2005年07月
昨夜寝たのは、午前1時過ぎだった。
普段は2時に寝ているから、1時間早く寝たことになる。
どうしてそうなったかというと、日記はほぼ出来上がっていたのだが、眠気が差してどうもまとまらない。
そこで、とりあええず寝て、朝少し早く起きてから日記をまとめようと思ったのだ。
そう決めてから、さっそくぼくはパソコンをスタンバイ状態にし、さっさと横になった。
さて、どれくらい時間が経っただろうか。
それまで見ていた夢が、突然滝の場面に変わった。
体中に水しぶきを浴びて、大騒ぎをしている。
その感触が実にリアルである。
ぼくは、夢の中で嫁ブーに「おい、これは夢か」と聞いた。
嫁ブーは「夢じゃないよ」と言った。
「そうか、夢じゃないんか」と思いながら、水しぶきのかかった顔を触ってみると、なるほど濡れている。
そこで目が覚めた。
が、まだ水しぶきがかかってくるのだ。
「おかしいな」と思い窓を見ると、何と外は大雨で、その雨が窓から降り込んできているではないか。
ぼくはあわてて飛び起きて、窓を閉めた。
その窓はちょっとした出窓になっていて、そこに七福神なんか置いているのだが、それがびしょ濡れになっていた。
さて、窓を閉めた後、枕元の時計を見ると4時である。
「まだ早い、もう一眠りだ」と再び横になっただった。
ゴロゴロという音とともに、稲光が走った。
その時だった。
窓の外から、「ワー」とか「キャー」といった、女子供の声が聞こえてきた。
一人二人の声ではない。
結構大勢の声なのだ。
しかし、「こんな時間に、しかもこんな大雨の中に人がいるはずはない。きっと聞き違いだ」と思い、眠りに就こうとした。
その時、またしても稲光が走った。
と同時に、先ほどの「ワー」とか「キャー」が聞こえてきたのだ。
やっぱり人がいる。
そこで、再び起き出して、窓の外を見てみた。
うちはマンションの上の階なので、周りはすべて見渡せる。
ところが、窓からは人影が見えないのだ。
人が集まるコンビニや、その前にある飲み屋や、その奥にある公園にも、人はいない。
しばらくそこで見ていたが、その後は稲光がすることもなく、声も聞こえなかった。
よくこんなことがある。
先日、夜中の3時半頃に、外から男と女が喧嘩する声が聞こえてきた。
「いつおれがそんなこと言ったか‥‥」
「あんたはいつもそうやんね‥‥」
などと、大声を張り上げて、結構派手にやり合っていた。
最初は気にしてなかったのだが、えらく長い時間それが続いている。
そこで、外を見てみた。
ところが、今回と同じく誰もいなかった。
昨年だったか、やはり女子供が大騒ぎしている声が聞こえたことがある。
それが笑い声であったり、泣き声であったり、時には嘔吐する声であったりした。
しかし、同じく人はいないのだ。
いったい、彼ら(彼女ら?)は何者なんだろう?
