頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

日記

頑張る40代!(最終回)

さて、最初は1年も続けばいいと思っていたこの日記も、気がつけば1年が過ぎ、2年が過ぎ…、とうとう7年経ってしまった。
あの頃は、まさか50歳になる前日、つまり今日まで日記を書いているなんて思わなかった。

いつの日記だったか、50歳の誕生日の前日まで、この日記を休まずに書き続けると宣言したことがある。
そう宣言することで、自分を追い込んだのだ。
なぜそんなことをしのかというと、それまでのちゃらんぽらんな人生に区切りを付けたかったからだ。

それまでぼくは、何一つものに出来たものがなかった。
仕事もそうだったし、ギターや歌にしてもそうだった。
いいところまでは行くのだけど、なぜかいつも中途半端だったのだ。
そこで、何でもいいから、簡単に始められて、継続していけるものはないかと探していた。

そういうときに見つけたのが、ウェブ日記だった。
日記なら、若い頃に続けて書いていた経験がある。
しかも、ウェブであるから人からも読まれる。
実は、ぼくは若い頃に、自分の書いた文章を公表するという夢を持っていたのだ。
だから、これは好都合だった。

さっそく日記を書き始め、やっていくうちに「自分は文章を書くことが、わりと好きなんだ」ということがわかってきた。
そして、それが自信に繋がり、先の宣言になったわけだ。

しかし、そう宣言してしまうと、嫌でもやり遂げなければならない。
そうそうネタは転がっているわけではないし、こちらの体調の悪い時だってある。
そんな中で、無理してでも書いていけたのは、やはり読んでくれる方々の後押しがあったからだ。
もし誰も読んでくれなかったとしたら、早い段階でやめていたことだろう。
それゆえに、この日記に付き合ってくれた方々には、本当に感謝しております。
この場を借りて、御礼申し上げます。
ありがとうございました。

ところでこの日記のタイトルだが、過去に何度か替えている。
しかし、結局は『頑張る40代!』というタイトルに戻してしまった。
なぜそうしたかというと、この日記を、ぼくの40代の遺産にしたいと思うようになったからだ。
40代の遺産に、『吹く風』だとか、『ショートホープブルース』だとか、『空を翔べ!』だとかは似合わない。
やはり『頑張る40代!』しかない、と思って元に戻したのだ。

とはいえ、遺産と呼ぶためには、タイトルだけではなく、中身も伴っていなければならない。
その中身というのが、実はこの日記の元々のテーマなのである。
この日記のテーマは何かというと、40代の最終日まで頑張って日記を書き続けることだ。
それでもって初めて遺産として完成するわけだ。

ということで、『頑張る40代!』という遺産が、今完成いたしました。



この日記を始めた頃

この日記を始めた頃は、エンピツという日記のサイトを利用していた。
そこのエディタに直接日記を書き込んで、そのままアップしていたのだ。
最初の頃は文章も短かったし、これといった支障もなかった。
ところが、日記を書くことに慣れ、長い文章を書くようになってから、いろいろと支障が出てきた。

時々書いている途中にパソコンが固まったり、誤ってブラウザを消してしまったりするようになったのだ。
いや、それまでも何度かそういうことはあった。
だが、文章が短かったから、書き直すのも簡単だった。
そのため、それほど気にしなかったのだ。

だが、長い文章の場合は、そうはいかない。
「あと少しで終わり。これで寝れる」と思っていたところでフリーズなんかすると、真剣にパソコンをぶち壊したくなったりもした。
まあ、そうすることも出来ないので、一から書き直しをすることになるのだが、内容は覚えているものの、言葉の言い回しなんかがなかなか思い出せないのだ。
そこでまた言葉と悪戦苦闘するようになる。
そのせいで寝るのがかなり遅くなった。

これは何とかしないとと思い、エディタ探しを始めたのが、日記を書き始めて1年が過ぎた頃だった。
無料有料問わず、その当時あったエディタはほとんど試してみた。
だが、なかなか満足のいくソフトが見つからない。

