。
東側は雲ひとつない青空、西側は青空ひとつない曇天、と真っ二つに分かれていた。
まるで青空の半分に綿を敷き詰めているように見えた。
この空を見た時ぼくは、めったに拝めない現象が見ることが出来たので、「何かいいことあるぞ」と喜んでいた。
ところが夕方の天気予報で、この空を見た人から「これは地震の予兆ではないか?」という問い合わせが、気象台に相次いであったと言っていた。
まったく逆の受け取り方をしている。
ということは、ぼくは「おめでたい奴」なんだろう。

実はこの現象は、温暖前線の最先端の雲が、線上にそろって入ってきたために起きたもので、いい兆しでも、地震の予兆でもないそうである。
昔は日食になると、「この世の終わり」とか「不吉なことが起こる」と言っていたらしいが、これだけ科学の発達した現代でも、尋常でない自然現象を見ると、つい良いことや悪いことを考えてしまう。
科学の著しい発達に、人間はついていけないのかなあ。
少なくともぼくは、前時代の人間であろう。