頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2006年02月

ユリちゃん2

「しんちゃん、チューしよ、チュー」
昨日のことだった。
今働いている店のメンバーでやる、おそらく最後になるであろう飲み会が行われた。
会は大いに盛り上がったものの、その間2時間と最後にしては短いものだった。

さて、冒頭のセリフだが、これは誰が言ったのかというと、ユリちゃんである。
例のごとく酔っぱらってしまい、誰彼なく抱きついていた。
最後に来たのがぼくの座っているテーブルだった。
ユリちゃんはぼくの横に座ると同時に、「しんちゃーん」と言って抱きついてきた。
そして二度、上のセリフを言ったのだった。

「チューなんか、せんでください」
「いいやん、チューしよ」
「だめ」
「うーん」
と言って、ぼくのほっぺたに唇を押しつけてきた。
「あー、もう…」
ぼくはそのテーブルにいた他の人に、「口紅ついてない?」と聞いた。
「大丈夫、ついてないよ」
「ああよかった」

「ユリちゃん、またあんた、お酒に飲まれとるね」
「そんなことないよー」
「いっつもこんなんやん。前は柱に抱きついとったし…」
「柱、柱…?柱なんかにせんよ」
「いいや、柱に向かって『今日は帰りたくない』とか言いよったやん」
「そんなことないよー。ねえしんちゃん、今日は帰りたくない」
「またぁ。ちゃんと家に帰りなさい」
ぼくがそう言うと、またしてもユリちゃんは「チューしよ」と言った。
「チューは、もういい」
「何で?」
「自分のご主人にしたらいいやん」
「主人はじいさん。しんちゃんは若いけね」
そう言って、またしても唇をぼくの頬に押しつけてきた。
その後、自分の席に戻ったユリちゃんは、そこにいた女性を捕まえて『チュー』をしていたのだった。

帰り際、ユリちゃんはぼくに「しんちゃん、カラオケ行こ」と言ってきた。
身の危険を感じたぼくは、「おれ、まっすぐ帰るけ、ユリちゃんも大人しく家に帰り」と答えた。
「カラオケー」
「じゃあ、お疲れさん」
そう言って、ぼくは足早に駅に向かったのだった。



レジャーモービルの女(4)

さて、スタジオを出たぼくたちは、再びショップへと行った。
しばらくギターなどを見ていたのだが、その時変なことを小耳に挟んだ。
ぼくのいた場所から少し離れた場所で、ショップの人たちがテープを聴いていた

一人の男が「これ聴いてみて」と言った。
しばらく沈黙が続いた後に、もう一人の男がおもむろに口を開いた。
「いい曲だね。誰の曲?」
「○○くんの曲」
「ああ、○○くんね」
「今回のポプコン、うちのショップはこれで決定らしいよ」
「そうか」

「!!!」である。
応募受付期間にも関わらず、もうこのショップの代表は決まっていたのだ。
じゃあ、ぼくたちの録音は一体何だったのだろう。
何のためにいやな鼻髭の前で、緊張して録音しなければならなかったのだろう。
この時初めて、ポプコンというのは一般に門戸を開いているのではなく、ヤマハに貢献している人にだけ開いているのだと思った。
確かにその日の『レジャーモービルの女』は最低だった。
だが、それでもわずかに希望を残していたし、また次の機会に頑張ろうとも思っていたのだ。
そういうものが、彼らの会話を聞いて、すべて吹っ飛んでしまった。

『残念ながら、今回は…』というメールが届いたのは、録音の日から、そう時間の経ってない頃だった。
そのことをMさんに言うと、Mさんは「そうか。でも、これで自信ついたやろ。次回がんばり」と言ってくれた。
だが、次回はなかった。
ぼくはミュージシャンを目指して、他の道を探ることにしたのだった。
当然である。

その後、就職したぼくは、楽器販売の担当になった。
何年か経った頃、一度Mギターの協賛を得てフォーク・コンテストを企画したことがある。
その時、学生を中心とした十数組のアマチュアミュージシャンが集まった。
開会宣言をすることになったぼくは、マイク越しにこう言った。
「このコンテストをポプコンを超えるコンテストにしていきたいと思っています。ここに集まっている人たちも、これに参加することで腕を磨いていってほしいと思います。いいかみんな、ヤマハには絶対負けるなよ!」



レジャーモービルの女(3)

その様子を見ていたせっかちな鼻髭が言った。
「もういいですか?」
相変わらず無表情である。
「は、はい。いいです…」
ということで再び録音が始まった。
緊張と焦りで、ぼくののどはカラカラになっていた。

ここで付け焼き刃のもろさが出てきた。
歌い方のほうである。
ポプコンバージョンで歌っていたつもりが、いつの間にか元の歌い方に戻っているのだ。
せっかく午前中うまくいっていたのに、である。

これがもし自宅での録音なら、いったん中断して、気を落ち着かせ、口を潤すことだろう。
しかしここはヤマハ。
しかも一発録音である。
ここで中断するわけにはいかない。
中断する権限を持つのは、あの鼻髭だけだ。
ということで、最悪の状態のまま録音は続いた。

そして、悪戦苦闘しながらも、何とか最後までこぎ着けた。
その時だった。
またしても付け焼き刃のもろさが出たのだ。
今度はギターである。
午前中、あんなにうまくいっていたエンディングのギターソロをきれいに忘れてしまったのだ。
とにかく付け焼き刃なので、頭の中では出来上がっているのだが、体で覚えるまで練習してない。
そのため、頭の中の記憶が消えてしまうと、演奏できないわけだ。

