頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2004年06月

恋歌が書けない

前にも書いたことがあるが、ぼくが本格的に本を読み出したのは、高校3年の頃からだった。
その頃ぼくはミュージシャンを目指していたのだが、どうも作詞がだめだった。
もちろん人生経験が浅かったせいもある。
しかし、同じ世代の人間でもいい詞を書いている人はたくさんいた。
「この差は何だ?」と考えた。
そして「これは読書量の差だ」と思うに至った。
高3の頃は、クラスの中の浮いた存在であったため、休み時間なども一人でいることが多かった。
この一人でいることが、大いに読書に役立ったのだ。
その頃よく読んでいた本は、なぜか宗教書だった。
宗教書と書くと、何かカルト的なものを想像するかもしれないが、ぼくが読んでいた本はそういう類の本ではなく、当時よく読まれていた高田好胤師の一連の本や、『般若心経入門』などであった。

詩を読み出したのは、予備校に通い出してからだった。
新潮文庫や角川文庫から出ている『○○詩集』なる本は、ほとんど読んだ。
その中でも特に好きだったのが、中原中也と高村光太郎だった。
中也には詩の作法を習い、光太郎には崇高な精神を教わった。
中国の古典も、その頃読んだ三国志の影響から読み始めた。
特に老荘思想には惹かれるものがあり、よく読んだ。
が、その思想にのめり込んでしまい、予備校の勉強が馬鹿らしく思えるようになってきた。
そして予備校を退学してしまった。

東京にいた頃は、老荘思想と併せて再び仏教書を読むようになった。
そのせいで、ぼくは大人であることを避けるようになった。
その頃によく読んだ仏教書は法句経だった。
そのお経は「無邪気」を説いてあった。
「恰好つけても何にもならない。あるがままが一番」という老荘思想にも通じる内容に、ぼくは感化されたのだ。
ぼくが作詞のために読み始めた本は、結局老荘思想や仏教関係に行き着いたのだった。

さて、そういった本が作詞に何か好影響を及ぼしたのか?
答は否である。
確かに人生の歌のようなものは存在するが、人の心には響かない。
やはり作詞の基本は、より身近な「好いた」「くっついた」「別れた」なのである。
そういう路線をぼくは目指して、ぼくは本を読み始めたのだ。
が、先にも言ったとおり、結果的に行き着いたのは老荘思想や仏教の本だった。
そういった本には、そういうことは一切書いてない。
…いや、あることはある。
それは「別れ」だ。
が、その別れは「恋愛の別れ」ではない。
「永遠の別れ」である。
そういうわけで、ぼくが作った恋歌は、変に小難しくかつ主観的なものになっている。
そこには「しぐさ」が見えない。
言い換えれば「色気」がないのだ。
恋愛ものを読んでおくべきだった、と思う。

ちなみに、その後作詞を諦めたぼくは、人生のために本を読み始めた。
が、その行き着いた先は、歴史書や中国・韓国・北朝鮮のこき下ろし本だった。
どうも予定どおりにはいかない。



地味な運動をやっています

数ヶ月前から、肩に痛みが走るようになった。
それに気づいたのは、ラジオ体操をやっている時だった。
例の「体をねじる運動」で腕を振った時、肩のつけ根に激痛が走ったのだ。
最初は1月後半、凍結した道で転倒したのが原因かと思っていたのだが、痛いのはその時痛めた左肩だけではなく右肩も同じように痛いのだ。
その状態が数ヶ月の間ずっと続いている。

人に聞くと「それは四十肩だ」と言う。
しかし、四十肩ではない。
確かに痛み方は四十肩に似ているのだが、腕はちゃんと上がる。
それに四十肩の時にはどの方向に腕を上げても痛いのだが、今回は腕をねじった時や、机などに肘をついていた時だけ痛いのだ。
そのことを人に言うと、「ただそれだけのことじゃないか。その歳になれば、多かれ少なかれ誰でも痛みは持っているものだ」と言われたのだが、その痛みが尋常じゃないから困っている。

