頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2005年05月

長谷観音

今日、ふとしたことがもとで、長谷観音に行った。
長谷観音と言っても、別に鎌倉や奈良に行ったわけではない。
北九州市に隣接する鞍手町にあるのだ。
鞍手町というと、この間この日記でお知らせした貴黄卵生産直売農場と同じ町だが、長谷観音はそこからさらに奥に行ったところにある。
この観音さんは知る人ぞ知る観音さんで、知らない人はまったく知らない。
かく言うぼくも、つい最近までその存在を知らなかった。

何で知る人ぞ知るのかというと、実はここの観音さんは、鎌倉や奈良の長谷観音と同じ木から出来ているらしく、当然のごとく国宝に指定されているのだ。
ところが、テレビやラジオで紹介しているのを見聞きしたことはないし、太宰府天満宮や宮地岳神社のようにCMも流れていない。
さらには県の観光案内にも載っていない。
これでは知りようがないではないか。
もし紹介しているものがあるとすれば、それは鞍手町とか筑豊という狭い地域の観光案内くらいではないだろうか。
ということで、この観音さんを知っているのは、地元の人か信仰の厚い人から口伝えで聞いた人くらいなものだろう。
ぼくもその口だった。

しかし、まさかこんな近くに、国宝があるとは思わなかった。
最初にそれを知った時は、半信半疑だった。
国宝といえば、この辺だと太宰府ぐらいにしかないと思っていたからだ。
で、それを聞いてから、さっそくそこに行ってみたのだが、先に書いたように、周りは普通の田舎である。
看板も幹線に掲げてある大きな看板とは違い、小さな看板が所々にあるだけで、気をつけていないと、すぐに見落としてしまう。
何度も道を間違え、ようやくたどり着いた長谷観音だったが、その時拝んだ観音さんはダミーだった。
本尊は、毎月17日と18日にしかご開帳しないことになっているらしいのだ。
ということで、それからは、その日を狙っていくようになった。

ところで、今日はご開帳の日でもないのに、わざわざ長谷観音まで何をしに行ったのかというと、実は寺の前にある食堂に、昼飯を食べに行ったのだ。
午前中に歯医者に行ったのだが、家に帰ると嫁ブーが、変な顔をしてこちらを見ているではないか。
「何か?」とぼくが聞くと、「腹減ったんよ」と言う。
「何か作って食べればいいやろ」
「面倒やん。ね、どこかに食べに行こう」
「どこに行くんか?」
「どこでもいい」
「何が食いたいんか?」
「何でもいい」
「街中と田舎と、どっちがいいか?」
「おまかせします」
「じゃあ、田舎に行こう」
ということで、長谷観音に向かったのだ。
なぜ長谷観音を選んだかというと、ぼくが知っている田舎の食堂で、通りに面していないのは、そこしかなかったからだ。
せっかく食べるのなら、車の通らない空気のおいしいところで食べようと思ったわけだ。

今日も何度か道に迷ったが、何とかたどり着いた。
せっかくだからと言うので、ダミーの観音さんに手を合わせ、それから食堂に入った。
頼んだものは、ぼくが丸天うどんとご飯、嫁ブーは山かけそばとおにぎりだった。
そういうものが特においしいわけではない。
が、一品だけ「これはおいしい」というものがあった。
それは、ご飯に付いてきた床漬けである。
まさに田舎ならではの味だった。

さて、長谷観音に着いてから30分もいただろうか。
食事を終えたぼくたちは、他に寄るところもなかったので、さっさと家に帰ったのだった。
帰り着いてから車のメーターを見てみると、往復で40キロ走っていた。
ということは片道20キロか。
ちょっと遠かったかなあ…。
しかし、こういう昼食もわりといいものである。
また機会があれば、やってみようと思っている。



貴ノ花死す

今のところ、相撲にはまったく興味がない。
地元力士の魁皇はあんな調子だし、本場所は朝青龍の独壇場になっているし、他にこれといった力士がいるわけでもないし、全然面白くないのだ。
まあ、元々相撲というのは、あまり好きなほうではなかった。
なぜ好きになれなかったのかというと、ぼくが子供の頃は夕方の5時台にアニメや子供向きのドラマをやっていたのだが、場所中は祖父が相撲を見るためにテレビを独占していたので、そういう番組が見られなかった。
そのために祖父を恨み、相撲を恨んだのだった。
今でも呼び出しの声を聞くと、あの頃の悔しさを思い出す。