『どうしよう…』
ここを何とかしないと終わらない。
『どうしよう…、どうしよう…、どうしよう…』と思いながら、適当に弾いた。
そして終わった。

「はい、お疲れ様でした」
鼻髭が無表情に言った。
緊張と焦りの時間は終わった。
演奏といい、鼻髭の態度といい、何かと不満の残る録音となった。
だが、終わったことを悔やんでもしかたないと思い、スタジオを出る時は、明るく鼻髭に「ありがとうございました。よろしくお願いします」と言った。
ところが鼻髭は、こちらを振り向きもせずにため息をついていたのだった。

スタジオを出るとMさんが待っていた。
Mさんは開口一番、「よかったよ。いいところまで行くと思うよ」と言って労をねぎらってくれた。
その言葉を聞いて、ぼくの緊張と憤りは何とかほぐれたのだった。



レジャーモービルの女(2)

そうやって練習していたある日、ぼくたちに強い味方が出来た。
長崎屋の先輩であるMさんである。
他の人に言っても全然興味を示してくれなかったポプコン出場を、Mさんだけは真剣に聞いてくれた。
Mさんもやはり音楽をやっていた。
そのため、ミュージシャンを目指す者が周りに理解されにくいことを、充分知り尽くしていたのだ。
さらにMさんは、ぼくたちに協力してくれるという。
その言葉通りにMさんは、友人宅にきてはいろいろとアドバイスをくれたものだった。

さて録音の日。
ぼくと友人、それとMさんは、午前11時に近くの楽器店で待ち合わせた。
そして、3人が揃ったところで、その楽器店にあるスタジオに入った。
録音は午後1時からだった。
それまでに音合わせをやっておくことにしたのだ。

この曲、ポプコンバージョンとして、それなりのアレンジをしていた。
歌い方を変えたり、エンディングにギターソロを入れるようになっていた。
だが、そういったものはあくまでも付け焼き刃にすぎない。
そのため、なかなかうまくいかなかった。
ところが、スタジオでやった時、それがすんなり出来たのだ。
あまりにうまくいったので、気持ち悪いくらいだった。
Mさんも、「今の、よかったねえ。これだったら、けっこういい線行くんやないと」と太鼓判を押してくれた。
そして1時間の練習後、ぼくたちは気をよくしてヤマハへと乗り込んだのだった。

時間までヤマハのショップでうろうろした後、録音スタジオへと向かった。
スタジオは本格的なものだった。
何せ、ミキサー室まで装備してあるのだ。
そこには、鼻髭をたくわえた兄ちゃんが、偉そうな顔をして座っていた。
彼はぼくたちがスタジオに入ると、無表情に「はい、じゃあ始めてください」と言った。
「えっ、音合わせはなしなんか」
ぼくたちはそう思いながら、演奏を始めた。

ところが、1フレーズやったところで、鼻髭が演奏を止めた。
「ちょっと待って」
「えっ?」
「おたくら、チューニング合ってる?」
『おたくら』ときた。
「えっ?ちょ、ちょっと待ってください」
ギターとベースを別々に弾いてみた。
なるほど微妙に音が違っている。
おそらく、移動中に狂ったものと思われる。
というか、音合わせもさせないで、せっかちに始めるほうが悪いのだ。

そこでぼくたちは、慌てて音を合わせた。
今のようにギターチューナーなんてない時代である。
ただでさえチューニングには時間がかかっていた。
それに加えて、その時は緊張のまっただ中だ。
ぼくたちは何度も何度もチューニングを繰り返したのだった。



レジャーモービルの女(1)

東京から戻った年だったから、1980年のことである。
その頃ぼくは、友人とバンドをやっていた。
いや、バンドをやっていたのではなく、バンドの練習をしていた。
バンドと言っても、その頃は2人しかおらず、楽器はギターとベースたまにハーモニカという編成だった。

練習場所は友人宅で、その友人はそのためにわざわざ離れの部屋に防音設備まで整えた。
その防音設備のある部屋でどんな曲をやっていたのかというと、ほとんどがぼくのオリジナル曲だった。
高校から作り始めた曲は、その頃には150曲を超えていたのだが、その中から自分たちの気に入った曲をピックアップしてやっていたのだ。

おそらく20曲近くのレパートリーがあったと思うが、その中でも特によくやった曲は、『レジャーモービルの女』だった。

 夜も越え 薄ら灯り 揺れるまなざし
 知った彼の 懐かしい レジャーモービルの女

 切れ長な 光る瞳 濡れた道を
 振り返り 時を忘れ レジャーモービルの女

  飛び出すな熱い汗よ 風に奪われ消えてしまう
  疲れを知らない 気ままな女

 夜は明けた ため息つく 窓は曇って
 力込めた か細い腕 レジャーモービルの女



この歌を作ったのは、その年の3年前、つまり1977年だった。
長距離トラックに乗っていた叔父の手伝いをやった時に、叔父がしきりに「レジャーモービル、レジャーモービル」と言っていた。
それが耳について、いつのまにか歌詞が出来、そして曲が出来たのだった。
ちなみにレジャーモービルというのは、叔父に言わせると自家用車のことらしい。

さて、なぜバンドでこの曲を頻繁にやっていたのかというと、ヤマハのポピュラーコンテスト(ポプコン)に応募するためだった。
ポプコンは、まずテープ審査があるのだが、そのテープは自宅録音ではだめで、ヤマハに出向いて作らなければならなかった。
もちろん一発録音だから、失敗は許されない。
ということで、ぼくたちは必死に練習をしたのだった。



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