ちなみに、Y運送のバイト仲間のうち、二人はもうこの世にいない。
一人はKさんだが、もう一人はWさんという方である。
WさんはKさんの友人だった。
この方はKさんよりも早く亡くなっている。
死因は白血病だった。
一方の女性陣だが、Uさんは結婚してから数年後に、ご主人と死別した。
Oさんは、Kさんの死後、年下の男とつきあい始め、そのまま結婚に至ったのだが、ご主人の実家との折り合いが悪く、ノイローゼになったと聞いた。
どちらもその後は消息不明である。
かく言うぼくも、それから数年後につき合いだした嫁さんとは、すんなり結婚に至ったわけではない。
いろいろと紆余曲折があり、結局籍を入れるまでに15年の時間がかかっている。
つまり、その後は誰一人、あの頃自分の描いた幸せな人生を送ってないわけだ。
さて、成人の日の祝成人会も終わり、ぼくは再びY運送以前の生活、そう恋と歌の旅に戻ったのだった。
恋のほうはといえば、X子やOさんのことは、すでにぼくの中では終わったことになっており、恋の主題は、また高校時代の憧れの人に戻っていた。
やはり忘れられないのである。
というより、運命が忘れさせてくれなかったのだろう。
結局その状態が、今の嫁さんとつき合うまで続くのだから、運命はその後5年間も彼女のことを忘れさせてくれなかったわけだ。
まあ、恋のことはさておき、問題は一方の歌のほうだ。
アルバイトの間、ぼくは歌うことは歌っていた。
だが、それは歌と言うにはほど遠かった。
いつも大声を張り上げていただけだったのだ。
おかげで、声はかすれるわ、のどは痛いわでさんざんな目にあった。
つまり、歌と言いながら、声を潰すようなことを繰り返していただけだったわけだ。
また、Y運送でアルバイトしている間は、その疲れと度重なる飲み会で、歌作りなど出来る状態ではなかった。
当然、その間に作った歌は一曲もない。
ということで、しばらくの間家に籠もって、そのブランクを取り戻そうということになった。
ところが、気がつくと、ぼくは家でじっとしている生活が耐えられない性格になっていたのだ。
最初の二、三日は何ということはなかったのだが、それを過ぎる頃から落ち着かなくなった。
「外に出たい」という気持ちが強くなったのだ。
そう、ぼくは前年の5月から続いた『ひきこもり症候群』から、完全に脱出することができたわけだ。
もちろん、その2ヶ月後からアルバイトをやっているから、すでにその時点で『ひきこもり症候群』は終わったはずだったのだが、そうではなかった。
それはあくまでも、母や友人から尻を叩かれて、嫌々外に出ていただけのことで、精神的には『ひきこもり症候群』はまだ続いていたのだ。
ここに来て、ようやく自分から「外に出よう」という気持ちになったわけだ。
そして、この「外に出たい」という気持ちが次のアルバイトを探させ、さらにその気持ちは東京に目を向けさせることになる。
結局、歌のほうは、次のアルバイトが終わるまで、お預けとなった。
一人はKさんだが、もう一人はWさんという方である。
WさんはKさんの友人だった。
この方はKさんよりも早く亡くなっている。
死因は白血病だった。
一方の女性陣だが、Uさんは結婚してから数年後に、ご主人と死別した。
Oさんは、Kさんの死後、年下の男とつきあい始め、そのまま結婚に至ったのだが、ご主人の実家との折り合いが悪く、ノイローゼになったと聞いた。
どちらもその後は消息不明である。
かく言うぼくも、それから数年後につき合いだした嫁さんとは、すんなり結婚に至ったわけではない。
いろいろと紆余曲折があり、結局籍を入れるまでに15年の時間がかかっている。
つまり、その後は誰一人、あの頃自分の描いた幸せな人生を送ってないわけだ。
さて、成人の日の祝成人会も終わり、ぼくは再びY運送以前の生活、そう恋と歌の旅に戻ったのだった。
恋のほうはといえば、X子やOさんのことは、すでにぼくの中では終わったことになっており、恋の主題は、また高校時代の憧れの人に戻っていた。
やはり忘れられないのである。
というより、運命が忘れさせてくれなかったのだろう。
結局その状態が、今の嫁さんとつき合うまで続くのだから、運命はその後5年間も彼女のことを忘れさせてくれなかったわけだ。
まあ、恋のことはさておき、問題は一方の歌のほうだ。
アルバイトの間、ぼくは歌うことは歌っていた。
だが、それは歌と言うにはほど遠かった。
いつも大声を張り上げていただけだったのだ。
おかげで、声はかすれるわ、のどは痛いわでさんざんな目にあった。
つまり、歌と言いながら、声を潰すようなことを繰り返していただけだったわけだ。
また、Y運送でアルバイトしている間は、その疲れと度重なる飲み会で、歌作りなど出来る状態ではなかった。
当然、その間に作った歌は一曲もない。
ということで、しばらくの間家に籠もって、そのブランクを取り戻そうということになった。
ところが、気がつくと、ぼくは家でじっとしている生活が耐えられない性格になっていたのだ。
最初の二、三日は何ということはなかったのだが、それを過ぎる頃から落ち着かなくなった。
「外に出たい」という気持ちが強くなったのだ。
そう、ぼくは前年の5月から続いた『ひきこもり症候群』から、完全に脱出することができたわけだ。
もちろん、その2ヶ月後からアルバイトをやっているから、すでにその時点で『ひきこもり症候群』は終わったはずだったのだが、そうではなかった。
それはあくまでも、母や友人から尻を叩かれて、嫌々外に出ていただけのことで、精神的には『ひきこもり症候群』はまだ続いていたのだ。
ここに来て、ようやく自分から「外に出よう」という気持ちになったわけだ。
そして、この「外に出たい」という気持ちが次のアルバイトを探させ、さらにその気持ちは東京に目を向けさせることになる。
結局、歌のほうは、次のアルバイトが終わるまで、お預けとなった。