頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2003年07月

7.31事件(上)

7月31日午前11頃だった。
後ろの方から「しんたさん、バケツ持ってきてっ!!」という声がした。
何事かと振り向くと、ぼくの売場の並びにある化粧品コーナーが大変なことになっていた。
天井のいたる所から水がジャージャーと、滝のごとくに落ちているのだ。
床は当然水浸しになっている。

ぼくは思わず外を見た。
先々週の大雨の時も、この売場はやられている。
その大雨の再来かと思ったのだ。
ところが、外は真夏の日差しがいっぱいに照りつけている。
「では、何の水漏れなのか?」
そんなことを考える暇はなかった。
自然とぼくの体は倉庫に向かっていた。
モップを取りに行ったのである。
改装前は、何度もぼくの売場が被害に遭っていた。
そのため、倉庫のどこに何があるかということは充分に把握している。
モップ、水切りモップ、ほうき、ちりとりなど、そこにあるもの全部を化粧品コーナーに持って行った。

それらの掃除用具を化粧品コーナーに置くと、ぼくは再び倉庫に走った。
化粧品コーナーの照明を切りに行ったのだ。
すでに照明器具の中に水が進入しており、蛍光灯がついたり消えたりしていた。
このままでは漏電してしまう。
ところが、配電盤のどこを切っていいのかわからない。
とりあえず、ここにレジの電源があるから、並びから言ってここだろうと、当てずっぽにスイッチを切ってみた。
が、外れだった。
他の売場の電気を消してしまった。
もう一度挑戦した。
今度は正解だった。

次にぼくは、こういう日のために用意しておいた秘密兵器、バキュームクリーナーを取りに行った。
昨年購入したこの機械は、雨が降るたびに水に浸るバックヤードで、その力を遺憾なく発揮した。
4月の改装で、ぼくの売場のバックヤードが閉鎖されたため、4ヶ月近くも男子更衣室のロッカーの上に眠っていた。
久しぶりの始動である。
ぼくは、けっこう重量のあるバキュームクリーナーを急いで下ろし、売場まで持って行った。
ところがここで困ったことが起きた。
コンセントがない。
いや、あることはあるのだが、水浸しになる可能性があるようなコンセントは使えない。
他の場所を探した。
3メートルほど離れたところに一つあった。
コードが足りるかと思ったが、さすがに緊急時用のクリーナーである。
かなり長いコードが付いている。
関係者、野次馬など、かなりの数のギャラリーが売場周りに集まっている。
ぼくは、そのギャラリー達の目の前で、「バキュームクリーナーの威力を見よ」とばかりにスイッチを入れた。
人々の目がバキュームクリーナーに集まる。
バキュームクリーナーは期待通りに水を吸い取る。
その感触が手に伝わる。
まさに快感である。



はなげのはなし

会社に行く準備をしている時だった。
ふと鏡を見ていると、鼻毛の先が出ている。
ハサミを持ってきて、さっそく処理したのだが、この鼻毛なかなか手強くうまく切れない。
「何で、時間のない時に限って、こんなのが出てくるんか!」
数分間、これにかかり切りだったが、結局イライラが募るばかりで、埒が明かない。
しかたなく、「会社に行ってから処理しよう」ということにして、いったん除去作業を打ち切った。
ところが、会社に向かう車中でも、鼻毛が気になってしかたない。
何度も何度もルームミラーをのぞき込んでいた。

さて、会社に着いてから愕然とした。
鼻毛処理用のハサミを、家に忘れてきたのだ。
しかたがないので、そのへんのあったハサミを持ってきてやってみた。
が、ぜんぜんだめである。
専用の細かいハサミでさえ切れないものが、工作で使うような大雑把なハサミで切れるはずがない。
結局、何もせずに一日を過ごした。
家に帰ってから、専用のハサミで心ゆくまで鼻毛を切っていた。
ということで、今日は人に会うのが嫌な一日であった。

かつて、北九州は大気汚染に悩まされていた。
その頃は、ぼくの鼻毛も伸びるのが早かった。
「えっ、この間処理したばかりなのに、もう出てきた!」、という経験を何度もしたものだ。
それも1本や2本ならともかく、数本が束になって出てくるのである。
家にいる時に気づけばハサミで処理するのだが、例えば出先などで気づいた時は、もう抜くしか方法はなかった。
ところが、ぼくは鼻の中の皮膚が弱いせいで、いつも炎症を起こす。
炎症を起こすと、すぐに首のあたりのリンパが腫れる。
そのためにいつも熱っぽく、気分が晴れなかったものである。

その後、何かの本に「鼻毛を抜いてはいけない」と書いていたのを見て、ぼくは鼻毛を抜くことを止めた。
その代わりに鼻毛カッターなるもの利用することにした。
しかし、この鼻毛カッター、鼻の皮膚が弱いぼくには不向きだった。
使った後にヒリヒリするのだ。
もし、そのために炎症など起こしたら、抜くのを止めた意味がない。
さらに刈った後の毛は鼻の中に残るので、後の処理に時間がかかったものである。
そのため、買ってからしばらくは使っていたが、電池が切れると同時に使わなくなった。
それ以降は、ずっと鼻毛用のハサミを使っている。

