2001年12月19日の日記です。
この日記は、だいたい午後11時を過ぎてから書き始める。つまり、食事を終えてから書き始めるのである。ぼくの食事というのは、お酒の時間である。お酒が入っているということは、少しは酔いも回っているということである。酔いが回るというのは、眠たいということである。そう、日記の書き始めはいつも睡魔との闘いなのである。
この酔いが醒める頃に、やっと脳が活動しだす。そして、日記の構想が出来てくる。それから書くのだから、当然日記が遅くなる。こうやって講釈を垂れているのも、つまりは酔いが醒めてないからである。脳の動きが活発ではなく、今日の日記の構想が出来てない証拠である。
さて、昨日(再録では三日前)にタバコのことを書いたので、今日はお酒でいくことにします。
ぼくとお酒の付き合いは、タバコの比ではなく、もう43年になる。伝え聞いた話によれば、1歳の頃親父の晩酌の日本酒を取り上げ、2合空けたということだ。その伝説(?)から、「おれは酒が強いんだ」という錯覚が始まる。
小学1年の時、お盆にお参りに来たお客さんのビールの残りを飲みまくり、気がついたら3本近く飲んでいた。それでも平然としていたので、親戚一同から「血は争えんのう」と言われた。
小学3年生の時、親戚の結婚式で名古屋に行った。その帰りの汽車の中でビールを6本開けた。他の乗客がぼくを見て唖然としていたが、気にせずマンガを読んでいた。
小学6年生の時、家の中で空中回転の練習をしていた。のどが渇いたので、冷蔵庫の中を覗いてみると、カクテルが冷やしてあった。他にジュースなどなかったので、ぼくはそのカクテルを一気飲みした。そしてまた空中回転の練習をしたのだが、効いた。トイレに駆け込み、何度も戻した。酒を飲んで吐いたのは、これが初めてだった。ここからぼくは酒が弱くなってくる。
ぼくが晩酌を始めたのは高校2年からである。東京にいた2年間を除いて、25年間晩酌をやっていることになる。うちの親は、タバコには目くじらを立てていたが、お酒に関しては寛容だった。(これは今でもそうである。タバコを吸っていると、今でも嫌な顔をされる)
晩酌も、最初はビールだったが、徐々に日本酒や洋酒に変わっていった。
高校3年の時は主に日本酒を飲んでいた。予備校時代はウィスキーのお湯割りだった。東京から戻ってきてからは、バーボンやブランデーなどを口にするようになった。その後、紹興酒、泡盛、地酒などを経て、今の黒砂糖焼酎に至る。
よく「どの酒が一番おいしいか?」などと聞かれるが、どの酒も飲むほどに味が出てくるので、「これが一番!」とは言い難いものである。
ところで、今ぼくは「おれは酒が強いんだ」などとは思っていない。「酒が強い」というのが錯覚だったとわかったのは、社会に出てからだった。世の中には酒の強い人が山ほどいる。ボトル2本をストレートで空けて平気な人。ビールを毎日1ダース空ける人。一升瓶を一気に空ける人。こんな人たちを目の当たりにしたら、「おれは酒が強い!」なんて自慢は出来ない。彼らから見れば、ぼくなんかはヒヨッ子である。
40歳を過ぎてから、酒がだんだん弱くなっているのを感じる。最近は二日酔いすることはないのだが、宴会などで飲むと、決まってその日は寝るまで頭が痛い。そこまで深酒はしてないつもりだが、晩酌よりも量が多いのは否めない。
しかし、量が多いと言ったて、たかだか3~5合程度である。10年ほど前なら、そのあと仕事をしても平気だったのに。体が酒を拒むようになったのかなあ?
おかしいなあ。今日はまだ酒が抜けていない。結局、脳は活動しないままだった。