確固たる自信のないまま生きてきたから、どうもセルフイメージがよくない。端から見ると、いかにも自信家でそつなく見えるかもしれない。だけどそれは表向きを繕うために編み出した、ぼくの忍法だ。そうだ、みんなは誤魔化されているのだ。ぼくはぼくの影を知っている。影にとらわれているのを知っている。だから忍法に頼るのだ。
若い頃、知らない人からよく声をかけられることがあった。彼らは決まってこう言うのだ。
「あなた哲学やっているでしょう?」と。
ぼくが「やってませんよ」と否定すると、
「嘘言ってもダメ。あなたの目はそういう目をしている」と曰う。
なんだこの誤った自信は。確かにその当時は老荘が好きで、その関連書を読みあさっていた。だが哲学をやっていたわけではない。そこに書いてある処世術を学んでいただけだ。だからその当時のセルフイメージは、思いに耽る哲学者の姿ではなく、馬鹿のごとくボーッとしている姿だった。
しかし哲学をしている目というのは、いったいどういうものなのだろう。今さらながら鏡を見ておけばよかったと思う。まさか焦点の定まらぬボーッとした目のことではないだろうな。それなら今もしている。