明日は休みということで、今日は遅めの更新になりました。
さて、今日は何を書こうか?
最近、「パール判事の日本無罪論(小学館文庫)」という本を読んでいる。
パール判事とは東京裁判で「被告人全員無罪」を主張した、ただ一人の判事である。
映画「プライド 運命の瞬間」でも、主役の一人として描かれている。
まだ読みだしばかりなので、この本の詳しい内容はわからないが、以前読んだほかの東京裁判関係の本では、「パール判事はなぜ無罪だとしたか?」という理由が、「東京裁判自体が無効だからだ」という簡単明瞭なものであった、と書いていたように記憶している。
この本を詳しく読んでいけば、もっと他の理由もあるとは思うが、パール判事のおっしゃるとおり、裁判自体が無効なら罪など成立しない。
戦勝国が身勝手な法を作り、敗戦国に罪を突きつけただけの話である。
別に国際法で「負けたら勝った方の言い分を聞くように」というものがあるわけではない。
これこそ、「東京裁判無効」の根拠である。
東京裁判とは、やくざの抗争で、勝った方の組員が負けた方の組員に「お前ら、勝手に人の縄張りを荒らしやがって。その上堅気衆の上前はねるなんざ、もってのほかだ!」と言って、「お前はコンクリート詰め」「お前はスマキだ」「お前は指をつめろ」と勝手に裁くのと同じことを、国家レベルでやったものにすぎない。
こんなもの無効に決まっているじゃないか。
冷静な目で見たら、この裁判が有効かどうかわかるじゃないか。
しかし、この無効裁判を自らの利益のために、有効だと言い張るアホな人たちがいる。
中華饅共和国とキムチ民国と朝鮮から日が昇る新聞と平和仮面の人たちである。
彼らは何かにつけ「縄張りを荒らす腐れが!」と怒鳴り散らす。
さらに靖国神社には、「コンクリ野郎やスマキ野郎を祭るな!首相はそこに参るな!」と因縁をつけてくる。
このウサンクサイ連中の嫌がらせが、この先何年、いや何十年続くんだろうか?
おそらく、ぼくが死ぬ頃にもまだやっているだろう。
これは教育レベルで歴史の真実を教えても、到底打開できるものではない。
もはや道は残されてないのか、というとそうでもない。
ただひとつの道は残されている。
それは、東京裁判の無効を訴えての裁判をやることだ。
つまり「東京裁判裁判」をやるのだ。
世界に向けて無罪を訴えていくのだ。
敗訴しても何度でも訴えていくのだ。
何年かかっても、何十年かかっても、「東京裁判裁判裁判・・・・」となっても、「東京しつこい裁判」と言われても、とにかく勝つまで徹底的にやることだ。
そうしないと、この国はアホな平和仮面だらけになり、いつか滅びていくだろう。