頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

旅日記

水を求めて

まだ日曜日の話は続く。
英彦山を下りた後、水マニアのオナカ君が、
「他にどこか水の出る場所はないかのう?」と聞いた。
「白川水源」
「どこか?」
「熊本」
「ああ。あそこ熊本でも阿蘇の向こう側やないか」
「おう。南阿蘇やの」
「今から行ける場所やないやろ。近場でないんか?」
「ある」
「どこ?」
「東区の景勝町と戸畑の菅原神社。あと芦屋にも湧き水があるらしいけど、そこは自衛隊の基地の中やけ入れん」
「そうか。じゃあ、景勝町と戸畑に行くか」
ということで、オナカ君は家に帰ろうとしていた車の方向を、急きょ東区・戸畑方面に変えた。

景勝町は新・日本三大夜景の一つである皿倉山の麓にある。
皿倉山にはいくつか水汲み場がある。
そのほとんどが山中にあるのだが、景勝町の水汲み場だけは違っていて、ほとんど平地の幹線道路に面したところにある。
わざわざ山に登る必要がないので、けっこう利用している人が多い。

ぼくたちがそこに着いた時も、何人かの人が水汲み場に集まっていた。
いくら県内とはいえ英彦山は土地が違うので、そこの水を飲むのを遠慮していた。
だが、さすがに景勝町は地元の水という安心感がある。
そこで、堪能するまで飲んだのだった。

さて、もう一つの場所、戸畑の菅原神社は、景勝町から車で10分ほどで着いた。
景勝町の水汲み場は山水ということもあり垂れ流しなのだが、ここは違う。
湧き水ということもあり、蛇口で水を出して汲むようになっている。
さらに、20リットルまでという制限までついていた。

そこの水には歴史がある。
平安の頃、菅原道真公が太宰府に赴任する際、菅公が足を洗ったのがそこの水であったという。
それ故に、菅原神社というらしい。

オナカ君が水を汲んでいる間、ぼくはその菅公の水で育ったであろう、その神社の主の写真を撮っていた。
こいつです↓

kurako.jpg



英彦山

(1)
昨日、滝を見た後に山水を汲みに行った。
オナカ君は水マニアで、いつでも持ち帰りが出来るように、いつも車にポリ容器やペットボトルを積んでいる。
どうやら、昨日の小ドライブも、それが目的だったようだ。

行き先は英彦山だった。
そこの水は市販されているくらいだから、かなりの名水だ。
九重町から耶馬溪に戻り、そこから山国町経由で英彦山に登った。
途中、台風のせいで土砂崩れしていると、張り紙がしてあった。
だが、オナカ君はそんなことお構いなしに、どんどん進んでいった。
途中何ヶ所か木が倒れているところはあったものの、通行には支障はなかった。

数十個あるカーブを曲がり、車は無事に目的地の豊前坊(高住神社)に着いた。
夕方の豊前坊はヒグラシの声に包まれていた。
空気がひんやりとして気持ちいい。
水は山頂の方から、チョロチョロと流れてきていた。
少し飲んでみたのだが、冷たくておいしい。
オナカ君は、そのおいしい水をポリ容器3つに入れた。
20リットルの容器が1個、10リットルの容器が2個だったから、計40リットルである。
オナカ君はそれで満足したのだろう、長居せずにすぐに山を下りたのだった。

(2)
修験道のメッカである霊峰英彦山は、福岡県で一番高い山(標高1200メートル)である。
ぼくは、車では何度も行ったことがあるが、歩いて登ったことは二度しかない。
中学2年時の遠足と、高校2年の時に1年時の同級会遠足でだ。
山の中腹にある駐車場から山頂まで、ずっと石段を登って行くのだが、これが山道を歩くよりきつく辛い。
翌日は足がパンパンに張っていたのを憶えている。