とはいえ、まったく相撲が嫌いというわけではない。
過去に何度か、相撲にはまっていた時期がある。
新しくは今から10年ほど前だった。
その時期は、舞の海や寺尾、旭道山といった小兵が活躍した時期である。
小さな力士が大きな力士を投げる姿は、実に痛快だった。
その頃は呼び出しの声も気にならず、そういった小兵力士の取り組みはほとんど見ていた。
舞の海が勝った時などは、相撲ダイジェストも見ていたものだった。

それ以上にはまっていた時期がある。
それは中学2年の頃だ。
その頃は、中入り後の取り組みや相撲ダイジェストはほとんど見ていたし、本場所中は毎日スポーツ新聞を買っていたものだ。
さらに雑誌の『大相撲』などを毎月購入していた。
で、何で相撲にはまっていたかというと、後に名大関と謳われた貴乃花(先代)の活躍にあった。
貴ノ花の取り組みの時は、いつも緊張感を持ってテレビにかじりついていたものである。
特に横綱北の富士やライバル輪島との一番は目が離せなかった。

ぼくが一番印象深かった取り組みは、横綱北の富士との一番だった。
北の富士の外掛けを、貴ノ花は体を反ってうっちゃろうとした。
が、そのまま貴ノ花は北の富士を抱え込むような形で、後ろに倒れてしまった。
その時、北の富士は貴ノ花の顔の横に手をついてしまった。
行司の木村庄之助は、それを確認して貴ノ花のほうに軍配を上げた。
庄之助はそれを北の富士の『つき手』ととったわけである。

ここで物言いがついた。
審議の焦点は、『つき手』か『かばい手』か、ということだった。
審判委員は、貴ノ花が倒れたのは、北の富士をうっちゃったせいではなく、北の富士の外掛けに倒れたのだと言うのだ。
つまり『死に体』である。
ということは、北の富士が右手をついたのは、身をかばったからだということになる。
しかし、ぼくには貴ノ花のうっちゃりが決まったように見えた。
審議中に何度も流れたビデオを見ても、確かにうっちゃっている。
確か、解説の人もそういうニュアンスで話していたと思う。
ということで、「軍配が覆ることはない。悪くても取り直しだろう」と思っていた。
ところが、長い審議の末に出た結論は、北の富士の勝ちであった。
その結果『差し違い』をしたことになった庄之助は、翌日から謹慎処分を受けることになったのだった。

これは昭和47年の初場所でのことである。
昭和47年というと、今から33年前か。
えらく古い話を思い出してしまったわい。
こんな古いことを思い出したのも、『貴ノ花死す』の一報が入ってきたからである。
まだ55歳だったのか…。
非常に残念である。



続・高校時代のヒロミちゃん

さて、昨日の続きである。
意地の悪いぼくは、さっそく嫁ブーの持ってきた高校の卒業アルバムの中から、ヒロミの写っている写真をピックアップして、カメラに収めた。
そして、試しにその中から一枚選んでヒロミに送ってみた。
すると、ヒロミからすぐに返事が来た。
 >いま焼鳥屋にきとるんやけど、(あの写真を見た友だちから)笑われたやんね。
「なるほど、今焼鳥屋で飲みよるんか。それなら酒の肴が必要やのう」と思ったぼくは、次から次に写真を送ってやった。
その都度ヒロミから、
 >(写真を見た)友だちが爆笑したやん!いま、何しよん?
 >まだ(他の写真を)探しよるやろっ?
 >(写真を見て)友だちがこけたやん!へんなの探しよるやろ。
 >かわいいって言われたよ。
 >やばいやん。やめてください。
 >たまらん。25才の子が(写真を見て)笑いよる。今いったい何しよるんね?
などという返事が返ってきた。

ぼくは、ヒロミに写真を送りながらも、一つ腑に落ちないことがあった。
それは、『見られて困る写真なら、友だちなんかに見せなければいいのに、どうしてヒロミは見せるのだろう?』ということだ。
そこで嫁ブーにそのことを聞いてみた。
「そんなこと知らんよー」
高校時代からの親友である嫁ブーも、さすがにそこまではわからないらしい。
結局わけがわからないまま、ぼくは家に帰ったのだった。

ちょうど家に着いた頃だった。
ヒロミからメールが届いたのだ。
それを読んで、ようやく先ほどの疑問が解けた。
実は、ヒロミはぼくが最初の写真を送る直前に、娘のMリンにメールを送っていたらしい。
それを送ったあと、すぐにメールが届いたので、てっきりMリンからのものと思い、友だちの前で開いたのだという。