さて、その後「変なことで時間を食ってしまったわい」と思いながら、布団に戻ったのだが、今度は眠れない。
というより、窓を閉め切ってしまったために寝苦しくなったのだ。
エアコンを入れれば何のことはないのだろうが、ぼくも嫁ブーもエアコンがだめなので、これに耐えるしかなかった。
小一時間、寝相を変えたり呼吸を整えたりして、のたうち回っていただろうか。
そのうち、朝が来てしまった。
当然寝不足である。
さらに、昼間はエアコンで体が冷え切ってしまい、腹をこわしてしまった。
きっと、得体の知れない何者かの声が障ったのだと思う。
【今日の『つま恋行き貯金缶』】
先ほど200円入れたので、合計400円になった。
つま恋行きまで、あと72,600円である。
普段は2時に寝ているから、1時間早く寝たことになる。
どうしてそうなったかというと、日記はほぼ出来上がっていたのだが、眠気が差してどうもまとまらない。
そこで、とりあええず寝て、朝少し早く起きてから日記をまとめようと思ったのだ。
そう決めてから、さっそくぼくはパソコンをスタンバイ状態にし、さっさと横になった。
さて、どれくらい時間が経っただろうか。
それまで見ていた夢が、突然滝の場面に変わった。
体中に水しぶきを浴びて、大騒ぎをしている。
その感触が実にリアルである。
ぼくは、夢の中で嫁ブーに「おい、これは夢か」と聞いた。
嫁ブーは「夢じゃないよ」と言った。
「そうか、夢じゃないんか」と思いながら、水しぶきのかかった顔を触ってみると、なるほど濡れている。
そこで目が覚めた。
が、まだ水しぶきがかかってくるのだ。
「おかしいな」と思い窓を見ると、何と外は大雨で、その雨が窓から降り込んできているではないか。
ぼくはあわてて飛び起きて、窓を閉めた。
その窓はちょっとした出窓になっていて、そこに七福神なんか置いているのだが、それがびしょ濡れになっていた。
さて、窓を閉めた後、枕元の時計を見ると4時である。
「まだ早い、もう一眠りだ」と再び横になっただった。
ゴロゴロという音とともに、稲光が走った。
その時だった。
窓の外から、「ワー」とか「キャー」といった、女子供の声が聞こえてきた。
一人二人の声ではない。
結構大勢の声なのだ。
しかし、「こんな時間に、しかもこんな大雨の中に人がいるはずはない。きっと聞き違いだ」と思い、眠りに就こうとした。
その時、またしても稲光が走った。
と同時に、先ほどの「ワー」とか「キャー」が聞こえてきたのだ。
やっぱり人がいる。
そこで、再び起き出して、窓の外を見てみた。
うちはマンションの上の階なので、周りはすべて見渡せる。
ところが、窓からは人影が見えないのだ。
人が集まるコンビニや、その前にある飲み屋や、その奥にある公園にも、人はいない。
しばらくそこで見ていたが、その後は稲光がすることもなく、声も聞こえなかった。
よくこんなことがある。
先日、夜中の3時半頃に、外から男と女が喧嘩する声が聞こえてきた。
「いつおれがそんなこと言ったか‥‥」
「あんたはいつもそうやんね‥‥」
などと、大声を張り上げて、結構派手にやり合っていた。
最初は気にしてなかったのだが、えらく長い時間それが続いている。
そこで、外を見てみた。
ところが、今回と同じく誰もいなかった。
昨年だったか、やはり女子供が大騒ぎしている声が聞こえたことがある。
それが笑い声であったり、泣き声であったり、時には嘔吐する声であったりした。
しかし、同じく人はいないのだ。
いったい、彼ら(彼女ら?)は何者なんだろう?
さて、その後「変なことで時間を食ってしまったわい」と思いながら、布団に戻ったのだが、今度は眠れない。
というより、窓を閉め切ってしまったために寝苦しくなったのだ。
エアコンを入れれば何のことはないのだろうが、ぼくも嫁ブーもエアコンがだめなので、これに耐えるしかなかった。
小一時間、寝相を変えたり呼吸を整えたりして、のたうち回っていただろうか。
そのうち、朝が来てしまった。
当然寝不足である。
さらに、昼間はエアコンで体が冷え切ってしまい、腹をこわしてしまった。
きっと、得体の知れない何者かの声が障ったのだと思う。
【今日の『つま恋行き貯金缶』】
先ほど200円入れたので、合計400円になった。
つま恋行きまで、あと72,600円である。
来年の『つま恋コンサート』に行くかどうかの結論はまだ出してないが、行くとなった時に確実に必要になるものがある。
