頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2006年06月

うまい!!

前に手塚治虫の『鳥人大系』というマンガを読んだことがある。
鳥が知恵をつけ、人間に取って代わって、地球上の支配者になる話だった。
そこに興味深い話が書いてあった。
食肉鳥を祖先にもつ鳥人の話だった。
その時代の鳥人は、すでに理性も道徳も備わっていて、法律で鳥人を食べるのを禁じていた。
もし食べてしまうと極刑に処せられるのだ。
ところが、主人公の鳥人はひょんなことから、殺人(?)を犯し、いけないこととは知りながらも、その肉を食べてしまう。
そして主人公は「う…うまい!!」と口走るのだった。

これはマンガでの話だが、果たして本物の食肉鳥は、他の鳥の肉を食べた時、「うまい」などと思っているのだろうか?
いや鳥だけではない。
例えばネコもそうだ。
ネズミを食べる時、「うまい」と思っているのだろうか?

ぼくが小学生の頃、家でヒヨコを飼っていたことがある。
えらくぼくに懐いていて、ぼくのそばから離れようとしなかった。
ぼくがゴキブリや蝿などを殺すと、「ピーピーピー」と歓喜の声を上げて走ってきた。
そして、それらを一気に口の中に入れていたものだったが、果たしてうまかったのだろうか?

いや、それはぼくの考えすぎで、実際は単に腹が減っていただけで、餌を与えてもらったから「ピーピーピー」と歓喜の声を上げたのかもしれない。
しかし、ぼくが小学校から帰ってきた時の喜びようとは、ちょっと喜び方が違っていた。
ぼくが帰ってきた時は、ただ「ピヨピョ」と言って寄ってくるだけで、「ピーピーピー」などと歓喜の声は上げなかったのだ。
そのへんが、どうもよくわからない。
まあ、そんなことはどうでもいいと言えば、それまでなのだが。

ところで、そういう生き物を食べて生きている彼らが、人間が調理したものを食べた時は、どう感じるのだろうか?
例えばワシやタカなどがスパイスのきいた唐揚げを食べたとしたら、例えばカモメやサギなどがサバの味噌煮を食べたとしたら、いったいどう感じるのだろうか?
やはり「うまい!!」と感じるのだろうか?
それとも「こんなの食えんぞ」と思って、唐揚げや味噌煮を放棄するのだろうか?
考えだすと切りがない。



犬は犬しか見ていない

以前、仕事でお客さんの家にチラシを配りに行っていたことがある。
まあ、チラシ配りといっても、お客さんにチラシを手渡しするわけではなく、ただポストに入れるだけだったのでそんなに嫌な仕事ではなかった。

とはいうものの、一つだけ困っていたことがある。
それは犬である。
ジッと大人しくしていればいいものを、人の姿を見ると必ず吠えてくるのだ。
ぼくは犬が恐いわけではないのだが、それでも吠えられるとドキッとしてしまう。
そこが静かな住宅街だと、不審者と思われるのも嫌だ。
だから、門や玄関に『猛犬注意』などという張り紙がしてある家には、なるべく近づかないようにしていた。

さて、その犬のことだが、ある時、面白いことを発見した。
やはりチラシを配っている時の話だ。
ある家にチラシを入れようとしていたら、突然「ウー」という唸り声が聞こえた。
そこには『猛犬注意』などという張り紙がしてなかったため、つい油断していた。
「あ、やばい」と思った瞬間、大きな犬がダッシュでぼくの目の前に走ってきて、例のごとく「ワンワン」と吠えだした。
幸い、ぼくと犬の間には柵がしてあったため、噛みつかれるようなことはなかった。
が、その大きさに圧倒された。
そこで、さっさとチラシを入れて、そこから立ち去ろうとした。

ところが、ぼくがチラシを入れ終わった時、その犬は元いた場所に戻っていった。
そして、垣根から口だけ出して「ワンワン」吠えだした。
吠える対象はぼくではない。
「おかしいな」と思い、その犬の見ている先を見てみると、そこに一匹の野良犬がいた。
野良犬のほうも、負けじと吠えている。

そこでふと気づいたのだ。
自分が不審だと思った人間にはいちおう吠えるが、それは他に対象がなかった時だけのことだ。
もしそこに他の犬がいたら、不審者なんてもうどうでもよくなるわけだ。
かつて、親戚の家で犬を飼っていたことがあるが、その時も他の犬を見つけると、いくら飼い主が制しても言うことをきかなかった。
つまり、基本的に犬は犬しか見てないということだ。

ぼくは小さな犬が歩いていると、「チ、チ、チ」と呼ぶことがよくあるが、犬のほうはいちおうこちらを見るものの、すぐにそっぽを向いてしまう。
おそらく、「ちっ、人間やないか。人間なんかに用はないわい。それよりも犬はおらんかのう」などと思っているのだろう。



体からバラの香りのするガムが出たらしい

YAHOO!ニュースを見ていると、こんな記事が載っていた。
かんでから1~2時間後に、体からバラの香りがする機能性ガム『オトコ香る。』
毎日新聞の記事である。
何でも、汗とともにバラの香りが体外に放出するらしい。
体臭を気にする人のために作られたガムのようだ。

やはり体臭というのは気になるのかなあ。
ぼくも若い頃には臭いを気にしたことがあるが、それは足の臭いのほうだったから、靴を脱がなければ気にすることはなかった。
それゆえに、普段は臭いについては無頓着だった。

例えば、ワキガの人はどうなのだろうか?
知り合いに何人かいたのだが、全然気にしてないようだった。
自分では気がついてない人が多いというから、全般にそうなのかもしれない。

