頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2007年11月

頑張る40代!(最終回)

さて、最初は1年も続けばいいと思っていたこの日記も、気がつけば1年が過ぎ、2年が過ぎ…、とうとう7年経ってしまった。
あの頃は、まさか50歳になる前日、つまり今日まで日記を書いているなんて思わなかった。

いつの日記だったか、50歳の誕生日の前日まで、この日記を休まずに書き続けると宣言したことがある。
そう宣言することで、自分を追い込んだのだ。
なぜそんなことをしのかというと、それまでのちゃらんぽらんな人生に区切りを付けたかったからだ。

それまでぼくは、何一つものに出来たものがなかった。
仕事もそうだったし、ギターや歌にしてもそうだった。
いいところまでは行くのだけど、なぜかいつも中途半端だったのだ。
そこで、何でもいいから、簡単に始められて、継続していけるものはないかと探していた。

そういうときに見つけたのが、ウェブ日記だった。
日記なら、若い頃に続けて書いていた経験がある。
しかも、ウェブであるから人からも読まれる。
実は、ぼくは若い頃に、自分の書いた文章を公表するという夢を持っていたのだ。
だから、これは好都合だった。

さっそく日記を書き始め、やっていくうちに「自分は文章を書くことが、わりと好きなんだ」ということがわかってきた。
そして、それが自信に繋がり、先の宣言になったわけだ。

しかし、そう宣言してしまうと、嫌でもやり遂げなければならない。
そうそうネタは転がっているわけではないし、こちらの体調の悪い時だってある。
そんな中で、無理してでも書いていけたのは、やはり読んでくれる方々の後押しがあったからだ。
もし誰も読んでくれなかったとしたら、早い段階でやめていたことだろう。
それゆえに、この日記に付き合ってくれた方々には、本当に感謝しております。
この場を借りて、御礼申し上げます。
ありがとうございました。

ところでこの日記のタイトルだが、過去に何度か替えている。
しかし、結局は『頑張る40代!』というタイトルに戻してしまった。
なぜそうしたかというと、この日記を、ぼくの40代の遺産にしたいと思うようになったからだ。
40代の遺産に、『吹く風』だとか、『ショートホープブルース』だとか、『空を翔べ!』だとかは似合わない。
やはり『頑張る40代!』しかない、と思って元に戻したのだ。

とはいえ、遺産と呼ぶためには、タイトルだけではなく、中身も伴っていなければならない。
その中身というのが、実はこの日記の元々のテーマなのである。
この日記のテーマは何かというと、40代の最終日まで頑張って日記を書き続けることだ。
それでもって初めて遺産として完成するわけだ。

ということで、『頑張る40代!』という遺産が、今完成いたしました。



印象に残った人たち(後)

(3)
さて、その次に多いのがタマコだ。
アホなくせに口だけは達者な奴だった。
昨年結婚したが、今はどうしているのだろう。
別に会いたくはないが、たまにからかってみたくなることがある。

そういえば、この日記を書き始めた頃に、甘栗ちゃんという変な子がいた。
顔はかわいかったのだが、微妙にピントがずれていた。
天然なのかと本人に聞くと「いいえ、地です」と言ったり、「小泉首相」のことを「小泉しゅそう」と言ったり、三波春夫を加山雄三だと思っていたり…、おかげでずいぶん楽しい思いをさせてもらったものだ。
タマコと違って、この子は見ているだけで面白かった。
そういう意味で、一番印象に残っているのは、甘栗ちゃんなのかもしれない。



印象に残った人たち(前)

(1)
昼間、この日記を綴っていた間、一番印象に残ったのは誰だろうと考えていた。
日記を書く以前は、モリタ君という凄い方がおられた。
だが、この日記を書く頃には、彼はぼくの中でも過去の人になっていた。

最近では、ヒロミちゃんか?
とにかく、この日記最高の登場回数39回を誇る。
ただ、この人とは30年近くの付き合いがあるから、当然日記以前の知り合いだ。
ということで、却下。

次に多いのが嫁ブーだが、これも却下。
これは生活上の登場に過ぎないからだ。

(2)
次に多いのが誰かというと、酔っ払いのおいちゃんだ。
店に来ては、お客さんにクダを巻く。
冬場は店に居座ってなかなか帰ろうとしない。
挙げ句の果ては寝小便だ。
まあ、そういうのがこの人の地なら目も瞑ったのだが、実はこのおいちゃん、えらく計算高い人だったのだ。

