頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2003年10月

キャンディーズ考察 3

ランをメインに据えた後は、次々とヒット曲が続く。
しかし、ぼくは彼女たちを認めていなかった。
メインボーカルを替えて少しはよくなったかな、という程度のものだった。
一番大きな理由は、彼女たちが歌っていたのは、アイドルポップスだったからだ。

同じ年にデビューした山口百恵は、1976年の『横須賀ストーリー』から、アイドルポップスから脱皮し、独自の世界を切り開いた。
一方のキャンディーズはどうだったか。
75年にスリーディグリーズが来日。
それに刺激を受けたのか、突然いかにもらしいソウル曲『その気にさせないで』を発表した。
しかし、こういう歌ならゴールデンハーフ・スペシャルでも歌えたはずだ。
もしかしたら、事務所は和製スリーディグリーズにしようとでも思っていたのかもしれない。

また、『春一番』は確かにいい曲ではある。
元々この曲は、キャンディーズのために作ったものではなかった。
この曲を聴いた人が「いい曲だから、他に渡すな」と言って、キャンディーズに歌わせたという。
当初はアルバム曲だった。
シングルカットされたのは、アルバム発売から1年後のことだった。
「いい曲だから、シングルにしてくれ」というファンの声に応えたらしい。
結局「いい曲だから」で始まったこの曲は、『およげ!たいやきくん』に押さえられて1位にはならなかったものの、それまでの最大のヒット曲となり、以来30年近く春の歌の定番となっている。
が、ぼくはこの歌をキャンディーズ独自のものとは思わない。
確かに出色ではあるのだが、人生応援歌というか、あまりに歌がストレートすぎて、キャンディーズらしさが見えてこないのだ。
つまり、アイドルポップスの枠を抜け出してないのだ。

「キャンディーズらしさ」、それを見るためにはあと1年待たなければならなかった。



キャンディーズ考察 2

ぼくがキャンディーズを初めて知ったのは、ドリフの「8時だよ!全員集合」を見ていた時だった。
元々、ぼくはアイドルが嫌いだったせいもあり、最初に彼女たちを見た時、「スクールメイツの延長みたいな奴らだなあ。どうせすぐにだめになるだろう」と思っていた。
小太りの女が真ん中でうまくもない歌をうたっている。
脇の二人にも魅力を感じない。というより、脇の二人は見ていなかった。
全員集合の中でやっていた体操のコーナーでも、前転も満足に出来ないし、これと言って取り柄のないアイドルだった。

全員集合にはほとんど毎週出ていた。
出る毎に歌をうたっていたが、あいかわらず太った子がメインだった。
しかも、さほど曲もよくない。
おそらくそのままの路線で走っていたら、キャンディーズは自然消滅していただろう。

ところが、デビューして1年ちょっとが過ぎた時、初めてランがメインをとった『年下の男の子』が大ヒットした。
当時の評論家は、「スター性のある『ラン』を真ん中にしたのが、ヒットの要因だ」とのたまっていたようだが、ぼくはそう捉えなかった。

その頃芸能界といえば、アイドルの全盛期だった。
いつもどこかのチャンネルにアイドルが出ていた。
当時のアイドルは、中3トリオや浅田美代子などを除いては、目くそ鼻くその世界だった。
どちらかというと、世間はアイドルに飽きていた時代だった。

スーがメインで受けなかったのも、そこにあったのだと思う。
どちらかというと、スーは「ちょっとアイドル」的だった。
そこで、「またか」という気になったのだ。
ところがランはそうではなかった。
隣の姉ちゃんがテレビに出ているような、一種の親しみがあった。
ぼくたち年下の男の子にとって、それはすごい安心感に繋がった。
つまり、ランがメインになって受けた理由は、評論家がのたまった「ランのスター性」というものではなく、「ランの、どこにでもいるお姉さん的な雰囲気」にあったのだ。



キャンディーズ考察 1

キャンディーズのメンバーの中で誰が一番好きかと聞かれたら、ぼくは即座に「ミキ」と答えるだろう。
おそらく「ミキ」と答える人は少数だと思う。

ミキはキャンディーズの中でも特に目立った存在ではなかった。
またシングル盤A面でメインをとっているのは、「わな」一曲しかない。
解散後も、他の二人は女優という道を歩んだが、ミキだけは、途中ソロ歌手をやっていたものの、結局は『普通の女の子』に戻っていった。

その後はまったく人前に出ることはなくなった。
「あの人は今」といったかつて芸能界で活躍していた人を探す番組にも出てこないし、山口百恵のように引退後も執拗に芸能記者に追いかけられることもない。
おそらく、芸能界でも忘れられた存在になっているのだろう。
まあ、ぼくとしては、それが嬉しくもあり、寂しくもある。

