頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

観音示現

ご開帳

朝方、例のごとく近くの神社に行ったのだが、その時ふと、観音様に呼ばれているような気がした。
そういえば今日は17日、長谷寺のご本尊、国宝十一面観音ご開帳の日だ。
明日もご開帳はあるのだが、今日は嫁ブーも休みだから、行くなら今日のほうが都合がいい。
ということで、昼から長谷寺のある鞍手町に出かけた。

そこは幹線道路から入ればわりと楽に着くのだが、近道をしようとするとわかりづらい。
前に一度その道から入り、何度も道を間違えたことがある。
そのせいで、最近は近道をせず、幹線道路から入っている。

さて、さすがご開帳の日である。
普段行くとはあまり車は駐まってないのだが、今日は数台駐まっていた。
おそらく観音様の縁日である明日18日は、もっと多くの参拝客が来るのだろう。

しかし、せっかくの国宝のご開帳なのだから、もっと大々的に宣伝をやってみたらどうだろうか。
ぼくの周りには、そこに国宝があることを知っている人があまりいない。
それどころか、このお寺の存在自体知らない人が多い。

何せ、宣伝媒体がホームページくらいしかないのだから、それもしかたないとは思うが、もっとどうにかならないものか。
これが関東や関西なら、観音様の縁日ということで、多くの人が参拝にきて賑わうと思う。
ま、山中で交通の便が悪いところだから、主要な参拝客層である爺婆も寄りつけないのだろうが、それなら町がシャトルバスを出すなどしてもらいたいものだ。



応時得消散

5日の日記に『雲雷鼓掣電 降雹ジュ大雨 念彼観音力 応時得消散』という経文のことを書いたが、忘れていたことがある。
それは、訳を書いてなかったということだ。
ということで、訳を書いておく。

「暗雲は地を覆い、雷音は地を震わす。
 大雹は地を叩き、豪雨は地を埋める。
 念彼観音力、ひたすら呼び続けよ。
 魔はたちどころに消え去るだろう」

まあ、こういうところだろうか。
やはり『念彼観音力』は難しい。
いろいろと考えてみたが、訳せなかった。
で、そのまま使うことにした。

そういえば、かつてある人が、クレージーキャッツの植木等に「南無阿弥陀仏って、どういう意味ですか?」と尋ねたことがあるという。
植木等の生家は浄土真宗のお寺である。
それでそういうことを聞いたのだと思うが、その時の植木さんの答が実に味わい深い。
「ただいまーっていう意味だよ」
すごい人である。
『南無阿弥陀仏』を説明するとなると、本にすれば何冊にもなってしまうだろう。
それを植木さんは一言で言ってのけたのだ。

ある禅の本に、「本来の自己に取って返す」ということが書いてあった。
何かに心奪われそうになった時や、自分を見失いそうになった時には、すかさず本来の自己に取って返すことが大切だというのだ。
そのためには、念仏やお題目を唱えるのも一つの方法だということだった。
『本来の自己に取って返す』というのは、「自分に立ち返る」という意味である。
「自分に立ち返る」というのは、「自分に帰す」と言い換えることができる。
そう、「自分に帰す」のだから「ただいま」なのだ。

実は『念彼観音力』も同じ意味なのであるが、この経文に突然「ただいま」を入れてもおかしい。
ということで、ずっと悩んでいたわけである。

ところで、ぼくは一度この経文を実践したことがある。
前の会社で外回りをしている時のことだった。
夕方、それまで晴れ渡っていた空が、突如暗くなって、夕立が降り出した。
朝からずっと晴れていたので、傘なんか持ってない。
そのためずぶ濡れになってしまった。

どこかで雨宿りしようと思ったのだが、そういう場所もない。
「どうしよう」と途方に暮れていた時だった。
ふとこの経文が口をついて出たのだ。
『雲雷鼓掣電 降雹ジュ大雨 念彼観音力 応時得消散』

ところが、これを何十回、何百回繰り返しても、雨はいっこうにやむ気配がない。
「『まさにその時、消散することを得る』じゃないか。何で祈りが通じないんだ。あれは嘘か!?」と、ぼくは経文を恨んだ。
と、その時だった。
急に雨がやんだのだ。
「おお、祈りが通じたぞ」と、ぼくは心の中で小躍りしていた。

