いよいよ当日。福岡市内で、例の拓郎ファンである取引先のT君と落ち合った。
「今日は特別席を用意してくれとるらしいよ」
「そうなんですか」
「特別席と言うくらいやけ、かなりいい席なんやろね」
「ぼく知ってますよ。接待で行ったことあるんですけど、VIPルームでしたよ」
こういう話をしながら、ぼくたちは会場に向かった。
会場に着いたぼくたちは、開場待ちしている観客の横を通り抜け、係員のいる入口に行った。
「あのー、S社のKさんを呼んでほしいんですが」
「S社のKさんですか?」
「はい」
「お待ち下さい」
係員は首をかしげながら、奥に入っていった。
5分ほどして係員は戻ってきた。
「S社の方は誰も来られていないようですが」
「えっ?」
「お約束をされていたんですか?」
「はい。6時にここで待っていてくれということだったんですが…」
「そうですか…。じゃあもう一度聞いてみます」
係員は、近くにいたフォーライフの関係者らしい人に耳打ちをした。
今度はその人がやってきた。
「今日S社のKさんと待ち合わせしていたんですか?」
「ええ」
「Kさんが今日来るとは聞いていませんが、どういう内容だったんですか?」
ぼくはKさんが拓郎のコンサートに招待してくれた旨を、その関係者氏に言った。
「─ということで、ここで6時に待ち合わせていたんですが・・」
「そうだったんですか。それは困りましたねえ。ちょっとお待ち下さい。S社に連絡とってみますから」
「すいませんねえ」
10分ほど待たされただろうか。ようやく、その関係者氏が戻ってきた。
「わかりました。S社に電話している時に、Kさんから連絡が入りました」
「そうですか。それはよかった」
「じゃあ、こちらからお入り下さい」
そう言って関係者氏は、入口の横にある関係者専用の入口からぼくたちを入れてくれた。開場からすでに30分ほど経過していた。
さて、いよいよ特別席である。
「どうぞこちらへ」と言って、関係者氏は扉を開いた。
「!」
ただの1階席である。
「ここでご覧になって下さい」
「えっ…」
「いや、突然のことだったので、お席が準備できなかったもんで・・。あいにく今日は満員ですし・・。すいません」
「いや、いいですよ。気にしないで下さい」
「では、こちらでごゆっくりお楽しみ下さい」
そう言って、関係者氏は戻っていった。
ぼくはT君に「ごめんね」と謝った。T君は「しかたないですよ。タダなんですから、贅沢は言えません」と言った。しかし、幾分か落胆した顔をしていた。
そういうわけで、ぼくたちはコンサートの間、ずっとそこにいなければならなかった。そこは1階の最後列、つまり立ち見席だったのだ。
こういう応対だったので、当然コンサート後の拓郎のレセプションにも参加することはできなかった。
翌日、さっそくKさんに電話した。
「昨日は、ありがとうございました」
Kさんは平謝りに謝った。
「どうもすいません。昨日だということをすっかり忘れてまして・・。本当に悪いことをしました」
「もういいですよ。おかげで楽しませてもらいましたから」
「実はですね、ぼくはあの時、そこにいたんですよ」
「そこ?」
「ええ、しんたさんの店」
「えっ?」
「で、そちらの女の子から、『今日、拓郎のコンサートじゃなかったんですか?しんちゃん張り切ってましたよ』と言われて思い出したんですよ。それでさっそく会場に電話したんです」とのことだった。
もし、当日、Kさんがうちの店に来てなかったとしたら・・。
もし、その時、うちの女の子が拓郎のコンサートのことをKさんに言ってなかったら・・。
フォーライフの関係者氏と、コンタクトをとることはなかっただろう。もしそうなっていたら、全くの行き損になっていたことになる。
そして、取引先のT君に対しても、面目丸つぶれになっていただろう。
そういうわけで、それ以降、いかなるコンサートも、必ずお金を払って行くようになった。