そういう時だった。
雑誌を読んでいると、『紙』というソフトのことが載っていた。
文章を書き込むと同時に自動保存してくれる、という優れものだということだった。
さっそくぼくは、そのソフトを仕入れてみた。
なるほど優れものである。
途中でフリーズしようが、誤って電源を切ろうが、書いたところまではちゃんと保存してくれているのだ。

それ以来ずっと、ぼくは『紙』を使っている。
まず『紙』に下書きしておいて、それを日記エディタに貼り付けるのだ。
そうすることで、書き直さなくてすむようになった。
で、寝不足は解消されたのかというと、されなかった。
書き直しをしなくてよくなったために、気持ちがだれてしまったのだろう。
集中力に事欠くようになり、書くのが極端に遅くなってしまったのだ。



陸上競技場

うちの近くに陸上競技場がある。
福岡国体の時に出来たから、比較的新しい競技場である。
かつてはJリーグの試合もやっていたが、最近はそういう話を聞かないから、廃れた競技場になったのかと思っていた。
ところが、どうもそうではないようだ。
日曜日にはいつも何か試合をやっているらしく、先々週は市内の中学の陸上大会、先週はサッカー九州リーグの決勝をやっていた。

ということで、その近くを歩いていたら、今日も競技場から声援が聞こえてきた。
応援の仕方からするとサッカーだ。
競技場の周辺には、たくさんの高校のバスや貸し切りバスが停まっていた。
そのほとんどが県南部の高校のもので、中には東福岡や筑陽といった全国大会に出場した高校のバスもあった。
ちょうどぼくが行った頃は、東福岡が試合をしていたようだ。
競技場の隙間から、有名な赤いユニホームが見えていた。



ようやく読書した

一昨日書いた「ありがとう」とか「感謝します」とか言っていたらいいことが起きるようになるという件だが、何となく理屈がわかってきた。

「楽しい、楽しい」と言っていると本当に楽しくなったり、どんな質素な食事でも「おいしい、おいしい」と言って食べると、本当においしくなったりするが、それと同じことだ。
つまり、「ありがとう」と言っていると、本当に「ありがとう」と言いたくなるようなことが起きるということだ。
きっと潜在脳なるものが、そういうものを誘導してくるのだろう。

その本の中には、「(願い事が)叶いました。ありがとう」とすでに叶ったように言うと、本当に願い事が叶うとも書いてあったが、それも同じ理屈である。

その本を初めて読んだのが、昨年の6月だったから、1年5ヶ月して、ようやく理解できたことになる。
本というのは、こういうふうに納得できて、初めて読んだということになるのだと、何かの本に書いてあったが、50歳を前にして、ようやくそういう読み方が出来たということか。
今までの膨大な読書は、いったい何だったのだろう。



夢が叶うかも

一年前、「ありがとう」とか「感謝します」とか言っていたらいいことが起きるようになる、と書かれた本を読んたのだが、それ以来ぼくは素直にそれを実行している。

最初は別にこれといった変化はなかった。
特に思い入れもなかったので、それについて疑問など感じなかった。
ただ、それを言っている間は、余計なことを考えなくてすむので、何となく心地よかった。
それで充分だったわけだ。

ところが、どういう変化があったのかは知らないが、例えば嫌なことがあっても、「幸運の前触れはこういうもんだ」などと自然に前向きな受けとめ方が出来るようになった。
さらに最近は、ポイントサイトとかで、予想が的中したり、ゲームで当たりが出るようにもなってきた。
これまでクジ運が悪いと思っていただけに、この変化は嬉しい。

これからドンドンこういう事が起きるのかなと思っていたら、今日、以前応募していた懸賞が当たった。
賞品は魚沼産のコシヒカリ(新米)である。
何の前触れもなく送ってきたので、うれしさ倍増だった。

そういえば、昨日も新米をもらったのだが、これもまた予期しないもらいものだったので、うち中で喜んでいた。
やはり「ありがとう」効果なのだろうか。
もしそうであれば、近々夢も叶うことだろう。
いや、叶うに違いない。
ありがとうございます。



記事検索
RSS
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