そうそう、中学2年時に英彦山に行った時のこと。
行きのバスの中で、友だちが森田健作の『友達よ泣くんじゃない』を歌った。
それがえらく好評で、翌日担任の先生に名指しで褒められたのだ。
先生は他にも歌の上手い奴の名前を何人か上げていたが、ぼくはそれを聞いて、なぜか嫉妬していた。
実は、その時ぼくは歌ってはいない。
歌える歌もなかったし、何よりも緊張して歌えなかったのだ。
歌ってないのだから、ぼくが褒めらることはないのだが、それでもぼくは嫉妬していた。

それからだ、ぼくが歌の練習を始めたのは。
とにかく、3年時の遠足と修学旅行で、「歌の上手い人」と評価されるようになろうと思ったのだ。
それからおよそ1年後、ぼくは遠足の時にあがた森魚の『赤色エレジー』を歌った。
必死に歌のを練習した甲斐あって、みんなの視線を一身に集めた。
ところが、もらった評価は「歌のうまい人」ではなく、「変な人」だった。



太宰府天満宮に行く

tobiume.jpg

上の写真は、有名な『飛び梅』である。
そう、今日太宰府天満宮に行ってきたのだ。
あいにく飛び梅のほうは、まだつぼみ段階で、一輪も咲いてなかった。
が、今日はいい天気だった。
風は少し冷たかったが、日差しは春を思わせた。
この調子でいけば、飛び梅は、一週間もすれば咲くのではないだろうか。

天満宮はかなりの人出だった。
日本人はもちろんだが、台湾や韓国の人たちも大勢来ていた。
おそらく彼らは、ぼくたちのような受験祈願という目的ではなく、観光目的で来たのだろう。




さて、お参りをすませたあと、ぼくたちは『お石茶屋』で食事をした。
『お石茶屋』での食事は、ぼくが太宰府に来る楽しみのひとつである。
昔ながらの茶店で、飾り気のない素朴な店造りが痛く気に入っている。
かつて観梅のシーズンになると、ぼくはここでおでんをつまみながら一杯やっていたものだ。
今日は車で行ったために、残念ながら酒は飲めなかったが、それでも風情を味わいながら昔を満喫できた。




お石茶屋の店の中である。
暖房は各席に配置されたストーブのみで、電気暖房の類は一切ない。
これがまたお酒をおいしくしている。
が、何度も言うようだが、今日はお酒は飲めなかった。



紅葉の名勝

二年前に一家総出で、秋月に行ったことがある。
11月のこの時期だったと思うが、『紅葉の名勝』があるとテレビで紹介されていたので、行ってみようということになったのだ。
高速を使うとさほど時間もかからないのだが、そうすると時間が余ってしまい「せっかくここまで来たんだから、○○に行こう」などとなりかねないので、この時は国道を使ってのんびりと行くことにした。
秋月に着いたのは、出発してからおよそ2時間後だった。

さて、秋月は普段でも観光客が多いのだが、やはりテレビの効果だろう、この時はさらに多くの人が来ていた。
メイン通りは人でごった返しており、なかなか前に進めなかった。
嫁ブーは「さすがに紅葉のシーズンやね」などと言って感心していた。
ぼくたちは流れに押され、別に目的にはしてなかった史跡の観光ばかりして歩いた。
その折々に周りの木々を見てみたのだが、紅葉はおろか、まだ緑だらけだった。

茶店で休憩し、それからようやく紅葉を訪ねることにした。
ところが、テレビで見た『紅葉の名勝』がどこにあるのかわからない。
そこで茶店の人に聞いてみた。
「ここの先を左に折れて、まっすぐに行くとお寺があります」
と言う。
どうやら、そこが『紅葉の名勝』らしい。

茶店の人が言ったとおりに歩いていくと、遥か向こうにお寺らしきものが見える。
「ああ、あそこやん」
と、ぼくと嫁ブーは率先して歩いていった。
あぜ道を抜け、民家を抜けて、山道にさしかかったところにそのお寺はあった。