それはお金である。
昨日、そのつま恋のある掛川までの費用を調べてみた。
小倉から新幹線ひかりで行った場合は18,250円で、のぞみで行った場合は18,750円だった。
単純に往復すると、それぞれ36,500円と37,500円である。
嫁ブーと二人で行くわけだから、それぞれ倍にすると、73,000円と75,000円になる。
これに掛川駅からつま恋までのバス賃と、2日間の食費がかかるわけである。
あとおみやげを買うとなると、最低100,000円くらいは見積もっておかなければならない。
10万円か…。大金である。
もちろん夏のボーナスをもらってすぐことだから、それだけの費用を用意出来なくはないだろう。
だが、万が一ということもある。
例えば夏のボーナスが出ないことだって、リストラにあったりすることだって、さらには会社が倒産することだって、ありうるのだ。
そのため、ボーナスに頼ってばかりに頼ってはいられない。
そこで何かいい方法はないものかと考えた。
ボーナスに頼らないとなると、残っている手段は給料しかない。
しかし、給料で一括に10万円という金は使えない。
ということは貯金が必要になってくる。
ここでぼくは面白いことに気がついた。
例えば新幹線ひかりを利用した時の金額は、36,500円である。
36,500円といえば、100円の365倍じゃないか。
ということは、一年間毎日100円貯めていけば、自ずとつま恋行きの交通費になる。
あ、二人分だから200円か。
仮にのぞみを利用するにしても、これに一人あたり1000円付け足せばいいのだ。
これは楽である。
食費他は、他の貯金をかき集めたら何とかなるだろう。
ということで、今日、百円均一の店に貯金箱を見に行った。
いろいろ便利な貯金箱があったが、その中に「これは!」というものを見つけた。
百円玉だと80,000円入るという貯金箱、というより貯金缶である。
目標額に近い設定になっている上、缶切りで開けない限りお金を出せないという便利な設計になっている。
そこで、さっそくそれを買った。
これで大丈夫である
あとはこれに毎日200円を入れるというちょっとした努力をしさえすれば、一年で目標額に到達するだろう。
でもお金を出せば終わりじゃないか、と思う方もいらっしゃるだろうが、それは大丈夫である。
なぜなら、うちには缶切りがないからだ。
さて、これで旅費は何とかなった。
あとは休みの調整と、チケットの入手が問題になってくるが、それは後々考えればいいことだ。
当面、「いろんなことに悩む暇があったら、さっさと200円入れてしまおう」というモットーで、突っ走ることにする。
※7月30日現在の『つま恋行き貯金缶』の中身:200円
それはお金である。
昨日、そのつま恋のある掛川までの費用を調べてみた。
小倉から新幹線ひかりで行った場合は18,250円で、のぞみで行った場合は18,750円だった。
単純に往復すると、それぞれ36,500円と37,500円である。
嫁ブーと二人で行くわけだから、それぞれ倍にすると、73,000円と75,000円になる。
これに掛川駅からつま恋までのバス賃と、2日間の食費がかかるわけである。
あとおみやげを買うとなると、最低100,000円くらいは見積もっておかなければならない。
10万円か…。大金である。
もちろん夏のボーナスをもらってすぐことだから、それだけの費用を用意出来なくはないだろう。
だが、万が一ということもある。
例えば夏のボーナスが出ないことだって、リストラにあったりすることだって、さらには会社が倒産することだって、ありうるのだ。
そのため、ボーナスに頼ってばかりに頼ってはいられない。
そこで何かいい方法はないものかと考えた。
ボーナスに頼らないとなると、残っている手段は給料しかない。
しかし、給料で一括に10万円という金は使えない。
ということは貯金が必要になってくる。
ここでぼくは面白いことに気がついた。
例えば新幹線ひかりを利用した時の金額は、36,500円である。
36,500円といえば、100円の365倍じゃないか。
ということは、一年間毎日100円貯めていけば、自ずとつま恋行きの交通費になる。
あ、二人分だから200円か。
仮にのぞみを利用するにしても、これに一人あたり1000円付け足せばいいのだ。
