頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2004年02月

何とかなる

老子に、『無為にして為さざるなし』という言葉がある。
60年代後半にヒッピーなる人たちが現れたが、彼らのバイブルが老子であり、その考え方の根幹がこの言葉だったという。

さて、この無為という言葉だが、一般には「何もしない」という意味だと思われている。
確かにそういう意味もあるのだが、老子はそういうふうにこの言葉を用いているのではない。
彼は、「何をしないことをする」というニュアンスで、この言葉を用いたのだ。
「何もしない」と「何もしないことをする」、この二つの意味は似ているが、微妙に違っている。
前者は受動的で、後者は能動的である。

この二つの意味を、ぼくは「なるがままに」と「何とかなる」という言葉で解釈している。
確かにぼくも、初めて老子を読んだ時は、「なるがままに」というふうに捉えていた。
そして、その「なるがままに」を実践していた。
が、次第に目に力がなくなり、覇気がなくなっていくのを感じた。
厭世観というのか、だんだんやる気さえ失ってしまった。
「老子も厭世観の人だったのか?」と思い、いろいろな書物を調べてみると、どうもそういう人ではなかったらしい。
「なるがままに」、と、こんなことを言いながらも、一番の関心事は政治だったというから、実にしたたか者である、と当時は思っていた。
が、後年それが間違いだと気づいた。
彼は政治の要諦として、「無手勝流がよい」と説いていたのだ。
最初から規範などを作ってしまうと、人はそこから外れることを悪と考えるようになる。
そうなると、臨機応変の対応が出来なくなり、だんだん政治は停滞していく。
そこで、老子は臨機応変に対応出来る「無手勝流」が一番、と説いたのだ。

その「無手勝流」を、ぼくは「何とかなる」というふうに捉えたわけだ。
そう捉えて以来、ぼくは「なるがままに」などとは言わなくなった。
というより、考えなくなった。
何か事が起こると、「何とかなる」と思うようになったのだ。

ぼくが、今住んでいるのはマンションである。
賃貸ではなく、購入したものだ。
ある日のこと、何気なく朝刊に入っていた折り込みチラシを見ていると、「マンション分譲開始」という文字が目に飛び込んできた。
場所を見ると、実家のすぐそばである。
その日まで、マンションなんてまったく興味がなかったのだが、そのチラシを見て、なぜか「モデルルームを見に行こう」という気になった。
そこでその日の午後、ぼくはそのマンションに行ってみた。
一通り説明を受け、モデルルームを見せてもらった。
その時だった。
「予約します」というセリフが、勝手に口をついて出た。

そういうつもりは毛頭なかった。
このマンションを買った当時、ぼくの年収は少なかった。
しかも、その頃ぼくは、車のローンも抱えていた。
こんな性格だから、貯金があるわけでもなかった。
それでも、そう言ったことに対する後悔は一切なかった。
その時、頭の中にあったのは、「何とかなるやろう」言葉だった。
あれから、数年経つ。
「なるがままに」と諦めるのではなく、「何とかなる」という信念を持って事に当たったことがよかったのか、今のところ不思議と何とかなっている。



間の悪い人(後)

取引先にもそういう、間の悪い人がいる。
その人は、決まってぼくが食事に行く直前にやってくるのだ。
こちらは早く食事に行きたいのに、彼のおかげでなかなか行けない。
しかたなく、彼の来る日は時間をずらそうと思い、1時間ほど食事の時間を遅らせたことがある。
ところが、そういう日に限って、彼も1時間ほど遅れてやってくるのだ。
そこで、「あんた、おれに飯を食わさんために来よるんね」とつい嫌味を言ってしまう。
彼は頭を掻きながら、「いや、そういうつもりじゃないんですけど…」と言う。
が、次の週も、彼は決まってぼくの食事の直前にやってくるのだ。

また、こういうこともある。
休憩時間中に、何人かでお菓子を分けて食べるとする。
そういう時、決まって呼ばれもしないのにやってくる人がいる。
その人が入ってきた時、ぼくたちは「あっちゃー」という顔をして、お互いの顔を見合わせる。
まあ、別にその人にお菓子を分けてやる義理もないのだが、結局、一人だけ何もないのもかわいそうだから、ということでその人にお菓子を分けてやることになる。
ちなみに、そういう人に限って、図々しい人が多い。
「悪いねえ」とは言いながらも、決して遠慮はしないものである。
その人が去ったあと、ぼくたちは、いつも「あの人、いつもいいところで顔だすねえ」とか「鼻が利くんやろうねえ」などと、小悪口を言い合っている。
一方でその人は、「ラッキー!!」とか「タイミングがよかった」とか思っていることだろう。

