吹く風

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

フルネームコンプレックス

2002年4月11日の日記です。

 ぼくは昔から、人前で自分の名前を呼ばれるのが嫌いである。特にフルネームで呼ばれることが嫌である。

 たとえば、銀行に行くと、苗字を呼んでから、追い討ちをかけるようにフルネームを呼ぶ。
「しろげ様、しろげしんた様」といった具合だ。
 これほど恥ずかしいことはない。だから、ぼくはATMで出来ることは、すべてATMで処理するようにしている。

 それでも、通帳を更新する時は、嫌でも窓口に行かなければならない。そこでぼくは、フルネームを呼ばせないために、「しろげ様」と呼ばれた時点で、「はい!」と大きな声で返事することにしている。
 ただでさえ、フルネームで呼ばれることが嫌いなのだ。もし公衆の面前でフルネームを呼ばれたりしたら、もうその銀行には行く気がしなくなる。

 郵便局も同じことが言えるが、ぼくは、郵便貯金をやっているわけではないし、簡保に入っているわけでもない。通販などの払込みに利用するだけだ。
 その場合、番号札の番号で呼ばれることがほとんどで、名前を呼ばれることはまずない。ゆえに、ここはセーフである。

 学校の入学式や卒業式もフルネームで呼ぶ。さらに悪いことに、名前を呼ばれると、必ず返事をして立たなければならない。
 こういう場でもぼくは、
「しろげ し・」
「はい!!」
 と、名前を呼んでいる途中に、大きな声で返事をして立ち上がっていた。
「お、元気がいいなあ」とほめられてたこともあるが、実はフルネームを呼ばれるのが嫌だったからである。
 卒業証書をもらう時も、
「卒業証書。6年2組、しろ・・」
「ゴホッ、ゴホッ」
 と、校長先生が名前を読むと同時に咳払いをした。
「大丈夫かね?」
 大丈夫ではない!

 意外な所で、フルネームを呼ばれたことがあった。神社である。
 車を買った時、多くの人が神社やお寺に安全祈願をしに行く。ぼくもご多分に漏れず、交通の神様で有名な宗像大社に、祈願に行った。
 神社は、車のお祓いをする前に、本殿で祝詞をあげることになっているが、ここで予期せぬことが起こった。その祝詞である。
「・・・、福岡県北九州市八幡西区○○町×丁目に住みたる、しろげノしんた・・・」
 やられた。しっかりフルネームを読まれてしまった。しかも、「ノ」まで付いている。
 当然返事は出来ない。突然読まれたので、咳払いをする間もなかった。さらに、神前に玉串を奉げる時に、もう一度名前を呼ばれた。同じ日に、二度交通事故を起こした気分であった。

 なぜそこまでフルネームを呼ばれることに抵抗を感じるのか?
 理由は簡単である。自分の名前が嫌いだからである。物心ついた時から、大っ嫌いである。嫌いな名前を、よくまあ、44年間も引きずってきたものである。変えられるものなら、さっさと変えていただろう。

 しかし、そういうわけにもいかない。そこで考えたのが、通称名を広めよう、ということだった。
 東京にいた頃、ぼくは別名を使っていた。また、アルバイト先でも別名を使っていた。詩などの投稿の時には、必ずペンネームを使っていた。ぼくが姓名判断を始めた理由も、実はそこにあるのだ。

 姓名判断を始めた時のこと。自分の名前が、大変良い画数であることがわかった。
「これはおかしい。こんな名前が良いわけない」
 ということで、自分の名前を悪く書いている本を探したものだった。が、どの本を見ても、「この画数は大吉です」と書いてある。
 しかたがないので、この名前がいかに悪いかというのを、自分で証明しようといろいろ研究した結果、「名前で運命はわからない」という結論に達したのだった。

 しかし、どうして自分の名前が嫌いなのだろう? その理由は今もってわからない。おそらく、幼児の頃に、何か嫌な思いでもしたのだろう。
「お前の名前、でーべーそ」とでも言われたのだろうか。


2023年3月22日
 その後も、姓名判断の研究を続けているが、ある時、いい名前には法則があるのに気づいた。
 それ以降、「ある程度.名前で運命はわかる」というところまで来ている。