頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2005年02月

古い体質ねえ

ぼくは経済のことなどまったくわからない。
さらに株式などと言われると、ちんぷんかんぷんだ。
それゆえ、新聞も経済欄は飛ばしているし、テレビの経済ニュースなどは見ないことにしている。
たまに見ることはあっても、それはソニーなんかが新製品を発表した時くらいだ。

さて、ここ最近フジテレビとライブドアの闘いを、ニュースなどでやっている。
もちろん、そこには株の専門用語が頻繁に出てくるから、おそらくその内容の半分はわからないだろう。
だが、それでもぼくはそのニュースを興味を持って見ている。
それは、残りの半分がケンカだからだ。
このケンカは、先に手を出したのがライブドアで、その勢いに乗って突っ走った。
一方のフジは、それを食い止めるべく反撃に出た。
それが気に入らんとライブドアが文句を言っている。
という話である。

普通、こういう場合は、先に手を出したほうに批判が、手を出されたほうに同情が集まるものだ。
その同情というのが、どれだけ大きな力となるかは、先の大戦(太平洋戦争)を見てもわかる。
先の大戦では、アメリカはいろいろと手を尽くして、後者の側に回ろうとした。
そう、国内及び世界の世論を味方に付けるためだ。
そしてそれは、見事に成功した。
前者となった日本は、そのせいで全世界を敵に回すことになる。
戦後もそのことが大きく響いた。
アメリカが行った原爆投下や都市部への無差別空爆といった、本当の意味での戦争犯罪に言及することもできず、さらに悪いことに、日本に負けていた国からも、いわれのない罪を押しつけられる結果となってしまったのだ。
なぜそうなったかというと、すべては先に手を出したからである。

ところが、今回の問題は、おかしな現象が起きている。
もちろん、先に手を出したライブドアは当然批判を受けることになったが、なぜか後者であるフジのほうも、古い体質だとか、やり方が汚いだとか言われて批判を受けているのだ。

今夕のニュースでは、ライブドアの支持率が62%となっていた。
いつものように街頭インタビューもやっていたが、支持率を裏付けるかのように堀江支持の声のほうを多く紹介していた。
ところが、その理由というのが、堀江支持派に圧倒的に多い意見である「同世代だから」「古い体質からの脱却」だった。
しかし、そこには「だから、どうなんだ」という意見が一つもないのだ。
コメンテーターがいちおうその意見をフォローしていたのだが、それはあくまでもコメンテーターの意見に過ぎない。

ぼくはこれを見ていて、6,70年代に世の中を騒がした学生たちを思い出した。
彼らもまた「体制崩壊」だの「革命」だの口走って、「古い体質からの脱却」を訴えていたのだ。
ぼくが東京にいる頃も、その残党が残っていて、よく駅前でハンドメガホン片手に、演説をぶっていたものだ。
しかし、その演説に足を止める人など一人もいなかった。
なぜなら、彼らの言うことは、政治への不満、もっと広く言えば、大人への不満だったからである。
そういう不平不満をダラダラ並べるだけで、「だからどうなんだ」という主張は皆無だった。
そのため、何の説得力もなく、ただうるさいだけの存在になってしまっていたのだ。

面白いことに、今の体制の主流になっているのは、あの頃「古い体質からの脱却」を訴えていた学生たちの世代なのだ。
その体制を崩壊させるというのだから、それはそれ以前の体制に戻すということになるのではないだろうか。
そうであれば、かなり古い体質になってしまう。

ところで、今回のケンカだが、「古い体質」だと批難するライブドアは、どうしてその古い体質の上に乗っかかろうとするのだろう。
そんなに古い体質が嫌なのなら、自分たちで独自の新しい体質を作り出せばいいのだ。
それなら誰も文句は言わない。
「よくやっている」と言って、世間も拍手を送るだろう。
優秀な頭脳の持ち主ばかりなのに、どうしてそうしないのか。
もしかして、彼らは古い体質に甘えているのかなあ。



あなたがほしい(下)

それから1時間ほどが過ぎた。
三人の会話が途絶えた。
しばらく沈黙が続いたあとに、一人が「ママ、今日は歌わせて」と言った。
ぼくたちが振り向くと、それは時々見かける女性だった。
ママはその女性にマイクを渡した。

三人は代わる代わる歌った。
そして、何曲か目に高橋真梨子の『for you・・・』が入った。
マイクを取ったのは、地味女だった。

歌はかなりうまかった。
周りも「うまい、うまい」と歓声を送っていた。
それで気分をよくしたのか、だんだん歌声は大きくなっていった。
ところが、歌っていくうちにだんだん怪しくなってきたのだ。
大きくなった歌声が、かすかに震えてきた。
そしてサビ、そう「あなたがほしい」のところにさしかかった時だった。
急に彼女の声が止まり、うつむいて「ああ…」と声を上げて泣き出したのだ。
それを見て、それまで歓声を上げていた人たちの声も止まった。
あたりはシーンとなった