そう、『間の悪い人』は、裏返せば『タイミングのいい人』なのである。
前述の友人も、電話をかけることが彼の目的だったわけだから、ぼくに「間の悪い男」と思われながらも、結局目的を達成している。
また、取引先の人も、もしぼくが食事に行っている時に来たとしたら、ぼくが帰るまで待つか、出直さなければならない。
ということは、ぼくにとって間の悪い時間であったにしろ、彼の中ではタイミングがよかったわけである。

そういえば、ぼくはいつも間を外した生き方をしていると思っている。
先の論法でいくと、そういう人は、他人にとっては「間がいい人」ということになる。
そのせいだろうか?
ぼくは、いつも損ばかりしているような気がする。



間の悪い人(前)

昨日の日記は、今日が休みということもあって、のんびりと書くつもりでいた。
まあ、のんびりとはいえ、朝9時には嫁さんを仕事に送っていかなければならないので、午前3時には書き終えようと思っていた。
ところが、「のんびり」という言葉に緊張感を欠いてしまったのか、なかなか筆が進まず、ようやく日記を書き終えた時のは、もう午前5時を過ぎた頃だった。
その後も少し起きていたので、寝たのは結局6時になってしまった。
嫁さんを送るためには、8時に目を覚まさなければならない。
そんなわけで、2時間程度しか睡眠が取れなかった。

さて、嫁さんを送った後、寄り道もせず家に戻った。
その時すぐに寝ていれば、昼から好きなことが出来ていた。
ところが、こういう時というものは、すぐに寝るのがもったいなく感じるものである。
ということで、パソコンをいじったり、ギターを触ったりして遊んでいた。

最近は、ギターを触るのも、けっこう熱が入っている。
昔作った曲を、何度も繰り返し練習した。
最初は出なかった音も、何度もやっているうちに、だんだん出るようになった。
また、午前中は寝不足で開かなかった声も、ようやく午後になって開いてきた。
そこで、「ちょっと録音してみようか」という気になった。

ところがである。
マイクが見あたらないのだ。
いろいろな場所を探したのだが、どこにもない。
「おかしいなあ」
再度探したのだが、やはり見つからない。
そのうち、だんだん録音する気が薄れてきた。
「今度にしよう」
そう思うと、急に眠たくなってきた。
そこで、昼寝をすることにした。

午後3時過ぎだった。
寝不足のせいか、さすがに寝付きはよかった。
ところが、寝入ってからしばらくして、何か音が聞こえた。
まだ頭は眠っているため、それが何の音なのか判断できない。
何度かその音が鳴って、ようやくそれが携帯電話の着信音だということがわかった。
「もしもし」
「今、売場やろ?」
友人の声だった。
「えっ!? 今日は金曜日やろっ!休みっ!」
ぼくは寝起きが悪いために、そういう時の電話の応対は非常に無愛想になる。
「ああ、そうやったか…」
友人も機嫌が悪いのがわかったのか、そそくさと電話を切った。

そして、再び布団に潜り込んだのだが、一度覚めた目は、なかなか眠れないものである。
そこで眠るのを諦め、風呂に入ることにした。
ぬるま湯に浸かって、汗が流れ心地よくなってきた時だった。
またしても携帯電話の着信音が鳴った。
ぼくは風呂から飛び出し、真っ裸で電話の置いてあるところに走って行った。
「もしもし」
「ああ、さっきは悪かったねえ…」
またしても先ほどの友人だ。
(さっきより、今のほうが悪いわい)
そう思いながら、電話の応対をした。

こちらが「今、睡眠中」とか「今、入浴中」とか言ったとしても、彼に言わせれば、「寝とるとか、風呂に入っとるとか、こちらからわかるわけないやん」と言うだろう。
それはそうだろうが、たまたまかけてきた時間が、こちらに都合の悪い時間だった場合、いやでも「間の悪い男だなあ」と思ってしまうものである。



夢のいたずら

 『夢のいたずら』

 「君を愛してる」と言いかけた時
 いつも同じように、終わる君の夢
 言い出せなかった、大きな悔いが
 いつまでも残る。あの若い日は、
 先へと進まない
 いつもいつも、途切れた映画のように
 後味悪い、夢のいたずら

 朝の目覚めは、夢を引きずって
 力の入らない、一日の始まり
 あの頃君は、ぼくのことを
 どう思ってたのか、知りたくなって、
 想い出を訪ねる
 いつもいつも、過去に縛られていく
 もう戻れないことも忘れて

