頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2003年03月

3つの3月31日

  春のある日

 何となく生まれた日々と
 何となく育った街が
 夢の中ひとりっきり
 追っかける風と共に

 忘れかけた手作りの歌
 声をあげ風が歌う
 みんなみんな寂しいんだよ
 あんただけじゃないんだよ

  誰かが呼ぶ春の声
  人でなしのか細い声

 春を呼ぶ数々の日々
 春を待つ寄せ合いの街
 雇われた幸せ売りが
 色褪せた口笛を吹く


1977年3月31日、ぼくは博多の街をうろついていた。
職を求めてである。
大学進学を特に希望していたわけではないが、それでもいちおう大学を目指して1年間やってきたので、その失敗はぼくに重くのしかかった。
生まれて初めて味わった挫折と言ってもいい。
その当時、この挫折に耐えきるほどの精神力を、ぼくはまだ持っていなかった。
そのせいで、ぼくはそれから起こる出来事を、すべて挫折感というフィルターを通して受け止めるようになる。

さて、26年前の今日。
職を求めて、とは言いながらも、実は放心状態だった。
博多駅を降りたぼくは、筑紫口側に出た。
そこからずっと歩いて工場街に出た。
空は曇り、吹く風は冷たかった。
そこにある春は、空に鳴くヒバリの声だけだった。


  春のようなしぐさ

 春に舞う鳥になれたら
 いつもぼくは君のそばにいて
 二人で空を翔んでは
 ありったけの愛を歌う

 こんなひとときにも君は
 苦労性に体を動かす
 「それでもいいよ」という君を見てると
 ぼくはとてもやりきれなくて

  笑いながら日々を過ごせたら
  こんなにいいことはないのにね
  それはこの上もない
  幸せだけど

 春のようなしぐさで
 日々を過ごしたいもんだね
 それは届かない夢だろうけど
 こんな小さなひとときだけでも

1982年3月31日、ぼくは小倉の街をうろついていた。
あれから5年経った。
東京ではしゃいでいる間に、挫折感というフィルターはどこかに飛んでいってしまった。
かといって、フィルターを忘れたわけではない。
「77年の自分には戻りたくない」という意識だけは、今も心のどこかにある。

さて、21年前の今日。
その夜、ぼくは小倉の、ある公園で花見をしていた。
就職して2年がたった。
創業以来の仲間と飲む酒は、格別なものだった。
吹く風は暖かく、これからの人生がバラ色に飾られているような気がしていた。


  春の夜に

 午後から降り始めた雨は、
 今日の仕事を終えた。
 雨を運んだ風は、
 次の場所に移った。
 弥生最後の夜
 誰もいない窓に向かって
 ぼく一人だけが焦っている。

2003年3月31日、ぼくは自宅で頭を抱えている。
くそー、まだ出来んわい!
もう3時やん。
参りました。



ひげ

「ケッ、オラウータンやないか」
実は、この三連休の間、一度もひげを剃ってないのだ。
初日は気になっていたのだが、2日目はそれほど気にならなくなり、3日目の今日はどうでもよくなっていた。
夕方、歯を磨いた。
冒頭のセリフは、その時鏡を見て発したものである。

昨日の日記で、まともな三連休をとったことがないと書いた。
そのため、ひげをここまで伸ばしたこともない。
学生時代は、それほどひげが多くなかったから、2,3日剃らなくても大して目立たなかった。
ところが、歳とともにひげが増えていった。
鼻の下やあごだけに目立っていたひげは、徐々に頬を侵していった。
気がつけばオラウータンである。

東京にいた頃の話だが、ぼくの仲間にHという平尾昌晃似の男がいた。
彼は非常に存在感のある男だった。
目が大きい、まつげが長い、鼻の下が少し長いなど、彼には数々の特徴があった。
それだけでも世間に対して、ある程度の存在感を示すことが出来る。
しかし、それだけでは「非常に」という形容動詞は使えない。