ちなみに、使わなくなった鼻毛カッターだが、今も実家のどこかに眠っているはずである。
もう錆びているだろうけど、まだ使えるとは思う。
もし欲しい人がいたら、抽選で一名様にさしあげます。



またもや大雨

梅雨明けして4日目、またもや大雨だった。
別段暑くない毎日といい、梅雨明け宣言は、いったい何だったのだろう。
8月に入ると、台風シーズンも到来することだし、今年の夏は本当に大丈夫なのだろうかという気がしてくる。

ところで、ぼくは夏になるといつも楽しみにしていることがある。
それは休みの日の午前中にする、森林浴である。
近くの貯水池を散策するのだ。
午前中と言っても、真夏時はすでに暑い。
そのため、散策し始めてすぐに汗だくになるのだが、木陰に入るとひんやりとした風が吹き、実に心地いいものである。
池の周り6キロほどの小径を散策すると、気分的にもすっきりするし、散策後のビールがことのほかおいしい。

ところが、今日のように雨が降ると、その楽しみを奪われる。
外に出るのも億劫になるから、もう一眠りしようかということになってしまう。
気がつくともう午後である。
その時点で、気分的に休みは終わりなのだ。
午後になると、明日の準備をしなくてはならない。
また最近では、今日を終えるために、日記のネタを考えるという作業まで加わった。
ここでぼくは声を聞く。
「せっかくの休みだし、日記3日分くらい書きだめしておいたらどうか」
『せっかくの休みを、日記に奪われていいのか?』
「もっと他のことを書いてみてはどうだろう」
『もっと他にやることあるだろう』
「本の感想でもいい」
『本も読めないじゃないか』
「もうすぐ日記も1000回目になる。もう少し頑張れ」
『一日ぐらい日記を休んでも、体勢に影響はない。どうせ大したサイトでもないんだし』
などと、神と悪魔が交互にぼくに語りかけてくる。
ぼくは、そういう言葉の板挟みになって、悩んでしまう。
結局は、神の声に押され、ぼくは日記を書いているのだが。
あ、もしかしたら、それが悪魔の声かも…。

とにかく、雨が降るとやることがない。
気はくさくさするし、ギターを弾く気にもならない。
元々掃除などをする人間ではないのに、そういう日に限って「掃除でもやるか」などという気が起きる。
パソコン周りを整理して、床に落ちているタバコの灰や、そのへんに散らばっている本やCDを片つけて、掃除機をかける計画を立てる。
だが、いつも途中で挫折してしまう。
今日も、そういう気持ちになることはなったが、結局何もやらなかった。

ということで、今、一日の仕上げである日記を書いている。
ま、朝の更新になることが多いこの頃は、仕上げというより、一日の始まりになっているのではあるが。



嫌いなもの

ネズミが嫌いということは書いたが、そのついでにぼくの嫌いな物を羅列しておく。

【病院】
嫌いと言ってすぐに思い出すのは、言うまでもなく病院である。
これはエッセイなどにも書いているので、別に説明の必要もないだろう。
で、病院のどこが嫌いなのかといえば、すべてである。
病院の臭いが嫌いである。
注射が嫌いである。
薬が嫌いである。
医者が嫌いである。
看護婦が嫌いである。
・・・である。

【ピースご飯】
次に、食べ物で嫌いなものはといえば、これも前に書いたことのあるピースご飯である。
炊きあがった時の臭いといい、食感といい、あんなに人を小バカにした料理はない。
だいたいご飯というのは、あのネチャッとした歯ごたえを楽しむものである。
そこにグリーンピースのような、歯ごたえのない物が混ざっていると、楽しさも美味しさもなくなってしまう。
ま、これに反論されても困るので、ぼくだけの感じ方だと言っておこう。

【ゴルフ】
スポーツではゴルフ。
前の会社にいた時、それまで無趣味だった同期の男が、急にゴルフを始めた。
本人は「前から興味があった」などと言っていたが、その男の興味はゴルフにあったのではなかった。
上司の嗜好に合わせることに興味を持っていたのだ。
彼のごますりは露骨だった。
上司の言われるままに動いていた。
だから受けは抜群によかった。
ひねくれ者のしんたをはじめ、同期の者を尻目に、彼はドンドン出世していった。
でも、こういう奴は下から嫌われる。
彼の部下から、何度もグチを聞かされたものである。
元々ゴルフに興味のないぼくだったが、この男のせいで嫌いになった。
もちろん、ぼくはゴルフをやらない。

【日曜日の午後3時半頃】
野球シーズンの日曜日の昼間は、KBC(九州朝日放送)ラジオで野球中継をやっている。
ところが、3時半頃になると、突然「ここから○分間、競馬中継をお送りします」というアナウンスが入り、野球中継が中断される。
この間の、ダイエーが安打数の日本記録を作った時にも中断された。
この秋、もし日曜日のその時間帯で、ダイエーの優勝が決まるとしても、KBCは競馬中継をやるのだろうか。
もしもそうなら、ダイエーファンとして断固抗議する。
実に迷惑な話である。
だいたい競馬なんかは、結果を言えば事足りるのである。
わざわざ中継なんかする必要はないじゃないか。

