小学校の頃、講堂と呼んでいた場所があった。入学式、卒業式、始業式、終業式といった行事や、映画教室や全校集会、体育館がなかったので体育もそこで行っていた。
講堂で行っていたもう一つの行事が、学芸会だった。ぼくたちの時代はいつも3学期に行っていた、講堂に漂うナフタリンの匂いが、今でも懐かしい。
学芸会といえば、ぼくは小学生の頃、六回の学芸会のうち四回は器楽合奏に参加した。担当はいつもハーモニカだった。ぼくはおじの影響で、物心ついた時にはすでにハーモニカを吹いていたため、ハーモニカが得意だった。ということで、「ハーモニカをしたい人いますか」と言われたら、手を上げていたものだ。
さて、残りの二回の学芸会では何をやったのかというと、合唱と劇である。合唱は二年の時、劇は四年の時だった。
合唱をやったのには理由がある。実は、最初ぼくは「踊り」に回されていたのだ。初めての練習の時、先生がどんな踊りをやるかの説明をした。それは、創作ダンスのようなものだった。説明が終わり、先生が「じゃあ、基本の練習をしましょう」と言った。基本の練習とは、なんと「スキップ」なのである。
その日の練習時間は一時間であった。ぼくたちは一時間、バカみたいに笑顔でスキップをやらされていた。「こんな女々しいこと誰がするか!」と思い、ぼくは練習が終わってから先生にかけあった。
「踊りは嫌ですから、変えて下さい」
「踊りのどこが嫌なんね。楽しいやろう」
「楽しくないです。変えてください」
「何がしたいんね?」
「ハーモニカがしたいです」
「器楽はいっぱいだから、だめ」
「じゃあ、歌でいいです」
ということで、合唱に変えてもらった。
このことがあったからだと思うが、なぜかぼくは踊りが嫌いになった。後年、ディスコに行っても、飲むだけで踊らなかったのは、この一時間のスキップが影響している、と思っている。
もう一方の劇のほうは、自分から志願したのだった。
3年の時、ハーモニカを吹きながらも「劇のほうが目立つやん」と思っていた。そこで4年の学芸会の種目分けの時、先生が「劇に出たい人」と言ったので、ぼくはすかさず手を上げた。難なく劇に決まった。
その年の4年生の演目は「彦市とんち話」だった。練習初日に、オーディションのようなものがあった。これで役を決めるのだ。が、役は最初から決まっていたのだと思う。いい役に選ばれたメンバーを見てみると、PTAの役員の子供か成績の良い生徒、地域の有力者の子息ばかりだったのだ。子供心に嫌な気がしたものだ。
で、ぼくに与えられた役は、「その他のたぬき」だった。セリフも、たぬき全員で「彦市どーん」と言うだけだった。これを言うだけのために、何日も練習したわけである。
5年生からは本業(?)に戻った。ハーモニカ担当は10人ほどいたのだが、ソロパートを吹く3人の中に選ばれた。
やはり自分に自信があったからだと思うが、緊張もしなかった。たぬきの時は「彦市どーん」一つに、なぜか緊張したものだった。もしかしたら、今でも人前で「彦市どーん」とは言えないかもしれない。
今度試しに衆目の前で言ってみようかな。しかし、その時は違った意味で緊張するだろう。