ぼくは経済のことなどまったくわからない。
さらに株式などと言われると、ちんぷんかんぷんだ。
それゆえ、新聞も経済欄は飛ばしているし、テレビの経済ニュースなどは見ないことにしている。
たまに見ることはあっても、それはソニーなんかが新製品を発表した時くらいだ。
さて、ここ最近フジテレビとライブドアの闘いを、ニュースなどでやっている。
もちろん、そこには株の専門用語が頻繁に出てくるから、おそらくその内容の半分はわからないだろう。
だが、それでもぼくはそのニュースを興味を持って見ている。
それは、残りの半分がケンカだからだ。
このケンカは、先に手を出したのがライブドアで、その勢いに乗って突っ走った。
一方のフジは、それを食い止めるべく反撃に出た。
それが気に入らんとライブドアが文句を言っている。
という話である。
普通、こういう場合は、先に手を出したほうに批判が、手を出されたほうに同情が集まるものだ。
その同情というのが、どれだけ大きな力となるかは、先の大戦(太平洋戦争)を見てもわかる。
先の大戦では、アメリカはいろいろと手を尽くして、後者の側に回ろうとした。
そう、国内及び世界の世論を味方に付けるためだ。
そしてそれは、見事に成功した。
前者となった日本は、そのせいで全世界を敵に回すことになる。
戦後もそのことが大きく響いた。
アメリカが行った原爆投下や都市部への無差別空爆といった、本当の意味での戦争犯罪に言及することもできず、さらに悪いことに、日本に負けていた国からも、いわれのない罪を押しつけられる結果となってしまったのだ。
なぜそうなったかというと、すべては先に手を出したからである。
ところが、今回の問題は、おかしな現象が起きている。
もちろん、先に手を出したライブドアは当然批判を受けることになったが、なぜか後者であるフジのほうも、古い体質だとか、やり方が汚いだとか言われて批判を受けているのだ。
今夕のニュースでは、ライブドアの支持率が62%となっていた。
いつものように街頭インタビューもやっていたが、支持率を裏付けるかのように堀江支持の声のほうを多く紹介していた。
ところが、その理由というのが、堀江支持派に圧倒的に多い意見である「同世代だから」「古い体質からの脱却」だった。
しかし、そこには「だから、どうなんだ」という意見が一つもないのだ。
コメンテーターがいちおうその意見をフォローしていたのだが、それはあくまでもコメンテーターの意見に過ぎない。
ぼくはこれを見ていて、6,70年代に世の中を騒がした学生たちを思い出した。
彼らもまた「体制崩壊」だの「革命」だの口走って、「古い体質からの脱却」を訴えていたのだ。
ぼくが東京にいる頃も、その残党が残っていて、よく駅前でハンドメガホン片手に、演説をぶっていたものだ。
しかし、その演説に足を止める人など一人もいなかった。
なぜなら、彼らの言うことは、政治への不満、もっと広く言えば、大人への不満だったからである。
そういう不平不満をダラダラ並べるだけで、「だからどうなんだ」という主張は皆無だった。
そのため、何の説得力もなく、ただうるさいだけの存在になってしまっていたのだ。
面白いことに、今の体制の主流になっているのは、あの頃「古い体質からの脱却」を訴えていた学生たちの世代なのだ。
その体制を崩壊させるというのだから、それはそれ以前の体制に戻すということになるのではないだろうか。
そうであれば、かなり古い体質になってしまう。
ところで、今回のケンカだが、「古い体質」だと批難するライブドアは、どうしてその古い体質の上に乗っかかろうとするのだろう。
そんなに古い体質が嫌なのなら、自分たちで独自の新しい体質を作り出せばいいのだ。
それなら誰も文句は言わない。
「よくやっている」と言って、世間も拍手を送るだろう。
優秀な頭脳の持ち主ばかりなのに、どうしてそうしないのか。
もしかして、彼らは古い体質に甘えているのかなあ。
