2年の頃から、ぼくはぼちぼちオリジナル曲を作るようになった。
だが、弾き語りでやる歌は、相変わらず拓郎ものだった。
オリジナル曲は、まだまだ人に聴かせられるような内容ではなかったし、またオリジナルを聴かせる度胸もなかったのだ。
その年の文化祭で、ある文化系クラブが、隣の教室でライブハウス的な喫茶店を出していた。
体育館でやるほどの勇気をぼくは持ち合わせてはいなかったが、教室ぐらいの広さなら何とかなるだろうと思い、そこに飛び入り参加させてもらうことにした。
係の人は「いいですよ。でも時間がないんで、10分程度でお願いします」と言った。
「えっ、たった10分ですか?」
「ええ」
「もっと歌わせてくださいよ」
「あと30分で閉店しますから」
「じゃあ、30分歌わせてくれたらいいやないですか」
「だめです。他にも歌いたがっている人がいますから」
「ああ、そうですか」
10分でも歌わないよりはましだと思い、ぼくはその条件をのんだ。
さっそく、ステージに行くと、そこにはマイクやアンプが用意されていた。
しかし、「教室でやるのに、こんなもの使わんでいい」と思ったぼくは、そういう機材をまったく使わず、普段教室でやっているように大声を張り上げて拓郎の歌を歌った。
最初はその声の大きさで、そこにいた人は耳を傾けてくれた。
とはいえ、ギターを弾き始めてまだ1年もたってない腕である。
早くも2曲目でボロが出てしまった。
まずコードを間違え、それに焦ったぼくの声は裏返ってしまったのだ。
だけど、それでもぼくはやめずに歌い続けた。
予定の10分がたった。
係の人がぼくのそばに来て、「時間ですよ」と言った。
しかし、ぼくはそれを無視し、結局店が閉店するまで歌っていたのだった。
そのせいで、ぼくの後に予定していた人が歌えなくなってしまい、散々文句を言われたのだった。
さて、高校時代の最大のイベントといえば、もちろん修学旅行である。
その修学旅行が近づくにつれ、ぼくは中学時の修学旅行での苦い想い出が蘇ってきた。
「あんな悔しい思いは二度としたくない。今度は最初からガンガン行くぞ!」
そう思ったぼくは、ギターを準備して修学旅行に臨んだ。
修学旅行は、富士山から信州を通って金沢に行くルートだった。
静岡まで新幹線で行き、バスに乗り換えた。
ぼくはバスに乗ると、さっそくギターを取り出した。
そして、バスガイドが案内しているのを無視して、がんがんギターを弾き、歌いまくった。
だが、弾き語りでやる歌は、相変わらず拓郎ものだった。
オリジナル曲は、まだまだ人に聴かせられるような内容ではなかったし、またオリジナルを聴かせる度胸もなかったのだ。
その年の文化祭で、ある文化系クラブが、隣の教室でライブハウス的な喫茶店を出していた。
体育館でやるほどの勇気をぼくは持ち合わせてはいなかったが、教室ぐらいの広さなら何とかなるだろうと思い、そこに飛び入り参加させてもらうことにした。
係の人は「いいですよ。でも時間がないんで、10分程度でお願いします」と言った。
「えっ、たった10分ですか?」
「ええ」
「もっと歌わせてくださいよ」
「あと30分で閉店しますから」
「じゃあ、30分歌わせてくれたらいいやないですか」
「だめです。他にも歌いたがっている人がいますから」
「ああ、そうですか」
10分でも歌わないよりはましだと思い、ぼくはその条件をのんだ。
さっそく、ステージに行くと、そこにはマイクやアンプが用意されていた。
しかし、「教室でやるのに、こんなもの使わんでいい」と思ったぼくは、そういう機材をまったく使わず、普段教室でやっているように大声を張り上げて拓郎の歌を歌った。
最初はその声の大きさで、そこにいた人は耳を傾けてくれた。
とはいえ、ギターを弾き始めてまだ1年もたってない腕である。
早くも2曲目でボロが出てしまった。
まずコードを間違え、それに焦ったぼくの声は裏返ってしまったのだ。
だけど、それでもぼくはやめずに歌い続けた。
予定の10分がたった。
係の人がぼくのそばに来て、「時間ですよ」と言った。
しかし、ぼくはそれを無視し、結局店が閉店するまで歌っていたのだった。
そのせいで、ぼくの後に予定していた人が歌えなくなってしまい、散々文句を言われたのだった。
さて、高校時代の最大のイベントといえば、もちろん修学旅行である。
その修学旅行が近づくにつれ、ぼくは中学時の修学旅行での苦い想い出が蘇ってきた。
「あんな悔しい思いは二度としたくない。今度は最初からガンガン行くぞ!」
そう思ったぼくは、ギターを準備して修学旅行に臨んだ。
修学旅行は、富士山から信州を通って金沢に行くルートだった。
静岡まで新幹線で行き、バスに乗り換えた。
ぼくはバスに乗ると、さっそくギターを取り出した。
そして、バスガイドが案内しているのを無視して、がんがんギターを弾き、歌いまくった。