頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2005年01月

無粋(上)

【飲む】
飲むほうは得意である。
あ、いや、得意であった。
最近は飲む回数も減ったのだ。
以前は、週に何回か飲みに行っていた。
が、最近は年に数回しか参加していない。
たまに参加する飲みごとも、前は「朝までやるぞー!」と勇ましく吠えながら、酔いつぶれるまで飲んでいたものだが、今では飲んでいる最中に「○時までに帰れば日記が書ける。それまでに帰ろう」と、帰る時間を気にするようになった。

もちろん二次会は、なしである。
昔のぼくを知っている人からすれば、えらく面白くない存在になっているはずだ。
「しんた、前みたいにグデングデンになるまで飲もうやないか」
「悪いけど、今日は帰る」
「ちょっと二次会につき合うくらい、いいやないか」
「いや、二次会に行くと、日記を書く時間がなくなる」
「日記?一日くらい休んだっていいやないか」
「だめ、一日も休めん」
「日記と言ったって、そんなに時間はかからんやろう?」
「そんなことはない。いつも悪戦苦闘しよるんぞ」
「いいやないか。行こう」
「おまえ昔、○○やったやろ?あの事件を日記で暴露していいなら、行ってもいいぞ」
「・・・」
ということで、ぼくは現在、つき合いの悪い男になっている。


【打つ】
打つほうは前にも書いたことがある。
北九州はギャンブルの街である。
中央競馬場が一つ、競輪場が一つ(ちょっと前までは二つあった)、競艇場が一つ(隣接する市町を含めると三つ)、あとは無数のパチンコ屋。
ぼくの家を中心に見ても、車で15分以内のところに競艇場が二つと大きなパチンコ屋がいくつもある。
そういうこともあって、よく人から聞かれることがある。
「しんたさんはギャンブルしますか?」である。
ぼくはギャンブルが好きではないので、当然やることもない。
だから、「しません」と答える。
それが意外なのか、たいてい相手は、「好きかと思いよった」と言う。

生まれてこの方、馬券を買ったことは一回しかない。
それは東京にいた頃だった。
1978年の有馬記念だったが、何も好きこのんで買ったわけではない。
ある友人が馬券を買いに行くというので、そこにいた人たちが「じゃあ、おれもの買ってきて」と頼んでいた。
最初ぼくは無視していたのだが、友人の一人が「しんた、これ絶対当たるから買っとけよ」と言うので、絶対当たるならということでお金を出した。
が、もちろん外れた。
ということで、競馬には縁がないと思い、それ以来、買ったことはない。



歯医者その後(下)

しばらくして先生の手が止まり、ぼくの口元から離れていった。
看護婦さんが来て、「起こします」と言った。
起きるなりぼくは、看護婦さんが「うがいして下さい」という前に、口の中にたまっていた麻酔液を吐き出した。
そして、その後何度もうがいをした。
背後から、「じゃあ、そのままお待ち下さい」という声が聞こえた。

しかし、大の男が歯医者の治療イスに座って、麻酔が効いてくるのをボーッと待っているのも変なものである。
せめてイスを倒してくれたら、居眠りくらいすることも出来るのだが、座っていると何にもすることがないのだ。
出来ることといえば、窓の外を眺めることぐらいだ。
この歯医者の窓は大きいので、外の風景がよく見える。
ということは、逆に外からも中が見えているということだろう。
イスに座ってボーッとしているぼくの姿は、きっとおかしく映っていたに違いない。

さて、時間がたつうちに、注射中から効いていた麻酔がさらに効いてきた。
鼻の下の感覚がなくなり、それが唇にまで降りてきた。
『ちっ、やっぱり唇に来たか』とぼくは思った。
唇に来ると、うがいをする時に締まりがなくなり、そこから水が漏れるからやっかいなのだ。
昔、これで衣服を濡らしたことがある。
そこでぼくは、口を閉じた感覚をつかんでいようと思い、何度も口を開け閉めして、その感覚を覚えることにした。
そして、何とかその感覚をつかんだ。
ところがそれがいけなかった。
唇を動かすことによって、麻酔の範囲が広がってしまったのだ。
その麻酔がどこに影響したのかというと、鼻である。
小鼻のところがジンジンしてきたのだ。
鼻がしびれるなど、生まれて初めての経験である。
その後、治療の最中に何度か麻酔が切れかかり、痛みが走ったのだが、鼻のほうは相変わらずしびれたままだった。

治療は一時間以上かかった。
虫が食っているところよりも、すでに治療していた歯が悪くなっていたとかで、神経を抜いたらしい。
そのために時間がかかったのだ。
終わってみると、前歯には大きな穴が空いていた。
その穴に、先生はセメントのようなものを埋めていた。
それが固まった頃に、「今日は終わりです」ということになった。

