頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2004年11月

左遷(11)

ようやく計算の出来たぼくは、
「150万です」と言った。
「嘘をつけ。伝票がないやないか!」
「伝票ですか、ちょっと待って下さい」
そう言って、ぼくはクレジットの受付に行った。
その時、背後から店長の「こら、逃げるな」という声が聞こえた。
その言葉を聞いて、ついにぼくの堪忍袋の緒が切れた。

ぼくはクレジットの受付で、自分の売った分のクレジット伝票を素早く拾い出し、それを店長のいるところに持って行った。
そして、それを店長の目のいるカウンターの上にバシッとたたきつけた。
「150万ですっ!!」
ぼくは店長をにらみつけて、大声で言った。
その時ぼくは、自分の形相が変っているのを自覚した。
その形相とは、怒りそのものだった。
それまで店長に対して我慢に我慢を重ねていた感情が、一気に表に出たのだ。

それを見た店長は、ひるんで黙り込んでしまった。
店長が何も言わないので、ぼくは畳みかけるように言った。
「ちゃんと調べて下さい。150万円売ってます」
店長は、まともにぼくを見ることが出来なかった。
「150万…」と小声で言いながら、周りをキョロキョロしだした。
目は完全に宙に浮いている。
きっと、そのあとの言葉を探していたのだろう。
そして、ようやく出た言葉が、
「150万くらいでいい気になるな」だった。
しかし、先ほどのような威勢の良さはなく、声は震えていた。
「誰がいい気になっとるんですか!?」
「…もういい」
小さな声でそう言うと、店長は戻っていった。
ことあるごとにぼくに悪態をついていた店長は、それ以来ぼくを見るとこそこそと逃げていくようになった。
映像キャンペーン、残り1ヶ月になった頃の話である。

話は変るが、2年前に『退職前夜』(2002年9月27日~10月2日)というタイトルの日記を書いたことがある。
その日記にも、ぼくと、その時期の店長とのバトルを書いているが、だいたい今回の店長と同じ展開になっている。
最初、店長から言いたいことを言われるのだが、ぼくはじっと我慢して、いよいよ最後になって、その鬱憤が爆発するというパターンである。
どちらの店長も似たタイプの人間だった。
人前で格好をつけたがり、強がるタイプだ。
大声で人を罵倒するだけならともかく、酷い時には相手を叩いたりもする。
『退職前夜』時の店長などは、腹を手術して退院してきたばかりの人間に、「気に入らん」という理由で、その腹めがけてパンチを入れたことがあった。

聞くところによると、彼らは就職して以来、これと言ってつまずくこともなく順調にその地位まで昇ったということだった。
そのために慢心してしまい、相手の気持ちなんかこれっぽっちも考えられない人間になってしまったのだろう。

そういう人間は、得てして強く見えるものである。
だが、実際はそうではない。
彼らはあまり人からの攻撃を受けたことがない。
またその慢心から、自分に攻撃するような人間はいないと思っている。
だから、そういう風に強気に振る舞うのだ。

そういう人がもし攻撃を受けたらどうなるか。
そう、前述の通り、手も足も出なくなるのだ。
特に今回のぼくのような、それまで守勢に回っていた人間から突然攻撃を受けたのだから、そこに精神的なショックも加わる。
ぼくを見るとこそこそと逃げるようになったのも、そのせいである。
今回のことで、ぼくはそのことを学んだ。
そして、退職時にそれを生かしたのだった。



左遷(10)

電子レンジのキャンペーンが終わり、当初の約束通り、ぼくは映像部門に回された。
もちろん電子レンジの時と同じく外回り専門で、相変わらず店にいることは少なかった。
だが、電子レンジの時と比べると、テレビやビデオといった商品は売りやすかった。
次から次と情報が上がってくる上、決定率も高かった。
しかも、その部門は責任者がしっかりしていたおかげで、『テッポー』に走るようなことはなかった。

ある日のこと。
その日は朝からお客さんが多かったせいもあり、ぼくは朝からずっと売場にいた。
午後になっても客足は途絶えなかった。
暇になったのは、ようやく夕方になってからだった。

課長がぼくを呼び、「しんた、今のうちに休憩とってこい」と言った。
ぼくはその言葉に甘えて、「わかりました」と言って休憩室に行った。
すでにその日の個人予算を達成していたので、気が楽だったせいもあり、そこでのんびりとタバコを吸っていた。
そこに、他部門の社員たちがやってきた。
彼らはぼくを見つけると、
「しんちゃん、今日は忙しそうやったねえ」と言った。
「うん」
「かなり売れたやろ?」
「まあまあやね」
「あんたかなり売っとるみたいやけ、こちらに少し回してくれんね」
「それは出来ん」
そんな会話をしている時だった。
店長が休憩室に入ってきたのだ。
店長は何をするでもなく、休憩室の中を見回すと、ニヤッと笑って出て行った。
それを見てぼくたちは、口々に「何やったんかのう。感じ悪い」と言い合った。