もう一つ彼には特徴があった。
それはひげである。
彼はひげが異常に濃かった。
彼はよく、「すぐにひげが伸びるので、半日に一度剃らないとならないんだよ」と嘆いていた。
しかもひげが堅いために電気カミソリでは役不足で、いつも手剃りのカミソリを使っていた。
そのせいか、青々とした剃り跡には所々で血がにじんでいた。
しかし、ひげが異常に濃いだけなら、探せばそういう人はいくらでもいるものである。

では、何が彼を非常に存在感のある男に仕立てたのか。
それは、その所々に血痕のある青々とした剃り跡と、数々の特徴ある顔とのバランスが、微妙にズレていたということだった。
その微妙なバランスのズレこそが、彼を彼たらしめ、世間に対して非常に存在感のある男に仕立てたのだ。
もし彼を知らない人が彼を見たら、体中が痒くなるか、もしくは笑うかのどちらかだろう。
もし、その顔で流し目でもされたら…。
ああ、思い出しただけでも気味が悪い。

さて、ぼくの三連休も今日で終わりである。
朝になれば、嫌でもひげを剃らなくてはならない。
今、顔全体に7,8ミリのひげが広がっている。
おそらく朝になれば、このひげは1センチに伸びているだろう。
それだけのひげを剃るのだから、けっこう時間がかかることが予想される。
電気カミソリというのは、ひげが起きた状態だと剃りやすいのだが、寝た状態だと非常に剃りにくいものである。
最初は軽く肌に当て、徐々にひげを短くしていく。
ある程度短くなったところで、一気に剃り上げる。
ぼくは手先が器用な方ではないので、この作業に手間取ってしまう。
だいたい、ひげを剃ること自体が面倒くさい。
だから、ぼくは、休みの日にはあまりひげを剃らないのだ。
もしぼくが客商売をやってなかったら、それこそオラウータンの称号をいただくことになるだろう。



三連休

実は今、三連休の真っ最中である。
ぼくの店は、二連休だと比較的簡単にとれるのだが、三連休ということになると人員ローテーションの関係から、なかなか難しいものがある。
いや、ぼくの店に限ったことではない。
販売業全体にそうではないのだろうか。

長崎屋にいた頃、福島の友人から「結婚式に出席してくれ」という案内状をもらったことがある。
12月のことだった。
師走の忙しい時期なので上司に相談したのだが、上司は一言「福島なら出席せんでも失礼にならんよ」と言った。
福島に行くためには、最低でも三連休が必要になる。
上司は、暗に「行くな」と言ったのである。

また前の会社にいた時には、三連休をとるために店長の決裁を仰いだものだった。
「三連休!? 結婚でもするんか?」
「そんなんじゃないですけど…」
「とってもいいよ。で、今お前の部門は予算行っとったんかのう?」
「いや…」
「じゃあ、三連休は予算行ってからのことやのう」
「・・・」
という具合に、ことごとく却下された。

しかし、三連休がとれなかったわけではない。
前の会社で、ぼくは一度だけ三連休をとっている。
その会社を辞めた年の、社員旅行の時である。
その年は二泊三日でサイパンに行くのだった。
社員旅行といっても、その間店を休むわけではない。
1便、2便と分けて行くのだ。
当初ぼくは2便で社員旅行に参加するつもりだった。
そのためにパスポートも準備していたのだが、会社を辞めることになったので、ぼくは旅行を辞退し、その代わりに三連休をもらった。
2便が発った次の日からの三連休になった。
初日は一日寝ていた。
二日目、街に出て本屋などをうろうろしていた。
その日の夜のことだった。
突然会社から電話がかかった。
「悪いけど、明日仕事に出てくれんか?」
「え?」
「実は、台風の影響で、サイパンから飛行機が飛ばんらしくて、2便が帰ってくるのは明日の夜になるらしい」
しかたなくぼくは引き受けた。
結局、三連休は、ただの連休になってしまった。