家に帰ってから、さっそく鏡で治療した歯を見て、ぼくは唖然とした。
ぼくの歯の色とはまったく違った色のセメントが埋めてあるのだ。
どう見てもおかしい。
ミルキーが前歯の所々にくっついているような感じである。
次の治療の日まで、このミルキー状態でいなければならないのだ。
それを考えると、気が重くなった。
しかし、ミルキーならまだいい。
次回この歯の治療が終わったとして、もし銀歯でも入れられたらどうしようか?
奥歯に銀はまだ許せる。
だが、前歯の銀だけは耐えられない。
ぼくの持つ男の美学に反するのだ。
しびれたままの鼻を押さえて、ぼくはそうならないことを鏡の前で、必死に祈っていた。



歯医者その後(中)

そこで我慢が始まった。
待っていれば、看護婦さんがイスを起こして、「うがいして下さい」と言うだろう。
しかし、そういう時に限って、時間というものは長く感じるものである。
実際、その待ち時間は2,3分くらいのものだった。
にもかかわらず、ぼくには10分、いや20分くらいにも感じたのだった。
その間何度もつばを飲み込もうとしたものだ。

ようやく看護婦さんがイスを起こした時、ぼくは真っ先に、口にたまっているつばを吐き捨てた。
これで一安心、と思っていたら、また新たな疑問がぼくの頭の中で渦巻いた。
「もしかしたら、つばのせいで液体の効果がなくなったのではないか…?」

その疑問が当たっていたかどうかはわからない。
が、その後の注射はかなり痛く感じたものだった。
しかも、針を刺している時間が長い。
先生は時間かけて、ゆっくりと麻酔を注入しているのだ。
神経が過敏になっているせいか、麻酔が歯ぐきの中に入っていくのがわかる。

その注射も、もうすぐ終わりかなと思った時だった。
またもや液体が舌に落ちてきた。それも大量に。
一瞬、何だろう?と思ったが、よく考えてみると、これは麻酔液以外の何ものでもない。
おそらく、歯ぐきの中に収まりきれなかった麻酔液が逆流してきたのだろう。
その味はというと、これがかなり苦い。
塗り薬は若干の甘さを感じたものだが、麻酔液には若干ほどの甘さもない。

ここでまた我慢が始まった。
今度は量が多すぎて、つばで薄めるなどということも出来ない。
ということは、濃度100%ということだ。
こういうのを飲み込んでしまったら、食道や胃はどうなってしまうのだろうか?
やはり相当時間しびれるのだろうか?
ああ、そうだった。
食道や胃だけではない。
水を飲んだ時に、その水が通る箇所すべてがしびれていくわけだ。
そこには、腸があり腎臓があり、膀胱がある。
腸や腎臓がしびれた状態…、ちょっと想像できない。
が、膀胱がしびれた状態というのは、何となくわかる。
尿がたまっても、何も感じない。
そして、気がつけば漏らしていた…、などということになるのだろう。

ぼくは麻酔液がのどに行かないように、必死に舌で塞いでいた。
ところが、そこに新たな敵が現れた。
鼻水である。
実は数日前から、若干鼻風邪気味だったのだ。
ずっと上を向いた状態だったため、鼻水がのどに落ちてきたのだ。
鼻水が落ちてくると、のどは反射的にそれを飲み込もうとする。
それにまた神経を遣わなければならなくなったのだ。

一方の先生はというと、相変わらずぼくの口に手を当てている。
まだ注射をしていたのだ。
最初は痛みを感じていたものの、その時には、すでに痛みを感じなくなっている。
ぼくは、『先生、もう麻酔は効いてきますから、注射をやめて、うがいをさせて下さい』と心の中で懇願していた。



歯医者その後(上)

11月末から歯医者に行っているが、先日、最初に取りかかっていた奥歯3本の治療が終わった。
すでに12月末に2本の治療が終わっているから、合計5本の治療が終わったことになる。
今日現在までに歯医者に行った回数は15回だから、一本につき治療は3日かかっているわけだ。
このペースが速いのか、それとも遅いのかはわからない。
まあ、一本一本丁寧にやってくれる先生だから、おそらくちょうどいいペースなのだろう。

さて、その治療だが、先日から前歯のほうに移った。
ぼくは奥歯はもちろん、前歯も丈夫だとは言えない。
というより、歯に何か引っかかっていても、気にしないで放っておくタイプなので、虫歯菌にとってはこの上もない活動の場となっているのだろう。
その証拠に、前歯でいまだに丈夫なのは下の4本だけである。
あとは、何らかの治療を施しているのだ。