休憩時間が終わり、売場に戻ってみると、そこには店長がいた。
何をやっているのかと、遠目で見てみると、どうも売上伝票を探っているようだ。
『何を調べているのだろう?』と気にはなったが、関わると面倒なので、なるべく店長の目につかないところに立っているとこにしようと、そちらの方向に歩き始めた。
その時だった。
後ろから「しんた、ちょっと来い」という、店長の声が聞こえた。
どうやら、ぼくが戻ってきているのに気づいたらしい。
ぼくが店長の所に行くと、店長は、
「おい、おまえ。今日いくら売ったんか」と言った。
「え?」
その日のぼくの売り上げた分は、クレジットばかりだったので、まだ計上してなかった。
それを知らない店長は、ぼく名義の伝票がないのを見て、鬼の首をとった気持ちになったのだろう。

彼は勝ち誇ったような顔をして、
「いくら売ったんかと聞いとるんだ」と声を荒げて言った。
すぐさまぼくは、その日売った金額を、頭の中で計算した。
その間にも、店長はいろいろと悪態をついてきた。
「言えるわけないのう、売ってないんやけ」
「売ることも出来んくせに、休憩とるなどもってのほかやのう」
「おまえはみんなといっしょに談笑できるような身分じゃなかろうが」
「おまえの、いったいどこが優秀なんかのう。おれから言わせればバカだ」
「ほら、早く言わんか。いったい、いくら売ったんか、おっ!?」



左遷(9)

1ヶ月目の終わる頃に、電子レンジ部門はようやく予算を達成できた。
が、その売り上げの多くはテッポーで占められていた。
配達されない伝票が数多く残っている。
それに伴って、未入金も残る。
そのせいで、とうとう本社からのチェックが入りだした。

ある日、売場の責任者からぼくは呼ばれた。
伝票のチェックをしてくれと言うのだ。
そこで、ぼくは配達されてない伝票を、すべてノートに書き写し、担当者一人一人に「この伝票は大丈夫?」と聞いて回った。
その中には大丈夫な伝票も含まれていたものの、やはり大丈夫でないものが大半で、その金額は翌月の予算の半分以上を占めていた。

翌月、会議の場で店長は、「本社から未配達・未入金の調査をしろと言ってきたぞ」と言った。
そして、「何でこんなになるまで放っておいたんか」と、レンジの責任者を責めた。
おかしいではないか。
元々は店長が「打て」と言い出したことなのだ。
たしかに、店長の指示に「ノー」と言えなかった責任者にも責任はあるが、一番責任を追及されるべきは当の店長なのだ。

しかし普段から「ノー」と言い慣れていない人は、こういう時でも店長の機嫌を損なわないような発言をするものである。
「どうしても売り上げがほしかったもんですから…」
「それについて、何か調査はしとるんか?」
責任者は、「はい」と言ってぼくが調べたノートを取り出した。
それを見て店長は、「こんなにあるんか!」と言って天を仰いだ。
そして「ちゃんと処理しとけよ」と言うと、その後はそのことに触れようとしなかった。

明けて翌月、ひどい数字の連続だった。
だが、それはテッポーの処理をしたためではない。
実際に売れなかったのだ。
店長は相変わらず、レンジの責任者を責め立てる。
が、もうどうしようもなかった。
全体朝礼で店長は、「テッポーの処理はキャンペーンが終わってから考えることにして、今はとにかくレンジの売り上げを作れ!」とみんなに檄を飛ばした。
しかし、従業員は笛吹けど踊らずで、全くやる気を失っていた。
テッポー慣れしてしまっていたため、どうやって売っていいのかわからなくなっていたのかもしれない。

結局、その月のレンジの売り上げは惨たるものだった。
当然それは本社でも、先の未配達・未入金と併せて問題になった。
とうとう店長の管理能力に、「?マーク」が点ったのだった。



左遷(8)

またしても外に出る生活が始まった。
他の従業員から出てくる見込み客を中心にフォローしていった。
最初のうちは当たりもよく、決定率は高かった。
そのせいもあってか、電子レンジ部門の売り上げは順調に伸びていった。
ところが、2週間たち、3週間たっていくうちに、その売り上げにかげりが出てきたのだ。
従業員からもらった見込み客の家に行っても、以前のように当たりはよくない。
「電子レンジ?いいえ、そんなものいると言った覚えはありませんよ」
「○○さんの紹介だって?そんな人知らん」
特Aランクとして見込み客リストに載っているのお客さんの、何と6~7割の人がそういう応対をするのだ。
そのため、外での売り上げはめっきり減ってきた。

一方店の方も、お客さんは少なく、特に電子レンジのところに人がいるようにも見えなかった。
ところが、夜レジを締める段階になると、なぜか「今日も予算がいった」と言って喜んでいるではないか。
ぼくは、「これはおかしい」と思った。
だが、腰掛けの身分ゆえ、なかなかその事情を教えてくれない。
そこで、ごく親しい同僚を捕まえて、「何がどうなっとるんか」と聞いてみた。
同僚は小声で「テッポーよ」と言った。
「ああ、やっぱりそうか」とぼくは言った。

