頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2006年03月

3月最後の日記

(1)
最近、いつも晩酌をした後に眠たくなり、そのまま寝てしまうことが多い。
で、日記は、朝6時頃に起き出して書いているのだが、ぼくは元々朝型人間ではない。
そのため、なかなか頭が回ってくれない。
頭が回らないから、テーマがまとまらない。
テーマがまとまらないと、日記が書けない。
書けないのに無理矢理書くから、おかしな内容になってしまう。
しかし、朝であるがゆえに、それを見直したり、修正を加える暇がない。
出勤しなければならないのだ。
と、こういう状況である。

ということで、出来たら夜型に戻したいのだが、それをやると、今度は仕事に支障が出てくる。
困ったことになったものだ。

そこで、いろいろと考えているのだが、しばらくの間、日記を休日だけの更新にしようかとも思っている。
変化のない毎日だし、前の職場のように、ネタもそうそう転がってないのだ。
ちょっと迷っている。

(2)
この間の休みに、地酒を漁りに行った。
お目当ては純米の『西の関』で、当初は一升瓶を買って帰ろうと思っていた。
ところが、いろいろ目移りしてしまい、結局「西の関」を四合に減らして、その分もう一品買うことにした。

買ったのは同じく純米酒で、県産の『庭の鶯(にわのうぐいす)』だった。
ぼくは味利きではないので、味の違いなどはよくわからないが、最初はそれほどうまいとも感じなかった。
ところが、のどごしがいいというのか、これが何杯でもいけるのだ。
飲んでいくうちにおいしさも加わり、瓶はすぐに空になった。
酔い覚めもよかったし、いい酒とはこういう酒のことを言うのだろう。



還暦デビュー?

ぼくが中学生の頃まで、隣の家にミノルという子が住んでいた。
ぼくより3つ年下で、ぼくの弟分的存在だった。
ミノルはいつもぼくの後を追ってきた。
ぼくが柔道を習うと、同じく柔道を始める。
高校もぼくの行った高校を選んだし、ぼくの影響からなのかギターも始めた。
そのため何度か、デモテープ作りに参加させたこともある。
その後は、お互い仕事が忙しくなったせいもあり、あまり会うことがなくなった。

さて、昨年末のある日のことだった。
そのミノルから久しぶりに電話があった。
「しんちゃん、おれ会社辞めた」
「辞めた…、どうしたんか?」
「面白くないんよ」
「辞めて、これからどうするんか?」
「今のところ何もないんよ。しんちゃんところ募集してない?」
「あるわけないやんか。人減らしよるのに」
「ああ、そう…。他に何か心当たりあったら教えて」
「わかった。あったら連絡する」
そう返事して電話を切ったのだが、そうそう就職などあるわけがない。
あったら、こちらが世話して欲しいくらいである。
ということで、その後何も連絡せずにいた。

2日前のこと。
風呂から上がって、携帯電話を見ると、画面に『着信あり』の文字があった。
誰からだろうと見てみると、ミノルからだった。
こちらから電話してみると、今度はあちらが出ない。
しかたなく切ったのだが、その後しばらくしてからミノルから電話が入った。
受話器の向こうはえらく賑やかである。
「もしもし、しんちゃん?」
「おう。どうしたんか?」
「おれ今、焼鳥屋でバイトしよるんよ」
「焼鳥屋で?」
「うん。飲みに来て」
「おまえ大丈夫か?焼鳥屋のバイトくらいじゃ生活できんやろうが」
「いいんよ。昼間は電話会社で仕事しよるけ」
「社員か?」
「いや、そこもバイト」
「そうか…」

「まだギター弾きよると?」
「最近また弾きだした」
「ねえ、還暦デビューしようや」
「還暦…?」
「うん。今からでも遅くないっちゃ。『月夜待」とかいい歌があったやん」
「まあ、ネットでそういう歌の配信しよるけど」
「やろうや」
「やるのはいいけど、おまえはギター弾きよるんか?」
「いいや。おれ、サックスがいいもん」
「サックス…?」
「うん」
「わかった。サックスでも何でもいいけ、練習しとけよ。その時は呼んでやるけ」
「わかった」

