吹く風

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

出張の思い出 その3

2003年3月5日の日記です。

 翌朝7時半に旅館を出、平和記念公園の中を足早に歩きながら仕事場に向かった。
 会議の始まる10分に店に着いた。もう他の人は揃っていた。
 ぼくが来たのを確認してから、「じゃあ、行こうか」と主任は言った。
『行こう?ここで会議するんじゃないのか。ということは、ちゃんとした会議室でやるのか』
 そんなことを思いながら、ぼくはみんなの後をついて行った。みんなは店を出て、隣のビルの階段を上っていった。そこは喫茶店だった。
『まさか喫茶店で会議をやるんじゃないだろうな』
 みんなはバラバラに座った。
「モーニング下さい」と主任が言った。その後、各自注文を始めた。

『さて、会議か』と思いきや、なんと主任以下全員が、店に置いてある新聞や週刊誌を取ってきて読み始めた。新聞といってもスポーツ新聞である。週刊誌といってもエロ本あり、マンガありである。
 声を出す者はいなかった。が、時折笑い声が聞こえる。
 9時までこの状態が続いた。会議ではなく、ただの朝食会だった。

 そのことがあってから、ぼくのその店に対する見方は変わっていった。
「七三分けの刈り上げ」だが、主任は長髪系で真ん中分けだった。
「接客の報告書」、そういう紙はあったが、書いている人を見たことがない。
「お辞儀45度」をやっていたのは最初に会った人だけで、他の人はいい加減なものだった。
「玄関で土下座」などするのはよっぽどの時だろう。
「休みが少ない」、みな有給休暇を気にしていた。
「朝が早く、夜が遅い」、朝は早いがこんなふうである。夜も仕事が終われば、みなさっさと帰っている。
 しばらく勤めていると、事実が見えてきた。騙された、というよりそれらの話は、きっと「そういう人がいた」とか「そういうことがあった」ということが、広まっていく過程で誇張されていった話なのだろう。

 心にのしかかった重みがとれた。ようやく冷静さを取り戻したぼくは、『これで1ヶ月過ごせる』と思った。
 ところが、そこに出張して2週間ほどたった頃、会社から「戻ってこい」という連絡があった。
 ようやくその店に慣れた頃だったので、ちょっと惜しい気がした。

 2日後、ぼくは新幹線の中にいた。
 いったいこの出張は何だったのだろうか。世間で「厳しい」と噂されるその会社の中身が、実はいい加減なものだったということがわかっただけで、他に何も得るものはなかった。会社に戻ってから出張の報告書を提出しなければならなかったのだが、何と書いていいものか、さんざん悩んだものだった。

 その後、何度か広島に出張したのだが、最初の出張のことがあったので、どんな会議があろうとも気は楽であった。しかし、朝早く家を出なければならないことは辛かった。