これは楽である。
食費他は、他の貯金をかき集めたら何とかなるだろう。
ということで、今日、百円均一の店に貯金箱を見に行った。
いろいろ便利な貯金箱があったが、その中に「これは!」というものを見つけた。
百円玉だと80,000円入るという貯金箱、というより貯金缶である。
目標額に近い設定になっている上、缶切りで開けない限りお金を出せないという便利な設計になっている。
そこで、さっそくそれを買った。
これで大丈夫である
あとはこれに毎日200円を入れるというちょっとした努力をしさえすれば、一年で目標額に到達するだろう。
でもお金を出せば終わりじゃないか、と思う方もいらっしゃるだろうが、それは大丈夫である。
なぜなら、うちには缶切りがないからだ。
さて、これで旅費は何とかなった。
あとは休みの調整と、チケットの入手が問題になってくるが、それは後々考えればいいことだ。
当面、「いろんなことに悩む暇があったら、さっさと200円入れてしまおう」というモットーで、突っ走ることにする。
※7月30日現在の『つま恋行き貯金缶』の中身:200円
【雨の日のドライブ】
昨日の天気予報では、「まとまった雨が降り、ところによっては雷雨もあるでしょう」と言っていた。
気温もあまり高くなさそうだ、とも言っていた。
案の定、朝起きると今にも降り出しそうな空の色だった。
さらに、夜中は体が冷えて、何度も目が覚めたのだった。
天気予報どおりの展開で、一時は延期することも考えた。
が、決行できるのは今日しかない。
次の休みからは、また歯医者の日々が続くだろう。
そういうことで、予定通り、今日決行したのだった。
何のことを言っているのかというと、前々からこの日記で言っている角島行きのことである。
昨日の天気予報では、今日の午後から特にそういう展開になるということだった。
当初は昼ぐらいに家を出て、海を眺めながらのんびり行こう思っていた。
が、その天気予報を聞いて、なるべく早く家を出て、なるべく早く家に帰ろうという気になり、予定を変更して高速道路を利用することにした。
家を出たのは午前10時だった。
出発した頃は雨は降ってなかったのだが、小倉にさしかかったあたりから雨がパラつきだし、門司をすぎる頃に本降りになってしまった。
そのため、いつも本州に渡る時に楽しみにしている関門橋からの景色も、今日は雨に遮られたのだった。
高速を利用したおかげで、角島へは1時間ほどで着いた。
その頃から、徐々に雨は小振りになっていき、休憩所で買い物をしているうちに雨はやんでしまった。
しばらく雲行きを見ていたが、だんだん空は明るくなっていく。
そこで、また予定を変更し、足を伸ばして青海島(長門市)に行ったり、帰りに門司港レトロに寄ったりした。
その後は雨に祟られるようなことは、まったくなかったのだった。
青海島から戻ってくる途中、川棚温泉でゆっくり温泉に入ったりした関係で、帰りが少し遅くなった。
だが、それでも午後8時には家に着いていた。
これは珍しいことである。
普通ぼくがドライブする時は、性格がダラダラしているせいで、早くても午後10時を回ることが多い。
きっと、前日に雨が降ると潜在意識にインプットしていたために、潜在意識が一時的にそのダラダラ性格を凍結させたのだろう。
ま、とにかく、これでぼくの今年の夏のイベントは終わった。
【ひとりテレフォン人生相談】
ところで、その道中、少しでも夏の雰囲気を味わいたいのと、ばあさんたちの話について行けないだろうという理由から、サザンなど夏向けのCDをあらかじめ用意していた。
だが、雨の日のサザンは、どうも様にならない。
仕方がないので、ラジオで『テレフォン人生相談』なんかを聞くことにした。
ところが、その『テレフォン人生相談』も、ばあさんたちの声で聞こえない。
そこで、頭の中で『テレフォン人生相談ごっこ』をやることにした。
-今日のご相談内容は?
「兄と父親の遺産相続のことでもめているんです」
-遺産相続ねえ。で、あなたはどうしたいの?
「私が家業を継いだんで、すべての遺産を相続したいんです」
-あなた、お母さんはいないの?
「いや、いることはいるんですが、離婚しまして…」
-なるほど。それで兄弟で争っているわけですか。
「はい」
-で、それについてお兄さんは、どう言ってるわけ?
「はい、相続を放棄したいと…」
-えっ、相続放棄ぃ?
