若い頃、よく脚立に乗って作業をやらされていた。部署の中で一番背が高かったので、こういう役回りはいつもぼくだった。
ある日のこと、前日の酒が若干残った状態で仕事をしていた。そういう時に限って、脚立作業が発生する。そしていつものようにその作業がぼくに回ってきた。
その作業をやっている最中、
『ここから落ちたらどうなるんだろうか。少なくとも捻挫はするだろうな』
そんな考えがぼくの頭の中をよぎった。するとなぜかそこに立っているのが怖くなった。そのうち怖さが怖さを呼んで、急性の高所恐怖症になってしまった。足が震えて仕事が手につかない。
その時だった。数十年前の記憶が蘇った。
中学生の頃、ぼくは友だちとよく学校を抜け出していた。抜け出すには、2メートルちょっとの高さがある石垣を飛び降りなければならなかった。足は底の薄い上履き、もしくは裸足だ。だけどその時は、
『ここから飛び降りたら・・』なんて考えなかった。ただ早くそこから抜け出したかったんだ。
それがよかったんだと思う。早く抜け出したいという強い気持ちが、恐怖心を吹き飛ばしてしまい、飛び降りる時に無心でいられたわけだ。そのおかげで、『少なくとも捻挫』すらしなかった。
『そうだ。ここから落ちそうになった時は、落ちまいと無理に力まないようにしよう。「学校を抜け出したい」という気持ちを蘇らせて、思い切って飛び降りてみることにしよう。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあるくらいだ。よしそうしよう』
そんなことを考えていたら上司から、
「いつまでやっているんだ」
と怒鳴られ、その声に押されて、ぼくは脚立から落ちた。
しかし、その時無心だったのだろう、みごと足から着地し、『少なくとも捻挫』すらしなかった。