漢字を覚えるのは大変である。興味がある人にとっては独自の覚えかたがあるのかもしれないが、興味がない者にとっては書いて覚えるしか方法がない。これが嫌なのだ。
小学生の頃、よく「二百字帳を漢字で埋めてこい」という宿題が出ていた。この宿題、若干なりとも解く楽しさがある算数などと違って、ただ黙々と書くという地味な作業だった。そこには当然、持続力とか耐久力とかいったものが要求される。そのため、集中力のないぼくにとって、これほど辛い宿題はなかったわけだ。
高学年になるにしたがって、漢字の画数も増え、より時間がかかるようになっていき、その苦痛に耐えかねて、それまでやらないことのなかった宿題を、ついにやらなくなったのだった。
教育漢字中心の小学校でさえこの調子だったのだ。当用漢字が頻繁に出てくる中学高校の漢字には、対抗出来るはずもなかった。
ところが、そういうぼくが、今は若干漢字に強い人間となっている。なぜそういう人間になったのかというと、姓名判断に興味を持ったからだ。
姓名判断は、画数で運勢や性格を判断する占いである。そのため、嫌でも漢字に取り組まなければならない。姓名判断本の巻末には漢字早見表が載っているので、それを見て画数を割り出せばいいのだが、いつもいつも早見表を持ち歩いているわけではない。ということで、書いて画数を割り出すことになる。そのおかげで、自然に漢字を覚えたわけだ。