  言い出せなかった、大きな悔いが
  いつまでも残る。あの若い日は、
  先へと進まない
  いつもいつも、途切れた映画のように
  後味悪い、夢のいたずら


先日の日記書いたが、30代前半に作った歌である。
その当時、高校時代に好きだった人に、まだ潜在的な未練を持っていたのか、よく彼女の夢を見たものだった。
その内容はこの詞にあるとおりで、「おれ、お前のことが…」と言いかけた時に終わってしまうのだ。
あまり頻繁に、そういう夢を見るので、「もしかしたら、彼女のほうが、何かぼくに訴えたいことがあるんじゃないか」と期待したほどである。
しかし、現実には何も起こらなかった。
結局、いつの間にかそういう夢は見なくなり、ぼくの描いたドラマは、はかなくも想像だけに終わってしまった。

昔の人は、好きな人が夢に出てきたら、相手も自分のことを思ってくれていると判断したらしい。
万葉集の防人の歌などに、そういうことが書いてあった。
それを読んだ時、「ああ、そうだったのか!」と信じたものだった。
ところが、あまりに多くの女性が夢に出てくる。
その中には好きでもない人もいる。
いや、好きでない人がほとんどだ。
結局、「好きでもない人が出てくるのはおかしいし、こんなに多くの人に思われているはずもない」と思い至り、馬鹿らしくなってそういう考えを捨てることにした。

小さい頃は、よく空を飛んでいる夢を見たものだ。
それで、ぼくは空を飛べるものだと思ってしまった。
試しに、2階の階段から飛んでみたことがある。
一瞬体が宙に浮いたように思えた。
が、飛べなかった。

最近は、念力を使う夢をよく見る。
手も触れずに、コインを曲げたり、悪党を倒したりやっている。
夢から覚めたあと、ぼくはそういう念力を以前から使っていたように錯覚するのだ。
ぼおーっとした意識の中で、手を振ったり、指をひねったりやっている。
それを見ていた嫁さんが、「何しようと?」とぼくに声をかける。
それでやっと目が覚めるのだ。
まあ嫁さんだからいいようなものの、これが他人だったら、その人は一生ぼくを変な目で見ることだろう。
もしかしたら、こういうことも、夢のいたずらなのかもしれない。



Bフレッツ

昨日、Bフレッツの工事を行った。
工事と言っても、ADSLのモデムを取り外し、新たに光ファイバーのモデムを取り付けるだけの簡単なものだったが。
取り替えるだけなら、誰にも出来そうなものだが、NTTの人に言わせると「そうではない」そうだ。
「接続に専門的な知識が必要なので…」ということだった。

で、実際にその工事を見てみると、接続したのは電話回線とLANケーブルだけだった。
「この二つを接続するだけなのに、専門知識が必要なんだろうか?」とは思ったが、工事代がただなので、余計なことは言わないことにした。

最後に工事の人は、自分のパソコンを取りだして、モデムに繋いでいた。
「45Mbps出てます」
「速いですねえ!」
「プロバイダの関係で少し落ちるかも知れませんけど、それでも40メガは出ると思いますよ」
今までADSLで出ていた速度は、せいぜい2Mbps止まりだった。
40Mbpsといえば、その20倍は出るということである。
最近、歌のダウンロードやアップロードを頻繁にやっているので、通信速度は速ければ速いほうがいい。
マンションタイプなので、同じ光ファイバーでも100Mbpsは出ない。
このタイプの最高速度は50Mbpsだということだ。
40Mbpsなら上出来である。

工事の人が帰ったあとで、さっそくパソコンの電源を入れ、速度を測ってみた。
「え!?…」
何と、測定の結果は6Mbpsではないか。
工事の人が言っていた速度の、およそ7分の1しか出ていない。
これでは局から近い場所の、ADSLの速度と変らない。
「これはおかしい」と思い、パソコンやその周辺をいろいろ調べてみた。

「ああ、そうか!」
そういえば、このパソコンはADSL向きにチューニングされている。
これをBフレッツ向きに替える必要がある。
ということで、チューニングを替えてみた。
再び速度を測ってみると、今度は約倍の13Mbpsになった。
測定サイトに書いていることをよく読んでみると、「ウイルス対策やファイヤーウォールソフトが常駐している場合は、計測速度が著しく低下する場合があります」と書いてあった。
そこで、常駐のソフトを外してやってみると、今度は15Mbps出た。
が、40Mbpsにはほど遠い数値である。

その後も何度かやってみたが、速度は13Mbpsと15Mbpsの間を往ったり来たりした。
やっているうちに、馬鹿らしくなって「もういいや」という気分になってきた。
そこで測定を中止し、現状に満足すること努めた。

が、なかなか諦めきれるものではない。
その後いろいろ調べてわかったことだが、25Mbpsの損失は、どうもルータに原因があるらしい。
今使っているルータは30Mbpsが限度なのだ。
そこで今日、NTTに電話し、「これに代わる、もっと速いルータはないか?」と聞いてみた。
が、答は「ない」ということだった。
せっかくの光ファイバーだ。
せめて20Mbpsは出てほしいものである。



記事検索
RSS
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