【パチンコ屋】
元々ぼくはギャンブルに興味がない。
前の会社にいる時、電車の時間待ちでパチンコをやったことがあるが、目の色を変えてやっていたわけではなく、ゲーム感覚でやっていたのだった。
だから、勝っても負けても、せいぜい千円止まり。
それ以上の欲が沸かないのだ。
前の会社を辞めてからは、まったくパチンコ屋には足を運んでいない。
そのパチンコ屋に嫌悪感を抱くのにはわけがある。
ぼくの住んでいる地区には、大きなパチンコ屋が5店建っている。
仕事の行き帰りや、買い物に行く時には、必ずその前を通らなければならない。
ところが、パチンコ屋から出入りする車のマナーが、まったくなってないのである。
パチンコ屋に入る車は車間も考えずに割り込んでくるし、駐車場から出てくる車は左右を確認せずに飛び出してくる。
「何で、遊んでいる奴らのために、こちらがヒヤヒヤしなければならんとか!?」
ぼくはパチンコ屋の前を通るたびに、パチンコ屋から出てくる車を睨み付けている。
もちろん、入れてあげない。

さて、最後に気がついたことがある。
今日の日記を書いていて、何かしっくり来ないものがある。
「何だろう?」といろいろ考えていたのだが、それがようやくわかった。
それは『嫌い』という言葉にあった。
北九州の人間は、日常『嫌い』という言葉をあまり使わない。
例えば、取引先のTという人間が嫌いだとする。
その時「Tさんは嫌いだ」とは言わない。
では何と言うか?
「Tさんは好かん」と言うのだ。
「嫌いだから、来ないでほしい」ではなく、「好かんけ、来んでほしい」である。
『嫌い』だと、何か冷たい感じがする。
一方の『好かん』のほうは、少しは温もりがある。
ということで、『嫌い』を全部『好かん』に訂正しようかと思ったが、面倒なことは好かんからやめておく。



ねずみ通り15番地 後編

それからしばらくの間、ぼくはネズミ恐怖症に襲われた。
家に入るのに怯え、ガサッという音に怯えた。
その後、駆除したせいで、家の中でネズミを見ることはなかった。
が、それでも心休まることはなかった。

再びネズミにお目にかかったのは、ずっと後のこと。
社会に出てからだった。
小倉の旦過市場付近の屋台でラーメンを食べている時、体長50センチほどの生き物がウロウロしているのが見えた。
一瞬、ぼくは固まった。
ラーメン屋の親父に、「あれは何ですか?」と尋ねると、親父は「ああ、あれはドブネズミ。大きいやろ」と言う。
何でも、市場に住んでいるせいで、食べ物に不自由せず、あそこまで大きくなったとのことだった。
小学生の頃の記憶がよみがえる。
さすがに、ネズミ恐怖症に陥ることはなかったが、それでも数日間はその大きなネズミの姿が目に焼き付いて離れなかった。

話は戻る。
ぼくは嫌々ながら、休憩室に向かった。
「しんたさん、そこです」
見ると、小さなネズミがいた。
生まれたばかりだろうか、目も開いてない状態だった。
しかし、一人前にネズミ色の毛が生えていた。
どうしたものか、と思ったが、このままにしておくわけにはいかない。
ぼくは休憩室をいったん出て、倉庫に段ボールを取りに行った。
戻ってから、そこにあった割り箸を手に持ち、恐る恐る子ネズミをつまんだ。
プニュっという感触がして気味が悪い。
そして、持ってきた段ボールの切れ端に子ネズミを移し、そのまま外に捨てに行った。
途中風にあおられ、子ネズミがアスファルトの地面に落ちた。
痛かったのだろう。
悶えている。
しかし、ぼくは情を殺し、店の前にある土手に子ネズミを捨てた。

ぼくが売場に戻って、ホッとしたのもつかの間。
数分後、また電話がかかった。
もう一匹出たとのことだった。
再びぼくは、休憩室に向かった。
今度は店長がいた。
ぼくは店長が始末してくれるものと、内心ホッとした。
店長はティッシュを何枚か取った。
そのままつかんで捨てるのかと思いきや、そのティッシュをぼくに渡した。
ぼくにつかめというのだ。
もうどうにでもなれという気になった。
ぼくはティッシュを受け取り、子ネズミをつかんだ。
箸でつまんだ時より鮮明にプニュ感が伝わる。
そして、またさっきの場所に捨てに行った。

この子ネズミも、捨てたのは店の前にある土手だった。
そこに捨てた理由は、そこにある豊富な植物と水気で、もしかしたら生き延びるかもしれない、と思ったからである。
しかし、目も開いてないことだし、鳥や昆虫に襲われて死ぬことも考えられる。
なぜか、「悪いことをした」と懺悔の気持ちになった。

ネズミをティッシュを通してだがつかんだ時には、すでに恐怖心などはなかった。
しかし、これでネズミ恐怖症は克服されたのだろうか?
その問には、クエスチョンマークがつく。
家で走り回られると、やはり怖いに違いない。



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