頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2003年04月

休みをくれー 前編

やったー!
ついに休める。
今月の19日からずっと出ずっぱりだったから、今日まで12日間休んでないことになる。
その間、朝7時に起き、8時半に家を出、9時に会社に着き、夜8時過ぎに会社を出、9時に家に帰り、翌午前3時に日記を書き終える生活をしていた。
実労10時間、しかも肉体労働。
睡眠時間4時間、しかも熟睡してない。
おそらく今までの人生の中で、こんなにハードな生活をやったことはないだろう。
しかし、それもやっと解放されるわけだ。
来月の6日に…。

そう、まだ休めんとですよ。
本当は明日休むつもりでいたのだが、どうも休めるような雰囲気ではない。
何人かの人に、さりげなく「いつ休みますか?」と聞いてみると、みな異口同音に「他の店から応援を出してもらっとるくらいやけ、しばらく休めんやろう」と言う。
ということで、泣く泣く明日の休みを取り消した。
あーあ、あと5日もこんな生活が続くのか。

17日間休みなし。
今まで、こんなに長く休まなかったことがあるだろうか。
あ、そういえば、浪人時代にやった中国展のアルバイトで、33日間休みなしで働いたことがあった。
それが最長ということか。
しかし、あのバイトは土日以外は暇で、いつもボーっとしていたから、それほど疲れはしなかった。

長崎屋でバイトをしていた時、23日間休みなしで働いたことがある。
ちょうどエアコンの売れる季節で、この時期に在庫を全部吐いてしまおうという意気込みで頑張った。
しかも、3日に一度は飲みに行っていたから、けっこうハードだったと言える。
とはいえ、肉体労働をしたわけではない。
あの時は、いつも在庫の数と格闘していたので、精神的に疲れていたわけだ。
意地になって休みをとらず、飲みに行ったに時まで「あと○台」「あと○台」などと言っているぼくを見かねた上司が、「しんた君、もう在庫のことはいいけ、明日は休みなさい」と言った。
最初は拒んでいたぼくも、最後には折れた。
明日一日休んで、また在庫と闘えばいいと思っていた。
ところが休みの翌日、店に行ってみると何か様子がおかしい。
上司に「どうしたんですか?」と聞くと、上司は「ああ、もうエアコンの季節は終わったよ」と言う。
「えっ? だって、おとといまであんなに売れてたじゃないですか」
「いや、不思議なもので、エアコンの場合は突然潮が引くんよね」

今でこそ冷房・暖房・除湿と年中使うものになっているが、当時のエアコンは『クーラー』という言葉が示すとおり、冷房専用がほとんどだった。
そのため、エアコン販売は梅雨明けの1週間が勝負となった。
エアコンの取付工事の人は、年収の大半をこの時期に稼ぐと言っていた。
パッと売れ出して、サッと売れなくなっていく。
まるで、花火のようなものだった。
その時期にいかに見事な花火を打ち上げるかが、担当者の腕の見せどころだった。

このことを知った時、ぼくはエアコン販売に『男のロマン』のようなものを感じた。
ぼくがその後家電販売の道を選んだのも、この時感じた『男のロマン』が大きく影響している。



吉祥寺

区内の、高倉健の実家近くに吉祥寺(きっしょうじ)という浄土宗のお寺がある。
藤で有名なところで、毎年この時期になると『藤まつり』を催している。
参道に出店が出るなどして、たくさんの人出でにぎわっている。

吉祥寺の藤まつりの頃になると、いつも思い出すことがある。
それは、10年ほど前、この祭に行った時に思わぬ人を見たことである。

ぼくはそれ以前にも、何度かこの祭に行ったことがあるのだが、いつものように人通りの多い狭い参道を歩いていた。
すると突然、後ろのほうで、「こらー、○○!!お前は…」という怒鳴り声が聞こえた。
どうも子供を叱っているようだった。
まあ、子供を叱るくらいは日常茶飯事のことで、大したことはないのだが、ぼくはその声に思わず振り返ってしまった。
なぜなら、とにかく声が太いのだ。
しかも、その声は女性のそれである。
その声を聞いて、どんな人なんだろうと興味をそそられた。
きょろきょろと周りを見回すと、おそらくその声の持ち主だろうと思われる人がいた。
とにかく背が高い。
周りにいる人より、頭一つ出ていた。
しかも、体格がいい。
『おそらくこの人だろうな』と思っていると、その人が口を開いた。
ドスのきいた低い声。
まさにその声の持ち主であった。