小さなお寺だった。
一面木々に囲まれて、なるほど『紅葉の名勝』と言われるだけのことはある。
しかし、それは赤く色づいていれば、の話である。
その時、若干色づいた部分はあったものの、まだどの木も緑色に覆われていたのだ。
テレビではあんなに赤く色づいていたのに、もう終わったのだろうか。
いや、それはないだろう。
ぼくの中の常識では紅葉が終わると、あとは散るばかりで、緑に色づくなどということはない。
ということは場所が違うのだろう。

ぼくたちはいったん茶店のところまで戻り、その場所を探してみた。
だが、周りの山の中にも、赤く染まっているところはない。
しかたなく、帰路に就いたわけだが、何か釈然としないものがあった。
テレビで見た、あの赤く染まった風景は何だったのだろう。
確かにテロップでは秋月となっていたし、レポーターもそう言っていた。

その二年前の疑問がようやく解けたのだ。
実は先日テレビを見ていて知ったのだが、秋月の紅葉はこの時期ではなく、もう少し後らしいのだ。
11月下旬から12月にかけてらしい。
つまり二年前、あと一週間ほど遅らせて行けば、『紅葉の名勝』にお目にかかることが出来たわけだ。
ということは、テレビは「紅葉すればこうなります」と、その前の年あたりの画像を見せていたのだろう。
画像だけ見て、早とちりしていたわけだ。



久しぶりの大分行き

12日の日記にも書いたが、明日は耶馬渓に紅葉を見に行くことになっている。
その日の日記に『問題は、果たしてそれまで紅葉が持つかどうかだ』と危惧していたのだが、昨日一昨日のテレビで「耶馬渓は今紅葉のピークです」と言っていた。
明日は天気も良さそうだし、絶好の紅葉日和になりそうだ。

しかし大分に行くのも久しぶりである。
前回行ったのが昨年の8月だったから、1年3ヶ月ぶりということになる。
以前は毎月のように大分に足を運んでいたものだ。
一番多く行ったのが九重で、たまに湯布院や竹田などにも足を伸ばしていた。

うちから大分に行くには、だいたい三つのルートを通ることになる。
一つは熊本から入るルートで、熊本までは高速を利用する。
阿蘇によく行っていたので、帰りに大分県を抜けるのである。
まあ、素通りルートといったところか。
もう一つは、飯塚経由で日田に抜けるのだが、この道は湯布院や黒川温泉に直接行く時によく利用したものだ。
途中有料道路などなく、一番経済的なルートだった。

さて、もう一つが問題の東九州ルートである。
都市高速で小倉南まで行き、そこから10号線に出て、中津に入るルートで、別府や耶馬渓に行く時に利用していた。
このルートが距離的に言えば一番近い。
が、感覚的に言えば、熊本に出るよりもずいぶん遠く感じる。
おそらく小倉から行橋までの渋滞と、それから先の風景がずっと同じようなものであるからだろう。
このルートには、有料道路が一ヶ所ある。
その同じような風景の途中にあるのだが、これが将来東九州道の一部となるらしい。
が、それがいつ出来るのかはわからない。

その東九州道だが、かなり以前からその計画がったように記憶している。
しかし、いまだ手つかずの状態のようだ。
これが出来ると、大分はもちろん、宮崎も近くなる。

以前、10号線を通って宮崎に行こうとしたことがある。
ところが、何時間走っても大分を抜けないのだ。
「えらく大分は長いなあ」と思っていると、急に道が狭くなった。
そこでようやく道を間違えていたのに気がづいた。
後戻りして、再び10号線に乗ったのだが、相変わらず大分が長く感じる。
ようやく宮崎県に入ったのだが宮崎市は遙か向こうである。
結局、延岡まで行ったところで、宮崎行きは断念し、高千穂経由で帰ったのだった。

地図で見てもわかるように、北九州からだと宮崎はただ南下すればいいだけなのである。
が、実際には、かなり時間がかかるのだ。
そのため、九州道を利用することになるのだが、わざわざ熊本経由で行くのは不自然である。
それゆえに早く完成させてもらいたいものだ。

ということで、明日は東九州ルートを通って耶馬渓に行く。
したがって明日の日記は、久しぶりのドライブ日記になるだろう。



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