2002年3月30日の日記です。
小学生の頃、ぼくの住む地域は、春休みから夏休みにかけて野球をやっていた。
前の広場に誰かがバットとボールを持ってくると、自然に人が集まってくる。そこで適当にチーム分けし、試合が始まるのだ。
広場が狭かったため、いつも三角ベースでやっていた。広場が内野で、道路が外野だった。
ホームランは道路の向こうにある人の家だった。
ただ、これにはルールがあって、ホームランになるのは向かって左側、つまりレフト側の家だった。反対側、つまりライト側の家に入るとどうなるのかというと、チェンジになっていた。
これには理由があった。
レフト側の家は、野球のメンバーの家だったし、家の人は昼間いなかったから、ボールを取りに敷地に入っても、家を直撃しても文句を言われなかった。だから、そこにいくら打ち込んでもよかったのだ。
逆にライト側の家にはドラえもんに出てくる『神成さん』のような親父が、いつも野球をやっている時間にいた。ボールがその家に飛び込み、ボールを取りに行くと、いつも親父が怒鳴りながら出てきた。そして「広場で野球をするな」と文句を言われた。
それがイヤで「あの家に打ち込むな」ということになり、いつしかその家にボールが飛び込むとチェンジというルールが出来たのだった。
このルールは、左打ちのぼくには厳しいものだった。満塁でぼくに打席が回ってくると、相手はわざと打ちやすい球を投げてきたものだ。注文どおり、ぼくはライナーで『神成さん』宅にぶち込んでしまう。これでチェンジだ。もちろん、ボールを取りに行くのも、叱られるのも、そこに打ち込んだぼくだった。
しかし、何が幸いするかわからないものである。そのおかげで、ぼくは流し打ちを覚え、クラス対抗や子供会の野球大会、さらには社会に出てからの早朝野球では重宝がられたものだった。