「ええ」
-じゃあ、もう話は終わってるじゃないの。
「そんなことはない」
-だって、もうお兄さんは相続放棄したんでしょ?
「まあそうですけど」
-じゃあ、終わってるでしょうが。これ以上、どうあって欲しいわけ?
「‥‥」
-あなたいったい、何の相談で電話してきたの?
「ええ、兄と父親の遺産の件で…」
-忙しいのに、手間取らせないでくださいよ。
「あのー、もう一つあるんですが…」
-えっ、まだ何かあるんですか!?
「いや、母がですね、私のことを不器用と言うんですよ」
-不器用?
「はい」
-なるほど、その通りじゃないですか。
「えっ?私のいったいどこが不器用なんでしょうか?」
-頭です!!
と、まあ、こんな具合である。
昨日の天気予報では、「まとまった雨が降り、ところによっては雷雨もあるでしょう」と言っていた。
気温もあまり高くなさそうだ、とも言っていた。
案の定、朝起きると今にも降り出しそうな空の色だった。
さらに、夜中は体が冷えて、何度も目が覚めたのだった。
天気予報どおりの展開で、一時は延期することも考えた。
が、決行できるのは今日しかない。
次の休みからは、また歯医者の日々が続くだろう。
そういうことで、予定通り、今日決行したのだった。
何のことを言っているのかというと、前々からこの日記で言っている角島行きのことである。
昨日の天気予報では、今日の午後から特にそういう展開になるということだった。
当初は昼ぐらいに家を出て、海を眺めながらのんびり行こう思っていた。
が、その天気予報を聞いて、なるべく早く家を出て、なるべく早く家に帰ろうという気になり、予定を変更して高速道路を利用することにした。
家を出たのは午前10時だった。
出発した頃は雨は降ってなかったのだが、小倉にさしかかったあたりから雨がパラつきだし、門司をすぎる頃に本降りになってしまった。
そのため、いつも本州に渡る時に楽しみにしている関門橋からの景色も、今日は雨に遮られたのだった。
高速を利用したおかげで、角島へは1時間ほどで着いた。
その頃から、徐々に雨は小振りになっていき、休憩所で買い物をしているうちに雨はやんでしまった。
しばらく雲行きを見ていたが、だんだん空は明るくなっていく。
そこで、また予定を変更し、足を伸ばして青海島(長門市)に行ったり、帰りに門司港レトロに寄ったりした。
その後は雨に祟られるようなことは、まったくなかったのだった。
青海島から戻ってくる途中、川棚温泉でゆっくり温泉に入ったりした関係で、帰りが少し遅くなった。
だが、それでも午後8時には家に着いていた。
これは珍しいことである。
普通ぼくがドライブする時は、性格がダラダラしているせいで、早くても午後10時を回ることが多い。
きっと、前日に雨が降ると潜在意識にインプットしていたために、潜在意識が一時的にそのダラダラ性格を凍結させたのだろう。
ま、とにかく、これでぼくの今年の夏のイベントは終わった。
【ひとりテレフォン人生相談】
ところで、その道中、少しでも夏の雰囲気を味わいたいのと、ばあさんたちの話について行けないだろうという理由から、サザンなど夏向けのCDをあらかじめ用意していた。
だが、雨の日のサザンは、どうも様にならない。
仕方がないので、ラジオで『テレフォン人生相談』なんかを聞くことにした。
ところが、その『テレフォン人生相談』も、ばあさんたちの声で聞こえない。
そこで、頭の中で『テレフォン人生相談ごっこ』をやることにした。
-今日のご相談内容は?
「兄と父親の遺産相続のことでもめているんです」
-遺産相続ねえ。で、あなたはどうしたいの?
「私が家業を継いだんで、すべての遺産を相続したいんです」
-あなた、お母さんはいないの?
「いや、いることはいるんですが、離婚しまして…」
-なるほど。それで兄弟で争っているわけですか。
「はい」
-で、それについてお兄さんは、どう言ってるわけ?
「はい、相続を放棄したいと…」
-えっ、相続放棄ぃ?