しかし、周りはたまらない。
夏祭りなんかに行くと、ツーンと鼻をつく臭いがしてくることがあるが、あれはけっこうきついものがある。
もしあの臭いがバラの香りになるのなら…。
まあ、あってもいいガムだろう。
特に御輿を担いだり、山車を引いたりする人には必需品になるのではないだろうか。

ところで、このガムは、体臭をバラの香りに変えるのだろうか?
それとも、体臭にバラの香りがプラスされて出てくるのだろうか?
もし後者なら、想像しただけでも恐ろしい。
バラの香りの中にツーンが含まれているのだから、体調の悪い時には気分が悪くなるかもしれない。

そういえば昨日の昼間チャンポンを食べに行ったのだが、後から来た香水のきついおばさんがエアコンの前に座った。
その臭いが、チャンポンを食べているぼくのところまで飛んできた。
ぼくはチャンポンを半分まで食べていたが、もうチャンポンを味わうどころではなかった。
半分残したままで、さっさと店を出たのだった。
香水を付けている本人はそれでいいのかもしれないが、もっと周りに気を遣えと言いたい。

そのガムをかんだ後にでるバラの香りは、どうなのだろう。
微妙に香るくらいなら許せるけど、先の香水みたいに嫌味な臭いになるとちょっと困る。
こうなれば、実験するしかない。
今、身近に体臭のする人はいないから、足の臭い人に勧めてみることにしよう。
同じ体臭なんだから、効くだろう。



今年最初の珍客

嫁ブーが、バルコニーで干してある洗濯物を取り込んでいる時だった。
突然大きな声で「しんちゃん、来て」と言った。
「どうしたんか?」
「あれ見て、あれ」
「どれ?」
「網戸のところ」
言われるままに見てみると、おお、お客さんがいるではないか。
今年最初の珍客だ。

batta1.jpg

珍客とは、このバッタである。
最初は色が鮮やかだったので、嫁ブーがオモチャか何かを貼り付けていたずらしているのかと思った。
そこでちょっと指で押してみた。
すると動くではないか。

「おい、これ生きとるぞ」
「あたりまえやん」
「てっきり、おまえがいたずらしよるんかと思った」
「いたずらなんかするわけないやん」
「いや、おまえならやりかねん」
「しんちゃんじゃあるまいし」
「しかし、よくマンションの6階まで飛んできたのう」
「うん」
「飛ぶのが専門の蚊とか蝿が飛んでくることが出来んのに、バッタごときがここまで飛べるとは思わん」
「壁伝いに這ってきたんやないと」
「そんなことしたら疲れるやろうが」
「そうやねえ」
「もしかしたら、下の階のバルコニーから順番に飛んできたんかもしれんぞ」
「ああ、なるほど」

その後、パソコンに向かったぼくは、バッタのことをすっかり忘れていた。
2時間くらいたったころ、「そういえば」とバッタのことを思いだした。
「おい、バッタまだおるんか?」
「おるよ」
「そうか」
と、ぼくは先ほど撮った写真の写りが悪かったのを思い出した。
そこで再び携帯を持って、バルコニーに出た。

batta2.jpg

今度はうまくいったようだ。
あっ、嫁ブーまで写ってしまったわい。
まあいいか。



ビートルズ来日40周年

このところラジオを聞く機会が多くなった。
家にいてラジオを聴くことはほとんどないから、それだけ車上の生活が多くなったということだ。

それはともかく、ここ数日ラジオでよくビートルズがかかるようになった。
最初は「何でこの時期に?」と思ったのだが、よく考えてみると、今年はビートルズが来日してちょうど40年ではないか。
おそらくそれを記念してやっているのだろうと思っていると、案の定そうだった。

「またか」である。
実はこういう現象は今始まったことではないのだ。
ぼくが学生の頃にも、『ビートルズ結成10周年』だとか、『解散5周年』だとか、『来日10周年』だとかいったように、何かにつけてビートルズの特集を組んでいたものだ。
さすがにその頃の音楽界は、ビートルズの影響下にあったし、聴いているぼくたちも「かっこいい」という思いを持っていた。

が、さすがに40年もたつと、しかもあの頃と同じような特集を組んでいるのかと思うと、いささかうんざりする。
しかし、そういうふうに感じるのはぼくだけなのかもしれない。
なぜなら、ぼくが作曲を始めた頃に、おそらく一生分のビートルズを聴いたからだ。

あの頃は、寝ても覚めてもビートルズだった。
LP『アビーロード』のB面に入っている、「ポリシーン・パン」から「 シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」に切り替わるところを何度聴いただろう。
「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に何度針を落としただろう。
おかげで、そういうアルバムは、もうボロボロである。
まあ、CDがあるから、聴きはしないのだが。

話を元に戻すと、ぼくがよく聴いているKBCラジオは、今週が『ビートルズ・ウィーク』になっている。
それぞれの番組で必ずビートルズをかけているし、それについてのコメントも入れている。
例えば、昼間の番組では、月曜日のレギュラーおすぎさん(おすぎとピーコのおすぎ)がビートルズについて熱く語っていた。
おそらく中央では、こういうことはしないだろう。

昨日は交通情報で「ドライブ・マイ・カー」をかけていたし、また、天気予報には「オブラディ・オブラダ」をかけていた。
まあ交通情報の「ドライブ・マイ・カー」はわかるものの、天気予報での「オブラディ・オブラダ」はどうかと思う。
やはりこういう時期だから『レイン』、もしくはてるてる坊主感覚で『グッド・デイ・サンシャイン』ではないだろうか。
そういえば、40年前ビートルズがやってきた時、日本は雨が降っていたのではなかっただろうか?
ああ、飛行機到着が台風で遅れたんだった。
で、着陸時の羽田の天気はどうだったのか?
まあ、どうでもいいや。
いずれにしても梅雨時だったのだから。



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