ある時ふと気づいたことがある。
荷物を持っている時、肩が抜けるような感触があるのだ。
この感触をどう説明したらいいのだろう。
例えば、指を引っ張った時に、関節が抜けた感じがしたことがないだろうか。
その感触を肩に感じる、と思っていただいたらいい。
つまり脱臼したような状態になるのだ。
脱臼と同じような状態だから、当然痛みを伴う。
ということで、ぼくはこの痛みを脱臼、いや脱臼もどきの痛みだと思うようにした。

ぼくは過去に一度だけ脱臼をしたことがある。
3,4歳の頃だったと思うが、母が腕を引っ張った拍子に抜けたのだ。
まだ物心ついたかつかないかの頃だったが、その時の痛みだけは鮮明に覚えている。
まるで腫れ上がった虫歯の痛みが、肩にきたような感じで、手を触れられただけでも痛みを感じたものだ。
確かに今味わっている痛みがそうだ。

さて、脱臼もどきの症状だとしたらどうしたらいいのだろうか?
誰でも考えつくことは病院に行くことである。
しかし、ぼくは病院には行かない。
おそらくこの痛みは病院では治せないだろう。
レントゲン撮られて、痛み止めの注射を打たれ、「しばらく様子を見て、また痛くなったら来て下さい」と言われるのがオチだ。
こういう時は整体院なのだろうが、それも今のところ行っていない。
なるべくそういうところに行かずに、自力で治したいのだ。

ということで、最近肩の筋肉を鍛え始めた。
それは元横綱の千代の富士が、脱臼癖を克服するために筋肉を鍛えたということを何かの本で読んだからだ。
その本を読んだ時、ぼくは思わず膝を打った。
ぼくは若い頃激しい運動をやっていたのだが、一度も脱臼や骨折をしたことがない。
その理由を、今までぼくは「運が良かった」と思っていた。
が、よくよく考えてみると、それは少し違うような気がする。
その頃のぼくは筋肉隆々だった。
おそらく、怪我をしなかったのは、その隆々の筋肉が骨を守ってくれたおかげだったのだろう。
そういえば、「体が痛い」などと泣き言を言い出したのは、運動をやめてしばらく経ってから、つまり筋肉が萎えた頃からだった。

さて、今ダンベルや腕立て伏せで肩の筋肉を鍛えているのだが、そういった運動のあとには不思議と痛みが消えている。
腕をねじっても痛くないし、肘をついても痛くない。
だが、時間が経つとまた痛みが戻ってくる。
ということは、筋肉を往時に戻さない限り、痛みは完全に消えないということになる。
ダンベルや腕立て、競技も何もなしの地味な運動である。
飽きっぽいぼくが、どこまで続けることが出来るのか。
今は肩の痛みより、そちらのほうが心配である。



最近、金縛りに遭ってない

ここ2週間ばかり金縛りに遭ってない。
少し前まで毎日のように金縛りに遭っていたのが嘘のようである。
しかも、その金縛りに遭っていた時によく聞こえていた、「バシッ!」というラップ音も聞こえなくなった。

ぼくは以前、この「金縛り」を疲労や寝不足からくるものだと思っていた。
確かに、疲れていた時や夜更かしした時に、金縛りに遭うことは多かった。
しかし、ここに来て「その認識は間違っていたのではないのか」と思うようになった。
その理由は、充分に休養をとっても金縛りに遭っているし、早く寝ても襲ってくることがあったからだ。
それに金縛りが疲れや夜更かしに関係あるのなら、ラップ音もそういうことと関係あるのだろうか?
ラップ音は幻聴とは違ったものである。
疲れているから、夜更かししたからと言って聞こえるものではない。
気力の充実した朝にも聞こえることもあるのだ。
ということで、今またぼくは、金縛りを霊現象だと思うようになった。

では、この2週間ばかり金縛りに遭ってないのは、何か特別なことをやっているからかといえば、そうではない。
2週間ばかり、詳しくいえば6月15日からである。
その前の数日間は、続けて金縛りに遭っていたのだが、その日を境にいくら寝不足であっても金縛りに遭わないのだ。
その日何があったのか。
今月16日の日記を読んでもらったらわかるが、15日にぼくは宗像大社に行っている。
実はこの時、二つのお札を買ったのだ。
一つは『天照大神』と書かれたお札で、もう一つは『宗像大社』と書かれたお札である。