「ええ」
-じゃあ、もう話は終わってるじゃないの。
「そんなことはない」
-だって、もうお兄さんは相続放棄したんでしょ?
「まあそうですけど」
-じゃあ、終わってるでしょうが。これ以上、どうあって欲しいわけ?
「‥‥」
-あなたいったい、何の相談で電話してきたの?
「ええ、兄と父親の遺産の件で…」
-忙しいのに、手間取らせないでくださいよ。
「あのー、もう一つあるんですが…」
-えっ、まだ何かあるんですか!?
「いや、母がですね、私のことを不器用と言うんですよ」
-不器用?
「はい」
-なるほど、その通りじゃないですか。
「えっ?私のいったいどこが不器用なんでしょうか?」
-頭です!!
と、まあ、こんな具合である。
朝のニュースで、吉田拓郎とかぐや姫が、来年の夏につま恋でコンサートをやると言っていた。
話によると、30年前につま恋で初の野外ライブをやった時に集まったファンたちは今頃どうしているだろうか、などと話しているうちに、再演やろうかという話になったそうなのである。
そうか、あれはもう30年前になるのか。
当時ぼくは高校3年生だった。
その頃のぼくは、自他共に認める熱狂的な拓郎ファンだった。
だが、そのコンサートには行ってない。
もちろん、そういうコンサートがあることは、音楽誌やラジオなどで大々的に宣伝していたから知っていたし、行きたいとも思っていた。
しかし、場所を聞いて萎えてしまった。
『静岡県掛川市つま恋』
つま恋なんて、初めて聞く言葉だった。
友人たちに「つま恋ちゃ、どこか?」と聞いても、誰も知る者はいなかった。
それに、ぼくの周りには拓郎ファンはいなかった。
そのため、もしそこに行くとすれば、一人で行かないとならない。
となれば、おっくうである。
次に資金の問題がある。
コンサートは8月2日だったから、それまでしっかりアルバイトをすれば何とかなったかもしれない。
ところが、7月の後半にクラブ(柔道)の試合が入っていた。
それまでは毎日練習に行かなければならないのだ。
試合が終わってからコンサートまで1週間くらいしかない。
これではつま恋に行くだけの金にはならない。
また親に頼んで金を出してもらう手もあったが、うちは裕福な家庭ではなかったから、その方法は採れない。
「こりゃもうだめばい」と思っていたところに、だめ押しが来た。
夏休みを前にしたある日、生徒指導の先生が全校生徒を前にして、「8月に静岡県で行われる吉田拓郎のコンサートは、教育委員会の指導により、行ってはいけないことになった。ということで、君たちも行かないように」と言ったのだ。
これでようやく諦めがついた。
さて、そのコンサートの翌日、ぼくは寝ないでずっとオールナイトニッポンを聞いていた。
その夜のオールナイトニッポンのパーソナリティは吉田拓郎だったからだ。
そのコンサートの模様や、興奮冷めやらぬ拓郎の声を聞こうと思ったのだ。
ところが、コンサートの翌日ということで、拓郎の声が出ない。
そこで、ゲスト出来ていた泉谷しげるが、一人でペラペラしゃべりまくっていた。
その泉谷のしゃべりの中で、印象に残った言葉があった。
「何かありそうで、終わってみれば何もなかったコンサートだった」という言葉だった。
泉谷が何を期待していたのかというと、おそらく71年の中津川フォークジャンボリーの再現だったと思われる。
71年の中津川フォークジャンボリーとは、拓郎が飲みながら歌った『人間なんて』で会場が異常に盛り上がり、一騒動起きた伝説のコンサートだった。
ところで、来年のつま恋であるが、どうしよう。
やはりファンとしては行きたいに決まっている。
嫁ブーと二人で行くことになるだろうから、一人で行くというおっくうさもないし、資金についても問題はない。
もちろん、50前の人間に対して、教育委員会は何も文句は言ってこないだろう。
しかし、新たな問題がある。
それは、その日に休みが取れるかどうかである。
コンサートは、当時と同じく、夕方から翌朝にかけて行われるだろうから、当然連休が必要になる。
一日の休みなら何とかなるが、連休となるとちょっと問題である。