しかし、それは束の間だった。
またしても雨が激しくなったのだ。
結局、その日は、雨がやむことはなかった。
家に帰るまで、ずっと「クソー」とお経を恨んでいた。
が、別にお経が悪いわけではない。
経文を鵜呑みにしていたぼくがバカだったのだ。
そう、お経は現世利益を説いているのではないのだから。



そしりを受けないものはない

法句経(法華経ではない)というお経がある。
上座部仏教の経典で、仏教の論語のようなものである。
東京にいた頃、仏教書を読んでみたいと思い、古書街を探し回って見つけたのが、その『法句経(友松圓諦師訳)』だった。

このお経、例えば般若心経のように空の理論を展開しているわけではない。
例えば観音経のように、御利益を羅列しているわけではない。
では何を書いているのかというと、人として生きる道を丁寧に説いているのだ。

例えば、
「『彼は私を罵った。私をなぐり、私を敗北させ、私から掠めたのだ』こうした考えに執着する人には、そのうらみは息(やす)むことがない」(友松圓諦師、現代語訳)
という句がある。
その通りである。
では、どうすればうらみが消えるのかというと、
「『彼は私を罵った。私をなぐり、私を敗北させ、私から掠めたのだ』こうした考えに執着しない人にこそ、そのうらみは消え失せる」のだ。
実にわかりやすい。
つまり、根に持つなということである。
しかし、頭ではわかっていても、心のほうが素直に言うことを聞いてくれないから困るのだ。
それを解決するためにいろいろと工夫・実践した結果が、「すべてを空と見よ」とした般若心経であり、「一心に観音を念じよ。きっと救われる」という観音経なのである。

あっ、今日はそんなことを書くんじゃなかった。
今日久しぶりに読んだその法句経に、興味深いことが書いてあったのだ。
「人は黙って座っているものをそしる。多く語るものをそしる。ほんの少し語るものでさえそしる。この世の中にそしりを受けないものはない」という言葉である。

小学生の頃のぼくは、実にしゃべり好きな人間だった。
よく「口から先に生まれてきた」などというが、そういうたぐいの人間だったのだ。
そのしゃべりがいつもギャグを含んでいたため、クラスではわりと人気のあったほうである。
ところが、それをよく思わない人間もいた。
彼らは、ぼくを見るたびに、いつも罵声を浴びせていたものだ。
ぼくも負けじと応戦していた。
結局、最後の最後まで、ぼくと彼らは打ち解けることはなかった。
中学卒業以来、彼らと会うことはないが、もし会うことがあったとしても、話をすることはないだろう。
なぜなら、いまだお互いに根を持っているだろうからだ。

それから三十数年後、つまり今だが、ぼくは余計なことはしゃべらない人間になった。
すると今度は、無口だの、暗いだの言ってそしられるようになってしまった。

「しゃべればしゃべったで敵が出来る。しゃべらなければしゃべらなかったで溝が出来る。いったい、どうしろと言うんだ?」
というのが、最近の悩みであった。
だが、今日その言葉を読んで、思わず「なるほど!」膝を打ったのだった。
つまり、「そういう声に反発するのをやめて、執着しないことに努めよ」ということなのだろう。
たったそれだけのことで、悩みというのは消えていくものなのだ。
なぜかというと、実のないこと、つまり『空』だからだ。
しかし、たったそれだけのことが難しい。
また新たな悩みになりそうである。



ライフワーク

前にも書いたことがあるが、かつて極度の鬱状態に陥ったことがある。
いろいろ手を尽くしたがなかなかその状態から抜け出すことが出来なかった。
ところが、ある時ひょんなことから『延命十句観音経』というお経を知り、結局そのお経に救われることになる。
その時ぼくは、やけになって「もしこの状態から解放してくれるなら、観音経を一人でも多くの人に紹介していく」ということを誓ったのだった。
ちゃんと、願いは聞き入れられ、ぼくはすぐに立ち直ることができた。

ところが、あれから20年近くも経つのに、まったくその誓いを果たしていない。
もしかしたら、働く場を失ったり、人から中傷を受けたり、腰が痛かったり、背中が痛かったり、すぐに虫歯になったり、太ったりするのは、そのせいなのかもしれない。

まあ、そういうことはさておき、実はこの日記を書き始めた頃から、意識の奥に「いつか、しろげしんたというフィルターを通した観音経のことを書いてみたい」というものがあった。
昨年、ある人から「来年はいろんな意味で転換期になります」と言われた
手相や四柱推命を観ても、そう出ている。
ということで、転換期にあたって、その『観音経』のことを書いてみたい。