サックスと『月夜待』…。
ちょっとイメージが違う。

しかし、何で還暦デビューなのだろうか。
あと10年以上もあるではないか。
こちらは今日明日の話をしているのに、いったい何を考えているのだろう。



帰らしておくれ

前にオリジナル曲が200曲近くあると書いたが、その中にはどうでもいい曲や、心情的にこの先歌うことがないと思われる曲もある。
今日、ブログ「空を翔べ!」で『いつまでも続く階段』という曲を公開したのだが、この曲もそういうものの一つである。

この曲は『いま』と同じく、高校3年に作ったものだ。
作ったのは夏休みの終わり頃だった。
夏休みには、高校最後の柔道の試合や、2年時の同級会キャンプなどがある。
また文化祭に向けてバンドの練習もしなければならない。
と、いろいろとスケジュールが詰まっていた。

ところが、同級会キャンプが終わった頃から、何となくかげりが見えてきた。
それまで順調にいっていたバンド練習だったが、その頃を境にメンバーの集まりが悪くなったのだ。
一人減り二人減りである。
どうしてそうなったのかという理由はわかっている。
それは受験である。
みんな焦っていたのだ。
それゆえに強要も出来なかった。
結局最後には焦ってない2人だけが残り、そのままバンドは解散してしまった。

この歌を作ったのは、そういう面白くない時期だった。
期待していた高校最後の夏休みが、こんなことで終わるとは思ってもいなかった。
出来たら受験も何もなかった1年前に戻りたい。
そういう思いが、この歌を作らせたのだろうと思う。

こういう背景を持っている歌を、ぼくは基本的には歌わない。
どうしても、その時のやるせない気持ちを思い出してしまうからだ。

そういう歌をなぜ録音したのかというと、今日ふとこの歌詞を読んでみると、どうも今の心境と同じに思えたのだ。
長年やってきた仕事から離れ、どうも面白くない。
かといって、何が出来るわけでもない。
そういうやるせない気持ちが、何かあの頃と似ているのだ。
そういう気持ちの時に、この歌を歌ったら、どういう感じになるのだろうと思って、録音してみたわけだ。

結果は聞いての通りです。
この歌を聴いて、ぼくのやるせなさがわかってくれたら、嬉しく思います。

ところで、『帰らしておくれ』というのは方言なんですね。
今まで気がつかなかった。



整骨院に行く(後)

「他に痛いところはありますか?」
「ああ、肩も痛いんです」
「重たい物を持ったせいですか?」
「いえ、去年五十肩になったんですよ。それがまだ完全に治ってないみたいで…」
「五十肩ですかぁ。あれは痛いらしいですねえ…」
「痛いどころじゃないですよ。腕が上がらんとですからねえ」

「で、今は上がるんですか?」
「無理して上げてましたから、上がるのは上がりますよ」
「無理して?」
「ええ。痛くても我慢して腕を上げるようにしないと、固まってしまって上がらんようになると言われたんですよ」
「ああ、それは間違ってます」
「えっ?」
「痛い時は絶対無理したらいけません。痛いのを我慢して無理な運動したら逆効果なんですよ。固まっても、あとで治せばいいんですから、無理をしないことが一番です」
「そうなんですか…」
「ええ、そういう迷信みたいなことを信じたらいけません」

そのあと、低周波治療や温熱治療を行ったあと、もう一度先生の診察を受けた。
先生は、ぼくを仰向けに寝させ、ぼくの右脚を抱えてまっすぐに伸ばしたまま前に曲げた。
次にその脚を曲げて、横に捻った。
今度は左脚で同じことをやった。