ぼくは、一緒に祭に行っていた友人に「凄いのう、あのおばさん」と言った。
すると友人は、「おい、あの人…」と言った。
「あのおばさんが、どうかしたんか」
「あの人、横山樹里ぞ」
「横山樹里?」
「おう」
横山樹里といえば、元女子バレーボールの日本代表だった人だ。
「まさかぁ、樹里はあんなデブやなかったやろうもん」
「いや、引退してからデブになったらしい」
そういえば、横山樹里もこの吉祥寺の近くに実家があるのだ。
ここにいても別におかしくはない。
しかし、ぼくは半信半疑だった。
あのおばさんの顔と、テレビで見ていた樹里の顔とが、どうしても結びつかなかったのだ。

しばらくして、その半信半疑に終止符を打つ時がやってきた。
ローカル番組で、あるママさんバレーチームの紹介をやっていた。
そこに、吉祥寺で見た、あのおばさんがいたのだ。
レポーターが言った。
「この方をご存じの方も多いと思います。元全日本のエースアタッカー、○○樹里、旧姓横山樹里さんです」
「こんにちはー」
ドスのきいたあの声である。
やはり、あのおばさんは横山樹里だったのだ。
しかも、あの時よりもさらに肥えていた。
その後樹里は、ビートたけしのトーク番組に出て、たけしからさんざんからかわれていた。
もちろん、その体型について突っ込まれていたのだ。

さて、今日は藤まつりの最終日だった。
「今年もあの人は行ったのだろうか」
と、ぼくが横山樹里を思い出す季節になった。
いよいよ初夏である。



同窓会

先日、高校3年時のことを書いたが、そのことで思い出したことがある。
高校を卒業してから18年後、ぼくが36歳の時のことだ。
7月、『同窓会のお知らせ』なるハガキが舞い込んできた。
これはクラスの同窓会ではなく、学年全体の同窓会だった。
同窓会そのものには興味はなかったのだが、「もしかしたら、あの頃好きだった人に会えるかも」という甘い期待があったので、参加することにした。

当日、友人二人と駅で待ち合わせ、会場である駅前のホテルに向かった。
会場に行ってみると、数十人の人たちが集まっていた。
ぼくはさっそく、その好きだった人を目で探した。
しかし、来てなかった。
その時点でぼくは帰ろうと思ったが、友人二人のを誘った手前、すぐに帰るわけはいかない。
仕方なく、しばらくそこにいることにした。
他の二人は同じクラスになったことのある人が来ており、楽しそうに談笑していたが、ぼくの場合、同じクラスになった人間はほとんど来ておらず、一人白けていた。

ぼくがふてくされて座っていると、後ろから「しんた」という声が聞こえた。
振り向くと、そこには3年の時に一緒のクラスだったMがいた。
彼も3年の時、ぼくと同じく担任からしこたま叱られた口だった。
そういう共通点があったせいか、仲間意識を持つようになり、よく行動を共にしていた。

「おう、Mか」
「今日担任が来とるんやけど、しんた、お前挨拶したか?」
「いいや」
「なし挨拶せんとか。お前が一番迷惑かけたやないか」
「迷惑かけたのはお前のほうやろ。おれは事故起こしてないぞ」
Mは3年の時、バイクで転倒し入院したことがある。
それまで、担任はぼくよりもMのほうを叱っていたのだが、彼が入院してからというもの、担任はMの分までぼくを叱るようになった。
Mは、「とにかく、挨拶してこい」と言う。
「いやっちゃ」
「いいけ、来い」
と、Mはぼくの腕を引っ張っていった。

「先生、しんたを連れてきました」
担任は「しんた…?」と一瞬首をひねった。
ぼくが「お久しぶりです」と言うと、担任は「ああ、久しぶりですねえ」と言う。
ぼくが「先生、おれのこと忘れたでしょ?」と聞くと、担任は「い、いや、そんなことはないですよ。はは…」と答える。
おそらく忘れているのだろう。
覚えているのなら、そんな他人行儀な受け答えはせずに、「おう、しんたか! 母ちゃんに心配かけんで、ちゃんと真面目にやっていきようか!?」など言うはずだ。