もう歌えない。
演奏だけが空しく鳴り響いている。
二人は、彼女の背中をさすりながら、「ね、悪いことは言わないから…、もう忘れなさい」などと言っている。
地味女は、そのつど「うん、うん」とうなずいていた。
不倫女は彼女だったのだ。
見た目ではわからないものである。
彼女が泣いている間、すでにBGM化してしまった『for you・・・』が、ずっと流れていた。

その彼女がその後どうなったのかは知らない。
もしかしたら、その後もその相手と縁が切れず、今なおズルズルとした関係が続いているのかもしれない。
いや、一度不倫の癖がついた身だから、他の相手を見つけたのかもしれない。
しかし、そのことをママさんに聞くことはなかった。
なぜなら、次にその店に行った時には、ぼくはもうそのことを忘れていたからだ。
その後、そのことを思い出すこともなく、今に至ったわけである。
そのことを尋ねようとしても、もう店はなくなってしまっているから、どうしようもない。
ま、ぼくにとっては、どうでもいいことだから、別に知る必要もないのだが。

ところで、あの地味女は不倫相手の前でも、『for you・・・』を歌っていたのだろうか。
もしそうだったとしたら、相手の男はどういう反応をしただろうか。
寛容に受け止めただろうか?
それとも、引いてしまっただろうか?
ぼくがもしその男だったとしたら、どうだろう。
「あなーたがほしい」なんて、目の前でやられるわけだからねえ…。
きっと引いてしまうだろうなあ。
さらに目配せでもされた日には、怖くなって逃げ出すにちがいない。
だいたい「ほしい」などという言葉は、日本人にはそぐわないのだ。
人は物じゃないのだから。



あなたがほしい(上)

何かの拍子に、今までまったく忘れていた、どうでもいいようなことを思い出すことがある。
今朝、いつものように、会社に行くなりトイレに駆け込んだ。
その時、トイレのドアの閉まる「ギー」という音を聴いて、ある歌を思い出した。
高橋真梨子の『for you・・・』である。
「お、このフレーズ、『あなたがほしい…』に似とるわい」と思ったわけである。
思い出したことというのは、その『for you・・・』にまつわる話だった。

前の会社にいた頃、ぼくは月曜日になると、いつも行きつけのスナックに飲みに行っていた。
なぜ月曜日かというと、翌日の火曜日が休みだったからだ。
そこで弾き語りをしたり、ママさんや他のお客さんとおしゃべりをしたりして楽しんでいた。

ある日、いつものように他のお客さんと談笑している時だった。
バタッとドアの開く音がした。
見ると女性客が三人立っていた。
どの人も、ぼくよりは確実に10歳以上年が上だった。
当時ぼくは30代の前半だったから、その人たちは40代だったのだろう。
三人のうち一人は、時々見かける顔だったが、あとの二人は初めて見る顔だった。

三人は店の中を見回すと、「今日はやめとこうか」と言って店を出て行った。
それを見てママさんは、三人を追いかけていった。
10分ほどして、ママさんは三人を連れて戻ってきた。
「今日のお客さんは、心許せる人たちばかりだから、心配せんでいいよ。さあお入り」
そう言って、ママさんはカウンターの隅に席を設けた。

ぼくたちは、三人を気にせずに、また談笑を始めた。
一方の三人はというと、ぼくたちに聴かれまいとして、小声で話をしている。
ぼくは「三人とも暗い顔をして、いったい何を話しているんだろう」と思ったが、盗み聞きするのも悪いと思って、なるべくそちらに意識を持っていかないように心がけていた。
ところが、席が近かったせいもあり、聴くつもりがなくても、時折その会話が聞こえてくる。
「・・・、だから、・・・、ご主人・・・、まずいやろ?」
「でも、・・・、本当に、・・・、諦めきれない」
「いや、・・・、間違って、・・よ」
と、延々この調子だった。

その会話の断片を繋いでみると、どうも三人のうちの一人が不倫しているらしい。
あとの二人は、相談に乗っているようだ。
『いったい誰が不倫してるんだろう?』
と、ぼくは横目で三人を見た。
時々見かける人は、相談に乗っているようだから、あとの二人のうちの一人がそうなのだろう。
その二人のうち一人は、どこでもいるような主婦だった。
服装も地味で、『この人は、まずないだろう』というようなタイプだった。
もう一人は、遊び慣れしたような感じのする人で、服装なんかもけっこう派手だった。
ということで、ぼくは『不倫女は、きっとあの派手女だろう』と思っていた。



来週の金曜日、差し歯になる

今日も歯医者だった。
今日の治療で、何とか『UV歯』からは脱出できた。
しかし、治療が終わったわけではない。
『V歯』をさらに削られて、えらく小さくなってしまった。
どうやら、そこに差し歯をするようなのだ。
削り終わったあとに、歯型を取り、そこを仮歯で埋めた。
舌で触った感触だと、どうやら今度は『UV』にはなってなさそうだ。

家に帰ってから、さっそく鏡を覗いてみると、色も目立たず、いい感じで仮歯がくっついている。
ところが、そこで新たな問題を見つけてしまった。
今度は何かというと、その仮歯の丈が短いのだ
そのために、隣の歯と段違いになっていて、見ようによっては間抜けに見える。