雨の降る夜には、警察署の前でさんざん悪態をつき、相手にされないとわかると死んだふりをしたりして、留置場に泊めてもらおうとする。
また、従業員何人かで抱えて外に放り出したことがある。
その時酔っ払っているはずのおいちゃんは、放り投げようとするぼくたちに向かって、静かな声で「そおっと置け」と指示したのだ。

あとで気づいたことだが、おいちゃんの行動は、ほとんどがパフォーマンスだった。
つまり、酔っ払ったふりをしていただけなのだ。
なぜそんなことをやっていたのかというと、要は一人で寂しいから、誰かに構ってもらいたかったということなのだろう。
それならそういう態度でいればいいものを、変に我を張るもんだから誰にも相手にされなくなり、結局ああいうパフォーマンスでしか自分の存在を示すことが出来なくなったのだ。

おいちゃんは、すでに故人である。
おそらく死んでから、自分の過ちに気づかされたのではないのか。
で、今はあの世で反省しているところだろう。



この日記を始めた頃

この日記を始めた頃は、エンピツという日記のサイトを利用していた。
そこのエディタに直接日記を書き込んで、そのままアップしていたのだ。
最初の頃は文章も短かったし、これといった支障もなかった。
ところが、日記を書くことに慣れ、長い文章を書くようになってから、いろいろと支障が出てきた。

時々書いている途中にパソコンが固まったり、誤ってブラウザを消してしまったりするようになったのだ。
いや、それまでも何度かそういうことはあった。
だが、文章が短かったから、書き直すのも簡単だった。
そのため、それほど気にしなかったのだ。

だが、長い文章の場合は、そうはいかない。
「あと少しで終わり。これで寝れる」と思っていたところでフリーズなんかすると、真剣にパソコンをぶち壊したくなったりもした。
まあ、そうすることも出来ないので、一から書き直しをすることになるのだが、内容は覚えているものの、言葉の言い回しなんかがなかなか思い出せないのだ。
そこでまた言葉と悪戦苦闘するようになる。
そのせいで寝るのがかなり遅くなった。

これは何とかしないとと思い、エディタ探しを始めたのが、日記を書き始めて1年が過ぎた頃だった。
無料有料問わず、その当時あったエディタはほとんど試してみた。
だが、なかなか満足のいくソフトが見つからない。

そういう時だった。
雑誌を読んでいると、『紙』というソフトのことが載っていた。
文章を書き込むと同時に自動保存してくれる、という優れものだということだった。
さっそくぼくは、そのソフトを仕入れてみた。
なるほど優れものである。
途中でフリーズしようが、誤って電源を切ろうが、書いたところまではちゃんと保存してくれているのだ。

それ以来ずっと、ぼくは『紙』を使っている。
まず『紙』に下書きしておいて、それを日記エディタに貼り付けるのだ。
そうすることで、書き直さなくてすむようになった。
で、寝不足は解消されたのかというと、されなかった。
書き直しをしなくてよくなったために、気持ちがだれてしまったのだろう。
集中力に事欠くようになり、書くのが極端に遅くなってしまったのだ。



陸上競技場

うちの近くに陸上競技場がある。
福岡国体の時に出来たから、比較的新しい競技場である。
かつてはJリーグの試合もやっていたが、最近はそういう話を聞かないから、廃れた競技場になったのかと思っていた。
ところが、どうもそうではないようだ。
日曜日にはいつも何か試合をやっているらしく、先々週は市内の中学の陸上大会、先週はサッカー九州リーグの決勝をやっていた。

ということで、その近くを歩いていたら、今日も競技場から声援が聞こえてきた。
応援の仕方からするとサッカーだ。
競技場の周辺には、たくさんの高校のバスや貸し切りバスが停まっていた。
そのほとんどが県南部の高校のもので、中には東福岡や筑陽といった全国大会に出場した高校のバスもあった。
ちょうどぼくが行った頃は、東福岡が試合をしていたようだ。
競技場の隙間から、有名な赤いユニホームが見えていた。



記事検索
RSS
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