『テッポー』とは架空売上げのことで、『空鉄砲』からきていた。
つまり、売れてもないのに、さも売れたように伝票を操作していたのだ。
その手口は、伝票に見込み客等(架空の場合もある)の名前を書き、配達扱いにして伝票を打つ。
その際、代金は配達時にもらうことにしておくのだ。
これでいちおう売り上げは立つ。
しかし、架空であるから、いつまでたっても配達はしないし、また入金があるわけではない。

「誰がそんなことをさせよるんか?」
「店長に決まっとるやん」
「え?」
「あの人、かなり焦っとるみたいよ」
「どうして?」
「最初売り上げがよかったもんやけ、本社にかなりほめられて、いい思いをしたらしいんよ。売り上げが落ちたら格好がつかんやん」
「でも、テッポーがばれたら大変なことになるやろ?」
ぼくは、過去それをやって、転勤させられた人を何人も見てきている。

『テッポー』、つまり架空売り上げは、何もその店の専売特許ではない。
多かれ少なかれ、どこでもやっていることだ。
ただ、他の会社では、翌月確実に処理できる範囲でしかやらない。
ぼくも何度かテッポーを打ったことはある。
が、それは常識の範囲内に納めていた。
ところが店長は、そういう常識を度外視して、売り上げを上げられるだけ上げさせたのだ。
そのおかげで、一番嫌いであろうぼくに向かっても「しんた君よ、何かないんか?打てるんなら打てや」言ってくる始末だった。
ぼくは、そのたびに「ありません」と言って断っていた。
しかし、店にはぼくみたいな人間ばかりいるのではない。
店長の前でいい格好をしたい人間や、断ることが出来ない気の弱い人間もいる。
そういう人たちが、次から次へとテッポーを打っていった。



左遷(7)

前の会社では、毎年秋になると2ヶ月間電子レンジの販売キャンペーンをやっていた。
これは全社挙げてやっていたもので、その部門はもちろん、他の部門の人間もノルマを課せられた。
そのノルマは、一人当たり100万円前後だった。
当時電子レンジの価格は10万円前後だったが、10本近く売らなければ、その金額に到達しない。
しかしそれは他部門の人間の数字である。
ホスト部門ともなると、この何倍も売らなければならなかった。

その当時の電子レンジといえば、すでに一般的な調理用品になっていて、かつて三種の神器と呼ばれていた頃のような、憧れの商品ではなくなっていた。
そのため、最初にそのキャンペーンを始めた頃のように売りやすい商品ではなくなっていた。
それをこの数字である。
会社に入った当初から、ぼくはそういう部門に行くのは嫌だった。

ぼくが店長から内示を受けたのは、そのキャンペーンの始まる前の月だった。
店長が大型部門と言ったので、「もしかしたら、電子レンジを売らされるのか」と頭の中を不安がよぎった。
そこで、皮肉は言うが、異動先の部門をなかなか教えてくれない店長に、「で、どこに行くんですか?」と聞いてみた。
「だから大型部門と言ったやろうが」
「もしかして、電子レンジですか?」
「おう、そうよ」
「そうですか…」
「おまえには、キャンペーンが終わったら、また異動してもらう。優秀な人間なんやけのう」
「え?」
「電子レンジが終わったら、次のキャンペーンがあるやろうが」
「映像部門ですか?」
「おう。その次も考えとるぞ」

店長はぼくをたらい回しにしようとしていたのだ。
電子レンジと映像と、確かに大型部門ではある。
が、どちらも専門的な知識が要求される部門なのだ。
そこに腰掛け程度の人間がいて、何の戦力なるだろうか。
やはり店長はぼくを辞めさせたがっていたのだ。
周りからいろいろ言われているから、いちおうぼくを大型部門に異動させた。
それで面目は保てる。
しかし、その部門に定住させることはしない。
部門を短期間で異動させることで、ぼくを追い込もうとしたのだ。
そのことはわかりすぎるほどわかっていたので、ぼくはその手に乗るようなことはしなかった。
店長が根負けするまで、じっくり待つことにしたのだ。

さて、翌月。
電子レンジの売場とはいえ、ようやく店に戻ることが出来た。
『これで、少しは気分的に楽になった』と思っていると、そこの売場の責任者が、「店長から、『しんたは外販が好きらしいから、あいつに各社員から出た見込み客の家を回らせて、売ってきてもらえ』と言われとるんよ」と言ってきた。
「また外回りですか?」
「しかたないやん、店長命令なんやけ」
結局、店長はぼくが店にいるのを許さなかったのだ。
その後店長は、ぼくが店にいるのを見つけると、「こら、行くところはないんか?店でボサーッとしてないで、さっさと外回りしてこい!」と言って、ぼくを追い出しにかかったものだった。
そのせいで、ぼくは何度も切れそうになった。
が、「絶対根負けさせてやる」と思い、我慢していた。



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