いや、別に金縛りから逃れたくて、これらのお札を買ったのではない。
昨年だったか、嫁さんの姪からマンション用の神棚をもらっていたのだが、ずっと神様が不在だったのだ。
宗像大社に行った時、そのことを思い出して、お札を買ったわけである。
さっそく家に帰ってから神棚を取り付け、お札を奉った。
で、その夜から金縛りから解放されたのだ。

しかし、神社のお札にこういう力があるとは思ってもいなかった。
だいたい霊封じのお札というのは、梵字やお経が書かれていなければならないのだと思っていたのだが、どうもそうではないようだ。
そういえば、何年か前の年末に、母が交通事故に遭った。
その翌年の正月、一時退院した母と、宗像大社に厄払いに行った。
本殿に入った時だった。
急に母が「あれ?肩が軽くなった」と言った。
その感触はぼくにもあった。
知り合いに霊感の強い人がいるのだが、その人がかつて「宗像大社は非常に霊格が高い神社だ」と言っていたのを、その時思い出した。
おそらく、霊格の高い神社に入ったため、憑きものが取れたのだろう。

それほど霊格の高い神社のお札を寝室に奉ったため、金縛り霊が来なくなったのだろう。
そういえば、金縛りとは無関係なのだが、寝てる時に何かが寝室の入口から入ってきて、そのままぼくたちの上を通り西側の窓に抜けるようないう気配をよく感じていた。
ところが、最近はそれもなくなっている。
これもお札のおかげだと思いたい。
なぜなら、神棚を取り付けたのが西側の窓の上だからである。

さて、ぼくを金縛りに遭わせることの出来なくなった霊や、寝室を抜けていくに入ることの出来なくなった霊は、いったいどこに行ったのだろうか?
金縛りに遭ったり気配を感じたのはいつも夜中だった。
もしかしたら、行き場を失った霊は、この日記を通じて皆さんのところに行っているのかもしれない。



軍歌を歌おうよ

最近、浪曲などとともに、世間から遠ざかっている歌の一つに軍歌がある。
ぼくが子どもの頃は、ごく普通に歌われていた。
当時はカラオケなどなかったから、おっさんたちは酒が入ると手拍子で歌をうたっていたのだが、その時歌われていたものはほとんどが軍歌だった。
子どもの間にもそれは浸透していて、ぼくが小学生の頃には、友だちと「軍歌の中で何が一番好きか?」などと言っていたものだ。
一番多かったのは『加藤隼戦闘隊』だった。
ちなみにぼくが好きだったのは『麦と兵隊』だった。
これは母親が好きでよく歌っていたから、その影響を受けたのだろう。

また、ぼくが小さい頃に流行ったドラマやアニメの主題歌は、どう聴いても軍歌というものが多かった。
まあ、まだ軍歌からそう離れていない時代だったから、そうなったのだろうが。
その中でも『ゼロ戦ハヤト』の主題歌は、まさに軍歌と言っていいものだった。
この歌が戦時中に歌われていたとしても、別に違和感はなかっただろう。

軍歌はテレビのCMでもよく使われていた。
森永エールチョコレートの「大きいことはいいことだ~♪」という歌があったが、ずっと後に何かの本で「あの歌の元は軍歌である」と書いてあったのを読んだことがある。
それを読んでぼくは「なるほど」とうなずいたものだ。
また、かつてこちらの九州電力のCMで、「煙も出ない、火も出ない、ガスも出ないし、汚れない~♪」という歌が流れていたのだが、これは『勇敢なる水兵』の替え歌だった。
ぼくが高校の頃だったか、酒か何かのCMの中で、松村達雄が「遼陽城頭(りょうようじょうとう)夜はたけて~」と歌っているシーンがはあったが、あれは印象的だった。
その歌『橘中佐』という歌は、あの頃けっこう流行ったような気がする。