しばらくそういうことを繰り返したあと、先生はおもむろに言った。
「痛みの原因がわかりましたよ」
「えっ、何ですか?」
「それは、体が硬いんですよ」
「ああ、それはありますね」
「だからちょっと無理すると、筋や筋肉に影響が出るんですよ」

思い当たる節がある。
元々ぼくは体が硬かった。
それゆえに、運動をやっていた学生時代には、いつも柔軟運動だけは避けていた。
それがまた体を硬くする原因でもあったのだ。
ちょっと激しい運動をすると、体の節々が痛くなり、それがいつまでも尾を引く。
社会に出てからは、柔軟運動以外の運動もしなくなったため、さらに体の硬化が進んだのだろう。
そのあげくが腰痛や背中痛である。

「寝る前に柔軟体操やってください」
「柔軟体操ですか…」
「少しやるだけでも効果がでますよ」
「そうですか…」
「じゃあ、今日から体をほぐしましょう」

ということで、ぼくはストレッチボードなるものに乗せられることになったのだ。
これをやると、ふくらはぎや太ももが張ってかなり痛い。
それに加えて、前屈や横曲げをしろと言うだからたまらない。
『整骨院=楽、気持ちいい』という図式を描いていたぼくにとって、それは苦痛以外の何ものでもなかった。



整骨院に行く(前)

先週の木曜日の午前中のことだった。
嫁ブーと二人で、近くの喫茶店にモーニングを食べに行った。
食べ終わったあと、そこでイスに寄りかかって新聞や本を読んでいたのだが、その姿勢が悪かったのか、背中に違和感を覚えた。
「おかしい」と思って体を前後左右に揺すってみた。
その瞬間だった。
激痛が走ったのだ。
背筋が攣ったような痛みで、その時は息も出来ないほどだった。

しばらくして何とかその痛みは治まり、何とか家に帰ることは出来たのだが、体を捻ったりするとやはり痛い。
その状態はその後も続き、寝返りをうった時にその痛みで目を覚ますこともある。
そういう状態がいつまでも続くと、また寝不足になり、仕事にも差し支えるし、また尿潜血などの諸症状が出ると困る。。
そこで意を決して、整骨院に行くことにした。

午前中に買い物をすませ、整骨院に行ったのは午後からだった。
「今日はどうされましたか?」
「はあ、背中が痛いんです」
「何かされたんですか?」
「いや、座っていただけです」
「座っていて背中が痛くなったんですか?」
「はい…」
「よほど座り方が変だったんでしょうねえ…」

そう言って先生は、ぼくの背中を軽く押さえた。
「痛みますか?」
「ええ、ちょっと」
「特に骨がずれているとかはなさそうですが…」
「そうですか」
「他に痛いところとかありますか?」
「腰ですね。慢性化してますから」
「腰痛ですか。ちょっとうつぶせになって寝てみてください」

言うとおりにうつぶせになって寝ると、先生は背中の時と同じように軽く腰を押さえた。
「いつから痛かったんですか?」
「20年以上前からです」
「えっ、20年以上も前なんですか?」
「ええ」
「何か重たい物を持つような仕事なんですか?」
「そうです。大型テレビとかエアコンの室外機とか」
「ああ、電気屋さんですか」
「ええ。電気屋関係の人は、ぼくと同じように腰の悪い人が多いですよ」
「へえ、そうですか」
「ええ。業界では電気腰とか言ってます」
「電気腰ですかぁ、初めて聞きました」

先生はしばらくぼくの腰を揉んだあとに言った。
「別に悪くないですよ」
「えっ?」
「骨は正常ですよ。もし痛いのなら、それはストレスじゃないんですか?」
「ストレスで腰痛になるんですか?」
「ええ、なりますよ。ストレスが腰の神経を圧迫するんですね」
「そうなんですか」
ストレスが腰の神経を圧迫するなんて初めて聞いた。



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