担任はぼくに「今、どこに勤められてますか?」と聞いた。
「今、○○に勤めています」
「ああ、○○か。私の教え子もそこに勤めているのがいてねえ」
「あ、そうなんですか」
と受け答えしながらも、『あのねえ、ぼくもあんたの教え子なんですよ!』と思っていた。

ぼくが担任と話している途中に、Mが横から「先生、しんたも更正したでしょ?」といらんことを言いだした。
彼は、高校3年時の担任とぼくとの関係を、再現させたがっていたのだろう。
しかし、担任の記憶はさかのぼることはなく、相変わらず他人行儀に「はは…」と笑っているだけだった。

話しているうちに、ぼくはだんだん寂しくなってきた。
しばらく担任と話してから、「じゃあ、失礼します」とその場を去った。
ぼくが席に戻り、一人で酒を飲んでいると、Mが戻ってきた。
そして「やっぱり担任は、しんたのことだけは覚えとったみたいやのう」と言った。
「どこが覚えとるんか!」
「親しそうに話しよったやないか」
「お前、あれが親しそうに見えるか? ずっと他人行儀やったやないか」
「そうは見えんかったけど」
彼はいったい何を見ていたのだろう。

いくらその当時印象に残った生徒でも、時間が経てば忘れるものである。
それは仕方ないことだ。
ぼくたち生徒が生涯に出会った先生の数よりも、先生が生涯に出会った生徒の数のほうがはるかに多いのだから。
しかし、そうはいっても、記憶のどこかにぼくの存在をとどめておいてほしかったとは思う。
もしそれがあったら、もう少し楽しい同窓会になっていただろう。



アニメファン

前の会社にいた時、レーザー・ディスクのコーナーを担当していたことがある。
吉幾三が『俺ら東京さ行ぐだ』の中で、“ディスコも無ェ/のぞきも無ェ/レーザー・ディスクは何者だ?”と歌った、ちょっと後のことだ。

その当時、ぼくの勤めていた地区では、二つの販売店がレーザー・ディスクの覇権争いをやっていた。
その一店がぼくのいる店で、もう一店がBという店だった。
売上高はほぼ同じだったが、販売内容はちょっと違っていた。
こういう趣味嗜好商品というのは、販売する人によって売れるジャンルも違ってくるらしい。
販売する人の趣味が反映するというのだ。

うちの店は、ぼくが担当だったため、ぼくの趣味が反映した。
売れたのは言うまでもなく、音楽ものだった。
いろいろなアーティストのライブものや、プロモーションビデオ、さらにカラオケまで、音楽と名の付くものなら何でもよく売れた。
松任谷由実のセットものが発売になった時だったが、他の店は良くて4,5セット程度の売上げだったのだが、うちの店は30セットほど売り上げた。
また、1セット売れればいいほうと言われた吉田拓郎のセットものも、うちの店では10セット以上売れた。
あまりに格差があるので、他の店が「値段を下げて売っているんじゃないか」とメーカーにクレームをつけたほどだった。

一方のBはアニメだった。
アニメといえば、その当時から宮崎駿ものがよく売れていたが、『魔女の宅急便』が発売になった時、うちの店でもそこそこ売れたのだが、Bではうちの10倍近くの売上げがあったということだった。
Bでアニメがよく売れたのは、担当者がアニメファンだったというのもあるが、うちがアニメを敬遠していたというのも影響していたと思う。

その当時、業界ではアニメファンは神経質な人が多いという見方が一般的だった。
ある時、一人のお客さんがやってきた。
「すいませーん。これ、おたくで買ったものなんですが、11分58秒のところに白いノイズが出るんですけど」と言う。
調べてみると、11分58秒のところで、一瞬、目を凝らしてみないとわからないほどの、小さな白い点が出る。
普通の人ならまったく気にならないようなノイズだが、その人は大いに気になるらしかった。
仕方なく交換したのだが、数日後、その人はまたやって来た。
「やはり前と同じところでノイズが出るんですけど」と言う。
修理のきかないディスクなので、こちらとしては、交換する以外に対処する方法はない。
しかし、何度交換しても、同じ結果しか出ないと思ったぼくは、メーカーに対処させることにした。
さすがにその後は何も言ってこなかったが、そのお客とメーカーは、かなりやりあったという。
うちの店がアニメを敬遠したのは、こういうクレームがけっこう多かったからである。