高校野球の応援も軍歌が多かった。
『敵は幾万』なんかは今でもやっている。
しかし、今の高校生は、それが軍歌だということを知らないだろう。

なぜ今頃軍歌の話をするかといえば、実は昨日カラオケテープの卸元から『軍歌』のCDが入ってきた。
何が入っているのかと見てみると、ぼくが小さい頃に母が歌っていた歌がほとんどである。
『麦と兵隊』『紀元は二千六百年』『加藤隼戦闘隊』『空の神兵』『ラバウル小唄』『月月火水木金金』『雪の進軍』などなど。
中には、ぼくが中学の時に遠足で歌った『戦友』も入っていた。
そういうタイトルを見て、ふと昔を思い出したわけだ。

今時軍歌などと言い出すと、普通に引いてしまうものだ。
なぜなら、軍歌には戦争という負のイメージがあるからである。
しかし、それを言うなら、ロックだって元は不良の音楽だったし、矢沢永吉にいたってはヤンキーのカリスマ的存在である。
はたして今時、そういうイメージでロックや永ちゃんを聞く人がいるだろうか?

歌というものは文化なのだ。
時代背景がどうであれ、それをやっている人がどうであれ、いいものはいいのだ。
軍歌だってどんどん歌い続けていけばいいのだ。
きっと今の日本人が忘れている、『勇気』を与えてくれるだろうから。



斬首

【金さん殺害】
実は、痛ましい映像を見てしまった。
痛ましい映像とは、イラクの武装勢力に拉致された金鮮一さんの殺害シーンである。
テレビのニュースでは、犯人たちが声明文を読み上げているところで終わっているが、ネットではその後の映像が流れていた。
その後犯人たちは、金さんを蹴り倒し、体を押さえつけて、何か呪文のようなものを唱えながら、巧みに金さんの首を掻き斬った。
最後に犯人は、首を片手に何かわめき、その首を胴体に乗せた。
映像はそこで終わっていた。

実に残酷なシーンだった。
が、実にあっさりとしたものだった。
食事前に見たのでちょっと刺激が強かったものの、人間の首とはああも容易く取れるものなのかなどと、冷静なことをぼくは考えていた。
斬首シーンは時間的には比較的短いものだった。
しかし、その場に座らされてから息絶えるまでの金さんにとっては、長い長い恐怖の時間だったのだろう。
ご冥福をお祈りします。


【介錯】
現代では、首を斬るという行為は、残酷かつ野蛮ということになっているが、つい100年ちょっと前までは、日本でも頻繁に行われていた行為である。
江戸時代には打ち首という刑があった。
その首をさらすことを獄門と言った。
また、武士の世界には切腹という刑・自決法があった。
切腹の際、必ず介錯人というのがついたのだが、腹を切ったのを確認して、彼らは首をはねていた。
首を斬るのは、切腹した人を早く楽にさせるためだったという。

居合に、その『介錯』という型がある。
居合は「静中動ありの武術」だが、この『介錯』の時だけは静で行う。
それは介錯というのが、厳かな儀式であるからだ。
ちなみに、この介錯、一歩間違うと自分の身に被害が及ぶ。
間違いというのは、首を斬り落とした時である。
介錯には、首の皮一枚だけでも胴体と繋がっていなければならない、というルールがあったらしく、もし切り落としたりすると、今度はその介錯人が罪に問われることになる。
つまり、腹を切らなければならないのだ。

ということは、だ。
今回の武装勢力の斬首の場合、完全に首を切り落としていたから、日本式であれば、武装勢力は腹を切らなければならないことになる。


【巌頭和尚】
江戸時代、白隠という名僧がいた。
彼が大悟したきっかけが、実は斬首であった。
白隠は19歳の時に、唐の巌頭和尚が賊のために首を斬られ、数里に聞こえるような大きな叫び声を出して死んだという記事を読み、「仏門の修行をしても賊難でさえ避けることが出来ないではないか」と落胆する。
ところが、その5年後、暁の鐘の音を聞いて彼は大悟した。
その時白隠は、「巌頭和尚はまめ息災であったやわい」と叫んだという。
白隠が何を悟ったのかは知らない。
が、おそらく巌頭和尚の中に生死を超えたものを見たのだろう。
だからこそ「まめ息災」なのだ。
巌頭和尚は、生死を超えたところで首斬りを受け入れたということになろうか。
ということは、巌頭にとって賊の刃は、きっと春風が首をなでているようなものだったのだろう。
金さんの斬首シーンをハラハラしながら見ていたぼくには、その心境にはなれない。



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