昔は、前歯の治療というと、麻酔をかけずにやっていた。
そのため、奥歯のような重い痛みはないものの、鋭い痛みが何度も走ったものだった。
ところが、最近は前歯の治療にも麻酔を用いるようになったようだ。
もちろん、先日の前歯治療にも、麻酔は大活躍した。

その麻酔を打つ時だが、十数年前までは、歯ぐきにダイレクトに針を刺していた。
ところが、最近はそういうことをしないようだ。
どうするのかというと、まず歯ぐきに今治水のような液体を塗り、歯ぐきをしびれさせてから針を打つのだ。
ぼくは、昔から歯ぐきの注射に対しては、恐怖心を持ってないので、ダイレクトに針を刺されても別に何ともないのだが、今の先生は必ずその液体を塗ってからでないと、注射をしないのだ。

実は、ぼくはこの液体がだめなのだ。
なぜなら、その液体を塗りすぎた場合、それが舌にしたたり落ちてきて、舌がしびれるからだ。
もし運悪く、飲み込んでしまったらどうなるのだろう?
舌と同じように、食道や胃がしびれるのだろうか…?
想像しただけでも気持ち悪い。

先日はそんなことを思いながら治療を受けた。
しかし、その日は最悪だった。
歯ぐきに液体を塗られた時に、唇の裏側に違和感が走ったので、思わず唇を動かしたのだが、それがいけなかった。
液が舌にしたたり落ちてきたのだ。
「これはいかん」と思って、つばでその液体を薄めようとした。
しかし、その舌の一点が、どうも火傷したような感覚になってしまった。
おまけに、それを薄めるために出したつばが、口の中にたまってしまったのだ。
そのままでは飲み込んでしまう。
飲み込むと、先に書いたような状態になるのは必至だ。



上京前夜(20)

ちなみに、Y運送のバイト仲間のうち、二人はもうこの世にいない。
一人はKさんだが、もう一人はWさんという方である。
WさんはKさんの友人だった。
この方はKさんよりも早く亡くなっている。
死因は白血病だった。
一方の女性陣だが、Uさんは結婚してから数年後に、ご主人と死別した。
Oさんは、Kさんの死後、年下の男とつきあい始め、そのまま結婚に至ったのだが、ご主人の実家との折り合いが悪く、ノイローゼになったと聞いた。
どちらもその後は消息不明である。
かく言うぼくも、それから数年後につき合いだした嫁さんとは、すんなり結婚に至ったわけではない。
いろいろと紆余曲折があり、結局籍を入れるまでに15年の時間がかかっている。
つまり、その後は誰一人、あの頃自分の描いた幸せな人生を送ってないわけだ。

さて、成人の日の祝成人会も終わり、ぼくは再びY運送以前の生活、そう恋と歌の旅に戻ったのだった。
恋のほうはといえば、X子やOさんのことは、すでにぼくの中では終わったことになっており、恋の主題は、また高校時代の憧れの人に戻っていた。
やはり忘れられないのである。
というより、運命が忘れさせてくれなかったのだろう。
結局その状態が、今の嫁さんとつき合うまで続くのだから、運命はその後5年間も彼女のことを忘れさせてくれなかったわけだ。

まあ、恋のことはさておき、問題は一方の歌のほうだ。
アルバイトの間、ぼくは歌うことは歌っていた。
だが、それは歌と言うにはほど遠かった。
いつも大声を張り上げていただけだったのだ。
おかげで、声はかすれるわ、のどは痛いわでさんざんな目にあった。
つまり、歌と言いながら、声を潰すようなことを繰り返していただけだったわけだ。
また、Y運送でアルバイトしている間は、その疲れと度重なる飲み会で、歌作りなど出来る状態ではなかった。
当然、その間に作った歌は一曲もない。
ということで、しばらくの間家に籠もって、そのブランクを取り戻そうということになった。

ところが、気がつくと、ぼくは家でじっとしている生活が耐えられない性格になっていたのだ。
最初の二、三日は何ということはなかったのだが、それを過ぎる頃から落ち着かなくなった。
「外に出たい」という気持ちが強くなったのだ。
そう、ぼくは前年の5月から続いた『ひきこもり症候群』から、完全に脱出することができたわけだ。
もちろん、その2ヶ月後からアルバイトをやっているから、すでにその時点で『ひきこもり症候群』は終わったはずだったのだが、そうではなかった。
それはあくまでも、母や友人から尻を叩かれて、嫌々外に出ていただけのことで、精神的には『ひきこもり症候群』はまだ続いていたのだ。
ここに来て、ようやく自分から「外に出よう」という気持ちになったわけだ。

そして、この「外に出たい」という気持ちが次のアルバイトを探させ、さらにその気持ちは東京に目を向けさせることになる。
結局、歌のほうは、次のアルバイトが終わるまで、お預けとなった。



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