さて、ここからしばらく、キャンディーズのことについて書いていこうと思っている。
別にミキのことばかりを書くのではない。
冒頭にミキのことを書いたのは、ぼくのただの郷愁である。



優勝から一夜明けて

今日はどこもかしこも、「いざゆけ若鷹軍団」のリプレイばかりだった。
前々から言っているように、たまには「ダイヤモンドの鷹」もかけてほしい。
まあ、この歌を知っている人は、「いざゆけ…」よりもずっと少ないとは思うが。

さて、今日ぼくが行ったイオンで、面白い光景を見た。
館内「いざゆけ…」がかかっている中、一軒だけ阪神タイガース絡みのセールをしていた店があった。
もちろん、館内は「いざゆけ…」がかかっているので、「六甲おろし」は差し控えていたようだ。
ダイエーオレンジの中で見る、黄色と黒のストライプは何か違和感があったものの、その心意気や良しである。
おそらくその店はチェーン店だろうから、その店の店長の一存でやっていたとは思えないが、体制に屈さないというか、状況に流されず自分を貫いた、その姿勢を買いたい。

ところで、昨日の喜びで忘れていたのだが、昨日でプロ野球の全日程が終わったのだった。
これからいよいよオフに入るわけだが、何かもの悲しさを感じる。
ラジオを付けても、あの「KBC、ジャンーボナイター!!」という和田アナウンサーの声が聴けないのも寂しい。
2月からオープン戦が始まるとはいえ、開幕戦を迎えるまでは今ひとつ気合いが入らない。
やはり、プロ野球はペナントレースが一番である。



日本シリーズ第7戦

ホークスが負ける日は、いつも朝から嫌な気がするのだが、今日はそれがなかった。
朝から何度イメージしても、王監督の胴上げしか浮かばない。
ぼくはそれで今日の優勝を確信したのだが、それでもいろいろな雑念が襲う。
そこで携帯電話の待受け画像を和田投手に換え、一日中必死に拝むことにした。
何せ、「神様、仏様、和田様」なのだから。

その和田投手が、期待通りやってくれた。
1回の表に、今岡にヒットを打たれ、続く赤星のバント処理を誤ったものの、後続をきっちり断ち切ってくれた。
「これで流れが来た」とぼくは思った。
その通りになった。
ノーアウト1,2塁から、またもや不利な判定で井口がアウト。
しかし、その判定が今回はマイナスにならなかった。
選手会長松中の2点タイムリー。
この人が打てば、もう大丈夫である。
あとはバタバタといつものように点を取って、いつものように勝った試合だった。

しかし、終盤6-1だったにもかかわらず、ぼくは落ち着かなかった。
シーズン中、何度かこういう展開で逆転されたことがあったからだ。
会社内で「6-1なら、もう大丈夫やろ」という声が上がったが、シーズン通してホークスの戦いを見てきた人間としては気が気じゃない。
何度も携帯の待受け画面を見つめて、和田を拝んだ。

8回裏に家に着いたぼくは、ドキドキしながらテレビにかじりついていた。
「ここでダメ押し点を入れてくれ」
だが、あいかわらずウィリアムスを打てない。
三者連続三振である。

いよいよ9回表。
珍しく王監督が動かなかった。
シーズン中なら、ここで岡本や篠原を投入する場面である。
ということは、このまま和田で行くということだ。
ここでぼくは、ようやく優勝を確信した。
和田は2アウト後、広沢から一発を浴びたものの、危なげないピッチングで投げきった。

このシリーズは「内弁慶シリーズ」などと言われたが、別に福岡ドームで4戦やったからホークスが優勝出来たわけではない。
2000年のON対決で巨人に負けてから、ずっとホークスは「日本一奪回」を目指してやってきたのだ。
もちろん阪神もそうであったろうが、18年前に悔しい思いをしていない。
そのため、選手の気持ちのどこかに「阪神だから、しかもレベルの高いセリーグの代表だから、日本シリーズに出れば勝てる」という安易な思いがあったのではないだろうか。
しかし、ホークスの場合は違う。
ON対決で悔しい思いをした選手が、ほとんど残っているのだ。
そのため、「日本一」へのこだわりが阪神に比べて強かった。
ここに1勝の差が出たのだろう。

とはいえ、阪神の選手はみんな怖かった。
2000年の巨人軍より怖かった。
誰もが打ちそうな雰囲気を持っていた。
「もし、杉内がシーズン通りに力んでいたら」「もし、第6戦を寺原に投げさせていたら」と思うと、空恐ろしい気がする。
投手陣も、伊良部以外は打てそうな気がしなかった。
ここでも「もし、吉野が先発だったら」「もし、ウィリアムスが先発だったら」と思うと、空恐ろしい気がする。

最後に、広沢の一発。
なぜか、近鉄カズ山本の引退試合の一発とダブって見えたのだが、そう思ったのは、ぼくだけだっただろうか。



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