しかし、これまでのうちではいいほうだろう。
最初は、前歯のど真ん中に、ミルキー色の蓋を付けられていた。
その蓋の形が、治療をするたびに変わっていたのだ。
丸かったり、三角だったり、四角かったり、時にはハート型の日もあった。
そのたびに、人前で歯が見えないように工夫しなければならなかったのだ。
変に鼻の下を伸ばしたりして大変だった。
しかも、その蓋は歯の裏にまでかかっていたため、いつもザラザラしていて気持ち悪かった。
舌で触らないようにしていればいいのだが、その歯の裏が舌の定位置だから始末が悪い。
歯を磨いても磨いた気分にならないし、食べ物の味は半減するし、まったくろくなことはなかった。

そして、ハートの次が、前回の『UV』だったわけだ。
史上最大の間抜け顔で、1週間近くも過ごさなければならないかと思うと、憂鬱な気持ちになったものだ。
さらに困ったことがあった。
歯先が尖っているため、乾燥しているこの時期の唇に触れると、簡単に切れてしまうのだ。
ただでさえ歯の感触が違うのに、その上唇は切り傷で腫れてしまう。
こんな気持ち悪いことはなかった。
しかし、この状態は、幸いにも2日で終わった。

さて、丈が短くて、段違いになったとはいえ、何とか形になった歯である。
もし仮歯が取れでもしたら、歯抜け状態になってしまうから、負担をかけるわけにはいかない。
差し歯が出来てくるのは、来週の水曜日になるらしい。
が、ぼくの休みは火金なので、次は金曜日にしか行けない。
それまで、堅いものを食べず、ガムを噛まず、キャラメルをなめないようにしなければ。



亀渕昭信のオールナイトニッポン

昨日、テレビにカメが出ていた。
現ニッポン放送社長の亀渕昭信のことである。
声は幾度となく聴いたことがあるし、写真も何度か見たことがあるのだが、動画を見たのはこれが初めてである。
昨日はだいぶお疲れのようだった。
まあ、連日、食うか食われるかの闘いをやっているわけだから、疲れているのも仕方のないことだろうが…。

しかし、ぼくらのカメも年を取ったなあ。
ぼくが『亀渕昭信のオールナイトニッポン』を聴いていたのが、今から35年も前のことだから、それもしかたないといえばしかたない。
その分ぼくも年を取ったわけだから。

そういえば、ぼくは一度だけ、カメのオールナイトニッポンにリクエストはがきを出したことがある。
中学1年の冬のことだった。
確かクライマックスの『花嫁』をリクエストしたと思うが、その時書いたコメントが、今の日記のように長くなったのを憶えている。
何を書いたかというと、その年の秋に来た、教育実習の先生のことだった。
その先生は近くの大学に通う、玉城さんという沖縄出身の女性だった。
普通、教育実習は出身校でやることが多いが、その先生が母校でやらず、大学の近くにある中学を選んだ理由は、きっとその当時の沖縄がアメリカだったためだろう。

ぼくは、その頃はおしゃべり人間だった。
授業中も落ち着きがなく、よく突拍子にないことを発言していたものだ。
先生の初めての実習授業でも、「先生、屋良主席はお元気ですか?」などと訳のわからない質問をしたのだった。
突然、授業に関係のない「屋良主席」が出てきたせいか、先生は当惑していた。
が、「お元気ですよ」とサラッと流していた。
実習は2週間ほどだった。
先生と親しくなるにつれ、けっこうプライベートな話などをしていたような記憶がある。
先生が沖縄に戻った時に手紙をもらったのだが、「おしゃべり好きのしんた君と記憶しているけど…」で始まり、最後は「屋良主席からもよろしくとのことでした」で締めくくられていた。

リクエストはがきは、その手紙をもらった時に書いたものだった。
先生の初めての授業から最後の授業までをダラダラと書き、最後にお決まりの「先生には幸せになってほしい」という文章で終えたのだった。
そのダラダラ文で、はがきのスペースほとんどを費やしてしまった。
そのため、肝心のリクエストを書くスペースがなくなってしまった。
そこで、ダラダラ文の下のわずかな余白に、「クライマックスの『花嫁』かけろ」と小さな字で書いたのだった。
で、そのリクエストカードが読まれたのかというと、定かではない。
そのリクエストカードを出してから、必死にラジオにかじりついていたのだが、いつも途中で眠ってしまったために、確認できなかったのだ。

そうそう、先日『時間ですよ昭和元年』を見ていると書いたが、あのドラマにカメの妹、亀渕友香が出ている。
亀渕友香といえば、ゴスペルの第一人者。
兄妹共にご活躍なわけだ。

昨日の記者会見を聞いて思ったのだが、オールナイトニッポンで活躍していた頃のカメと比べると、声に張りを感じなかった。
まあ、フリートークではなく、公式の記者会見だったから、ああいうしゃべりをせざるを得なかったのだろう。
しかし、「これからもフジサンケイグループの一員としてやっていきたい」と言った時のカメは、あの頃を彷彿とさせる声に戻っていた。
ああ、もう一度『亀渕昭信のオールナイトニッポン』を聴いてみたいなあ。



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