そのメールを読みながら、その時の状況をぼくは自分の中で再現してみた。
「あ、Mリンから返事が来たよ」
「えらく早いねえ」
「Mリン打つの早いけね」
「何て言ってきたの?」
「ちょっと待ってね」
そう言って、ヒロミは友だちの前で受信画面を開いた。
「あっ!」
「えっ、何これー?見せて」
「見らんでいいっちゃ」
友だちは、ヒロミから携帯を取り上げた。
そこには、誰にも見せたくない、高校時代のヒロミの写真があった。
「あー、これってヒロミちゃん?」
「…うん」
「ぷっ、ぷぁはっはっはっはっは」
「‥‥」
「あー、腹いてぇー」
「‥‥(汗)」

ぼくが写真を送りつけている間、ヒロミはいったいどんな顔をしていたのだろうか?
ずっと黙っていたのだろうか?
それとも、しかたなくいっしょになって笑っていたのだろうか?
それを考えている間、ぼくは歯の痛みも忘れていた。



高校時代のヒロミちゃん

昨日、野暮用のため、歯痛をおして嫁ブーの実家に行った。
そこでいろいろとごちそうを出してもてなしてくれたのだが、歯が痛いので当然食欲もなく、さらに味もわからないときている。
そのため早々と食事を終え、テレビで野球を見ながら一人暇をもてあましていた。
歯は痛いし、嫁ブー実家の話題について行けないし、おまけにソフトバンクも途中から逆転されるし、でクソ面白くない。
と、その時だった。
20年近くも忘れていた、あることを思い出したのだ。
それは、ヒロミの高校時代の写真を見ることだった。

20年近く前に、一度ヒロミから高校の卒業アルバムを見せてもらったことがある。
が、そこには肝心のヒロミの顔はなかった。
ヒロミは、そこに載っている自分の顔が気に入らないといって、その部分だけをマジックで黒く塗りつぶしていたのだ。
「これじゃヒロミの顔が見れんやないか」
「いいやん、ボリ(後の嫁ブー)見とったら」
「ボリの顔だけ見とっても面白くないやろ」
「今度、違うの持って来ちゃるけ」
「それならしかたない。ボリから見せてもらおう」
最後にぼくはそう言ったのだが、以降そのことを忘れていたのだ。

20年ぶりにそのことを思い出したぼくは、さっそく嫁ブーに高校の卒業アルバムを持ってこさせた。
「で、ヒロミはどこに載っとるんか?」
「ここよ」
そう言って嫁ブーは、ヒロミの載っているページを開いた。
そのページの中央付近に、ヒロミは載っていた。
ぼくが「きれいやん」と言うと、嫁ブーは「そうやろ」と同意する。
「何でヒロミはこの写真が気に入らんとか?」
「知らんよー。ヒロミ、このアルバムをもらって、すぐに自分の顔を消したんやけ」
「そういえば、ヒロミはこの間のメールで、『卒業写真の顔、死んどるけ』と書いとったのう。そうは見えんけど」
「本人はこの顔が嫌いなんやろね」

「ところで、ヒロミは高校時代も、あんなふうやったんか?」
「うん、全然変わってないよ」
「何か面白いエピソードあるか?」
「エピソードねえ…。あ、そういえば…」
「何かあるんか?」
「一時期ねえ、ヒロミ、駅前で売っていたドラえもんのどら焼きに凝ったことがあるんよ」
「そうか」
「それでね、あんまり食べ過ぎて太ったんよ」
「うん」
「普通なら、食べるの控えるやん」
「うん」
「でもヒロミは違ったけね」
「どうしたんか?」
「あいつねえ、食べるだけ食べて、すぐに下剤飲んで出しよったんよ」
「えっ、食べたものを、すぐに垂れ流しか?」
「うん」
「ヒロミらしいのう」
「ヒロミ、一度下剤飲んで試験受けたことがあったんよ。それで途中で催したみたいでね。青い顔して『先生、トイレ』と言って、教室を出て行ったんよ。そのまま帰って来んかったけね」
「おお、こういうネタを待っていた。さすがヒロミやのう」

ぼくはさっそくその話を書いて、ヒロミにメールした。
ところが、ヒロミの話はちょっと違っていた。
『山崎の肉マンやない? バロンてパン屋さんで売ってたんよ。家ではおはぎばかり食べてて、みるみる太ってきたから、毎日ヨーグルト、パイン、西瓜、蒸しパンとか食べよったら、便秘になってしまったけ、一週間分を土曜にコーラック飲んでだしよったんよ。そしたら2ヵ月で10キロ痩せたんよ。まわりの痩せたい友達から毎日電話がきて、その日のメニューを聞かれたんよ』ということだった。

嫁ブーとヒロミの話は、どうも違う時期の話のようである。
が、いずれにしても笑える話である。



白髪に効くシャンプー

最近、また昔のように、朝、頭を洗うようになった。
いわゆる朝シャンというやつである。
別に、昔を思い出してやっているわけではない。
毎晩帰りが遅いので、当然食事の時間も遅くなる。
その上日記を書いているので、風呂などに入っている暇がない。
ということで、風呂だけは朝型に変えたのだ。