じゃあ、Bではそんなクレームがなかったのかというと、そうではなく、うち以上に売っている分クレームも多かったそうだ。
ある時、メーカーからBでの面白い話を聞いた。
アニメに限らず、こういうソフト関係は、初回版にプレミアムが付いてくることが多い。
それ欲しさに、初回版を予約する人もけっこういるのだが、アニメファンはその傾向が特に強かった。
そのプレミアム欲しさに、あるアニメを予約した30代の男性がいた。
ソフトの発売日、その男は開店と同時に現れたという。
ところが、店の手違いで、その男の予約分が漏れていたことがわかった。
ソフトは行き渡るのだが、そのプレミアムは限定だったので、もう手に入らない。
そこで、店の人はその旨を男に説明し、丁重に詫びを入れた。
「他のプレミアムを準備させてもらいますので…」
そう言ったとたん、男はベソをかき、その場に座り込んだ。
そのまま小一時間座り込んでいた。
いくら店の人が詫びても、立ち上がらなかったという。
たしかにミスを犯した店が悪いのだが、男もベソかいて座り込むことはないだろう。
いい歳した大の大人が何をやっているんだ。
そのメーカーさんは、「アニメファンというのはホント疲れますわ」と嘆いていた。

アニメファンといっても、こういう人はごく一部にすぎないだろう。
そのごく一部の人が、いろいろと問題を起こすので、業界の中で偏ったアニメファン像というのが出来たのだろう。
ぼくも、どちらかというとアニメ好きの人間ではあるが、重視するのはプレミアムやディスクのちょっとしたノイズではなく、あくまでも作品の内容である。
おそらく、アニメファンといわれる多くの人たちも、ぼくと同じ意見だと思う。



新しい掲示板

おっ、もう1時を過ぎとうやん。
早よ書かいて寝らんと明日がきつい。

今まで何をやっていたのかというと、新しい『月明り掲示板』を探していたのだ。
今朝、掲示板を開いてみると、
《サーバー移転の為
4/26 0:00よりサーバーを完全に停止します。
現況報告とお詫び:作業開始前の停電により、発言ログデータサーバーに障害が発生しました。
最悪の場合、全データが飛んでいるかもしれません。
ご迷惑をおかけし、大変申し訳ありません。
復活予定は、運送屋さんの到着時刻に依存するところが大きいですが、目標としては4/28中のサービス再開、最悪で4/29中には、と考えています。
が、やってみないとわかりません。
以上 ご協力お願いいたします。 》
と書いてあった。
「突然停止されると困るんよね。ちゃんと連絡してもらわんと」と一人でブツブツ文句を言った。
「さて、どうしようか」と思ったが、時間がなかったので、とりあえず会社に行ってから考えることにした。
ところが、昨日の日記の通り、今日は改装オープンの二日目で、そんなことを考える暇もないほど、次から次へとお客さんがやってくる。
帰る頃には放心状態で、掲示板のことなどすっかり忘れていた。

掲示板のことを思い出したのは、午後9時半過ぎに家に帰り着いた後のことだった。
「そういえば、掲示板…」
と思って、掲示板を開いてみたが、相変わらず《サーバー移転の為…》の表示のままだ。
「29日…。あと3日もある。待てるか!」
と、新しい掲示板を探すことにした。
『無料 レンタル掲示板』などと検索窓に書き込んで、検索結果の1から順に開いてみた。
しかし、見るとどこも似たり寄ったりである。
「これ以上探しても無駄だ」ということで、一つの掲示板を決めた。
そこは、このサイトを始めた頃に借りたサーバーだった。
つまり、また元に戻ったわけだ。

当初借りていたそのサーバーをなぜ止めたのかというと、それはゲストさん同士がけんかを始めたからである。
お互い意地の張り合いで、一歩も譲らなかった。
このままだと見ている人が不愉快になるだろうと思い、サイトごと移転した。
もちろん掲示板は、新しいところを借りた。
もちろん二人には新しいサイトのことを教えずに、残ってもらうことにし、あとは知らん顔をしていた。

ということで、今日からは新しい掲示板でございます。



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