さらに株式などと言われると、ちんぷんかんぷんだ。
それゆえ、新聞も経済欄は飛ばしているし、テレビの経済ニュースなどは見ないことにしている。
たまに見ることはあっても、それはソニーなんかが新製品を発表した時くらいだ。
さて、ここ最近フジテレビとライブドアの闘いを、ニュースなどでやっている。
もちろん、そこには株の専門用語が頻繁に出てくるから、おそらくその内容の半分はわからないだろう。
だが、それでもぼくはそのニュースを興味を持って見ている。
それは、残りの半分がケンカだからだ。
このケンカは、先に手を出したのがライブドアで、その勢いに乗って突っ走った。
一方のフジは、それを食い止めるべく反撃に出た。
それが気に入らんとライブドアが文句を言っている。
という話である。
普通、こういう場合は、先に手を出したほうに批判が、手を出されたほうに同情が集まるものだ。
その同情というのが、どれだけ大きな力となるかは、先の大戦(太平洋戦争)を見てもわかる。
先の大戦では、アメリカはいろいろと手を尽くして、後者の側に回ろうとした。
そう、国内及び世界の世論を味方に付けるためだ。
そしてそれは、見事に成功した。
前者となった日本は、そのせいで全世界を敵に回すことになる。
戦後もそのことが大きく響いた。
アメリカが行った原爆投下や都市部への無差別空爆といった、本当の意味での戦争犯罪に言及することもできず、さらに悪いことに、日本に負けていた国からも、いわれのない罪を押しつけられる結果となってしまったのだ。
なぜそうなったかというと、すべては先に手を出したからである。
ところが、今回の問題は、おかしな現象が起きている。
もちろん、先に手を出したライブドアは当然批判を受けることになったが、なぜか後者であるフジのほうも、古い体質だとか、やり方が汚いだとか言われて批判を受けているのだ。
今夕のニュースでは、ライブドアの支持率が62%となっていた。
いつものように街頭インタビューもやっていたが、支持率を裏付けるかのように堀江支持の声のほうを多く紹介していた。
ところが、その理由というのが、堀江支持派に圧倒的に多い意見である「同世代だから」「古い体質からの脱却」だった。
しかし、そこには「だから、どうなんだ」という意見が一つもないのだ。
コメンテーターがいちおうその意見をフォローしていたのだが、それはあくまでもコメンテーターの意見に過ぎない。
ぼくはこれを見ていて、6,70年代に世の中を騒がした学生たちを思い出した。
彼らもまた「体制崩壊」だの「革命」だの口走って、「古い体質からの脱却」を訴えていたのだ。
ぼくが東京にいる頃も、その残党が残っていて、よく駅前でハンドメガホン片手に、演説をぶっていたものだ。
しかし、その演説に足を止める人など一人もいなかった。
なぜなら、彼らの言うことは、政治への不満、もっと広く言えば、大人への不満だったからである。
そういう不平不満をダラダラ並べるだけで、「だからどうなんだ」という主張は皆無だった。
そのため、何の説得力もなく、ただうるさいだけの存在になってしまっていたのだ。
面白いことに、今の体制の主流になっているのは、あの頃「古い体質からの脱却」を訴えていた学生たちの世代なのだ。
その体制を崩壊させるというのだから、それはそれ以前の体制に戻すということになるのではないだろうか。
そうであれば、かなり古い体質になってしまう。
ところで、今回のケンカだが、「古い体質」だと批難するライブドアは、どうしてその古い体質の上に乗っかかろうとするのだろう。
そんなに古い体質が嫌なのなら、自分たちで独自の新しい体質を作り出せばいいのだ。
それなら誰も文句は言わない。
「よくやっている」と言って、世間も拍手を送るだろう。
優秀な頭脳の持ち主ばかりなのに、どうしてそうしないのか。
もしかして、彼らは古い体質に甘えているのかなあ。