朝シャン、厳密に言えばぼくの場合は『朝石けん』になる。
なぜなら石けんで頭を洗っているからだ。
石けんで頭を洗い出して、もう10年近く経つ。
それまでは、普通にトニックシャンプーなんかを使っていたのだが、若白髪の原因がシャンプーだと知ってから使用するのをやめたのだ。
それから水洗いだけにしたり、塩で洗ったりしたあと、シャボン玉石けんに行き着いた。
最初の頃こそ、髪になじまず、ギシギシして指が通らなかったものだが、何ヶ月か使用しているうちにそれも解消した。
白髪は進行していくものの、シャボン玉石けんで洗っているおかげで髪が健康になり、それまでなかったツヤも出てきたのだ。
そうそう、今週の火曜日のことだが、歯医者に行く前に床屋に行った。
その時、床屋の姉さんから「すごくきれいな白になっていますよ」と言われた。
シャボン玉石けんで髪を洗うと、実にいいことだらけなのだ。
そのため、シャボン玉石けんが手放せなくなった。

ところがである。
ひと月ほど前から、知り合いが化粧品(マルチではない)の卸を始めた。
普段いろいろ世話になっているので、何か一つ買ってあげたかったのだが、ぼくは化粧をしない。
しかたないので、そこで取り扱っているシャンプーを買ってみた。
もちろんぼくはシャボン玉石けんがあるので使わなかったのだが、嫁ブーがそれを使ってみて「これいいよ」と言ってきた。
「どういうふうにいいんか?」
「洗ったあと、ゴワゴワせんのよね。ツヤも出てきたし…。ナンカ癖になりそう」

ぼくは、そのことを知り合いに言った。
「そうでしょ」
「あれいいと?」
「いいんですよ。無添加だから、髪を荒らすことがない。しかも、化粧品と同じ作りだから、いい成分が肌に浸透して、活性酸素をやっつけるんですよ」
「へえ。じゃあ、頭のかさぶたとかにもいいと?」
「一発ですわ。それにですねえ、これは公表はされてないんですけど、白髪にいいらしいんですよ。その中に配合されているエキス、例えばアロエエキスとかが血行を促進するとかで、かなりの人の白髪が改善されたらしいんです」

『無添加』『アロエエキス』『白髪にいい』、このキーワードにぼくの心は動いた。
「そんなにいいんなら、おれも使ってみようかのう」
「ええ、そうしてみて下さい」
「でも、シャボン玉石けん使いよるしねえ」
「ああ、あれもいいですよね。でも、これもシャボン玉と同じく無添加なので、髪を荒らすことがない。しかも、白髪にいいんですからね。試しに使ってみたらどうですか?」
「そうやねえ…」

確かに悪いものではない。
おそらく5,6年前なら、すぐにこれに切り替えていただろう。
しかし、今は躊躇してしまう。
何に引っかかっているのかというと、その一番のメリットである「白髪にいい」である。
『しろげしんた』という名前が示すとおり、ぼくの白髪頭は定着しているのだ。
いわば白髪はぼくのシンボルなのだ。
もしこれが黒髪になったら、『しろげしんた』でいられなくなる。
これが一番の問題点である。

さらに、もし黒髪に戻るとしても、一気に戻ることはないだろう。
おそらくは徐々に戻るわけだから、今までたどってきた道を逆戻りすることになるわけだ。
白髪になっている人ならわかってもらえると思うが、ある程度白髪が増えてくると、それは一つのファッションになる。
しかし、そのなり始めというのは実に悲惨である。
見た目もおかしいし、何よりも精神的なショックが大きいのだ。
それをまた味あわなければならないとなると、どうしても引いてしまう。
せっかく床屋の姉さんが、「きれい」だと言って褒めてくれた白髪なのだ。
しかも、この髪が一番ぼくに似合っていると思っているのだ。
それを元に戻すなんて、到底出来そうもない。

でもなあ…。
けっこう早くから頭が白くなっていたので、若い頃は歳よりも老けて見られていた。
その屈辱を取り返す、今がチャンスなのだ。
おそらく、50代になってからそのシャンプーを使い始めたとしても、ある程度の白髪は治るかもしれないが、老化でなった部分はもう治りようがないだろう。
そうなると、すべての髪が老化するまで、なり始めのような頭で過ごさなければならない。
もちろん、そうなったとしても、毛染めが合わないので、染めることも出来ない。
だが、今ならまだ間に合うのだ。
さて、どうしたものだろうか?



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