けっこう深い経典なので、まったく素人のぼくにとっては、重すぎるのかもしれない。
が、そういうことを書いていくうちに、一つの方向が見えてくることだろう。
肩に力を入れずに、そういう過程を楽しんでいくようにしていったら、案外ライフワークになるやもしれない。
これからどんどん忙しくなるので、ブログのほうもたまにしか更新できないかもしれないが、この企画だけは切らさないでいこうと思っている。



長谷観音

今日、ふとしたことがもとで、長谷観音に行った。
長谷観音と言っても、別に鎌倉や奈良に行ったわけではない。
北九州市に隣接する鞍手町にあるのだ。
鞍手町というと、この間この日記でお知らせした貴黄卵生産直売農場と同じ町だが、長谷観音はそこからさらに奥に行ったところにある。
この観音さんは知る人ぞ知る観音さんで、知らない人はまったく知らない。
かく言うぼくも、つい最近までその存在を知らなかった。

何で知る人ぞ知るのかというと、実はここの観音さんは、鎌倉や奈良の長谷観音と同じ木から出来ているらしく、当然のごとく国宝に指定されているのだ。
ところが、テレビやラジオで紹介しているのを見聞きしたことはないし、太宰府天満宮や宮地岳神社のようにCMも流れていない。
さらには県の観光案内にも載っていない。
これでは知りようがないではないか。
もし紹介しているものがあるとすれば、それは鞍手町とか筑豊という狭い地域の観光案内くらいではないだろうか。
ということで、この観音さんを知っているのは、地元の人か信仰の厚い人から口伝えで聞いた人くらいなものだろう。
ぼくもその口だった。

しかし、まさかこんな近くに、国宝があるとは思わなかった。
最初にそれを知った時は、半信半疑だった。
国宝といえば、この辺だと太宰府ぐらいにしかないと思っていたからだ。
で、それを聞いてから、さっそくそこに行ってみたのだが、先に書いたように、周りは普通の田舎である。
看板も幹線に掲げてある大きな看板とは違い、小さな看板が所々にあるだけで、気をつけていないと、すぐに見落としてしまう。
何度も道を間違え、ようやくたどり着いた長谷観音だったが、その時拝んだ観音さんはダミーだった。
本尊は、毎月17日と18日にしかご開帳しないことになっているらしいのだ。
ということで、それからは、その日を狙っていくようになった。

ところで、今日はご開帳の日でもないのに、わざわざ長谷観音まで何をしに行ったのかというと、実は寺の前にある食堂に、昼飯を食べに行ったのだ。
午前中に歯医者に行ったのだが、家に帰ると嫁ブーが、変な顔をしてこちらを見ているではないか。
「何か?」とぼくが聞くと、「腹減ったんよ」と言う。
「何か作って食べればいいやろ」
「面倒やん。ね、どこかに食べに行こう」
「どこに行くんか?」
「どこでもいい」
「何が食いたいんか?」
「何でもいい」
「街中と田舎と、どっちがいいか?」
「おまかせします」
「じゃあ、田舎に行こう」
ということで、長谷観音に向かったのだ。
なぜ長谷観音を選んだかというと、ぼくが知っている田舎の食堂で、通りに面していないのは、そこしかなかったからだ。
せっかく食べるのなら、車の通らない空気のおいしいところで食べようと思ったわけだ。

今日も何度か道に迷ったが、何とかたどり着いた。
せっかくだからと言うので、ダミーの観音さんに手を合わせ、それから食堂に入った。
頼んだものは、ぼくが丸天うどんとご飯、嫁ブーは山かけそばとおにぎりだった。
そういうものが特においしいわけではない。
が、一品だけ「これはおいしい」というものがあった。
それは、ご飯に付いてきた床漬けである。
まさに田舎ならではの味だった。

さて、長谷観音に着いてから30分もいただろうか。
食事を終えたぼくたちは、他に寄るところもなかったので、さっさと家に帰ったのだった。
帰り着いてから車のメーターを見てみると、往復で40キロ走っていた。
ということは片道20キロか。
ちょっと遠かったかなあ…。
しかし、こういう昼食もわりといいものである。
また機会があれば、やってみようと思っている。



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