公休ローテーションで回っている関係上、連休を取るのが難しいのだ。
仮にぼくが休みを取れたとしても、嫁ブーがどうなるかわからない。
せっかくチケットを取っても、休めなければどうしようもない。
行けなかったチケットを想い出として持っておくのも、むなしいものである。
さて、どうしたものか。
話によると、30年前につま恋で初の野外ライブをやった時に集まったファンたちは今頃どうしているだろうか、などと話しているうちに、再演やろうかという話になったそうなのである。
そうか、あれはもう30年前になるのか。
当時ぼくは高校3年生だった。
その頃のぼくは、自他共に認める熱狂的な拓郎ファンだった。
だが、そのコンサートには行ってない。
もちろん、そういうコンサートがあることは、音楽誌やラジオなどで大々的に宣伝していたから知っていたし、行きたいとも思っていた。
しかし、場所を聞いて萎えてしまった。
『静岡県掛川市つま恋』
つま恋なんて、初めて聞く言葉だった。
友人たちに「つま恋ちゃ、どこか?」と聞いても、誰も知る者はいなかった。
それに、ぼくの周りには拓郎ファンはいなかった。
そのため、もしそこに行くとすれば、一人で行かないとならない。
となれば、おっくうである。
次に資金の問題がある。
コンサートは8月2日だったから、それまでしっかりアルバイトをすれば何とかなったかもしれない。
ところが、7月の後半にクラブ(柔道)の試合が入っていた。
それまでは毎日練習に行かなければならないのだ。
試合が終わってからコンサートまで1週間くらいしかない。
これではつま恋に行くだけの金にはならない。
また親に頼んで金を出してもらう手もあったが、うちは裕福な家庭ではなかったから、その方法は採れない。
「こりゃもうだめばい」と思っていたところに、だめ押しが来た。
夏休みを前にしたある日、生徒指導の先生が全校生徒を前にして、「8月に静岡県で行われる吉田拓郎のコンサートは、教育委員会の指導により、行ってはいけないことになった。ということで、君たちも行かないように」と言ったのだ。
これでようやく諦めがついた。
さて、そのコンサートの翌日、ぼくは寝ないでずっとオールナイトニッポンを聞いていた。
その夜のオールナイトニッポンのパーソナリティは吉田拓郎だったからだ。
そのコンサートの模様や、興奮冷めやらぬ拓郎の声を聞こうと思ったのだ。
ところが、コンサートの翌日ということで、拓郎の声が出ない。
そこで、ゲスト出来ていた泉谷しげるが、一人でペラペラしゃべりまくっていた。
その泉谷のしゃべりの中で、印象に残った言葉があった。
「何かありそうで、終わってみれば何もなかったコンサートだった」という言葉だった。
泉谷が何を期待していたのかというと、おそらく71年の中津川フォークジャンボリーの再現だったと思われる。
71年の中津川フォークジャンボリーとは、拓郎が飲みながら歌った『人間なんて』で会場が異常に盛り上がり、一騒動起きた伝説のコンサートだった。
ところで、来年のつま恋であるが、どうしよう。
やはりファンとしては行きたいに決まっている。
嫁ブーと二人で行くことになるだろうから、一人で行くというおっくうさもないし、資金についても問題はない。
もちろん、50前の人間に対して、教育委員会は何も文句は言ってこないだろう。
しかし、新たな問題がある。
それは、その日に休みが取れるかどうかである。
コンサートは、当時と同じく、夕方から翌朝にかけて行われるだろうから、当然連休が必要になる。
一日の休みなら何とかなるが、連休となるとちょっと問題である。
公休ローテーションで回っている関係上、連休を取るのが難しいのだ。
仮にぼくが休みを取れたとしても、嫁ブーがどうなるかわからない。
せっかくチケットを取っても、休めなければどうしようもない。
行けなかったチケットを想い出として持っておくのも、むなしいものである。
さて、どうしたものか。
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