10年ほど前のこと。
今の会社に入って、初めての三連休をとった。
ところが、この三連休も台無しになった。
かねてから病院に入院していた伯父の容態が悪くなり、三連休の前の日に亡くなってしまった。
ということで、三連休は通夜、葬儀、初七日(三日目に行った)と埋まってしまい、自分の時間を持つことが出来なかった。
よほどぼくは三連休と縁がないのだろう。

さて今回、三連休がとれると知った時、せっかく時間がとれるのだから、どこか遠くにでも行こうかと考えてもみた。
しかし、遠出する資金がない。
じゃあ、せっかく時間がとれるのだから、寝ていようということになり、こうやってダラダラと時間を費やしている。



峠ラーメン

今日、岡垣町にある『峠ラーメン亭』のチャンポンを食べに行った。
最後に食べたのが、昨年の春だったから、1年ぶりである。
久しぶりに食べた、峠のチャンポンは前にも増しておいしくなっていた。
こういうことも珍しい。

十数年前だったが、夜中に博多まで長浜ラーメンを食べに行っていたことがある。
当時えらくおいしい店があり、腹が減ると無性にそこのラーメンが食べたくなったのだ。
しかし、夜中で道はすいているとはいえ、片道1時間近くかかってしまう。
だんだん疲れてしまい、そのうち行かなくなった。
数年後、福岡ドームに行った時その店に寄ったことがある。
あのおいしい長浜ラーメンの記憶がよみがえる。
ところが、口にしてみると、あの頃と味が違う。
スープに微妙なコクがなく、ただの薄味の豚骨ラーメンになっていた。
この店はぼくが足繁く通っていた後に、テレビなどで取り上げられだした。
おそらくその影響で客足が増えたのだろう。
その結果、数をさばくことに神経を使うようになり、味作りに気が回らなくなったのだと思う。
こういうことはよくあることだ。

ところが、冒頭の『峠ラーメン亭』のチャンポンは違う。
1年前に食べた時以上に味がよくなっているのだ。
ここは先の長浜ラーメンのようにテレビで紹介されたことはない。
その上、店の名前にラーメンと付いているので、どうしてもチャンポンのほうに関心は行かないだろう。
しかし、一度このチャンポンを食べた人なら、そのおいしさを知っている。
おいしい店を知っているとなれば、誰かに教えたくなるのが人情。
ぼくもけっこう多くの人に、ここのチャンポンのことを触れ回った。
食べに行った人からは必ずと言っていいほど、「おいしかった」との答えが返ってくる。
そういった口コミで着々と客足は増えていっているのだ。
それなのに「客足が増える、すなわち味が落ちる」という公式がこの店には当てはまらない。
こういう店も珍しい。

何年か前に、ここのチャンポンを食べた翌日、長崎の平戸までドライブしたことがある。
その平戸で昼食をとろうと、一軒の食堂に入った。
メニューを見ながら何を食べようかと迷っていると、そこの店員が「長崎に来られたんですから、もちろんチャンポンでしょ?」と言った。
「え?」
「旅行で来られた方は、ここで必ずチャンポンを食べて行かれますから」
「そうですか」
それほど言うのなら、よほど味に自信があるのだろう。
「じゃあ、チャンポンにして下さい」

しばらくして、チャンポンが運ばれてきた。
スープはかなりドス黒い。
レンゲにスープを入れ口に運んだ。
「・・・」
チャンポンのチェーン店の味のほうがずっとおいしい。
まあ、チャンポン食べたことのない人なら「チャンポンとは、こんな味なのか」ですませられるかもしれないが、チャンポン歴40年、しかも前日特Aのチャンポンを食べたぼくにはとても食べられたものではなかった。
当然残すことになり、空腹をパンで満たすことにした。

よく旅行などに行くと、「本場」だの「元祖」だのいう看板がやたら目に付く。
しかし、そういうところに限って、あまりおいしいものを食べさせてもらえないものである。
福島の喜多方にラーメンを食べに行った時も、ぼくは地元の人に「どこが一番おいしいか」と聞いて店を選んだものだった。
その時、地元の人が教えてくれたのは、『喜多方ラーメン』の看板を上げている店ではなく、そのへんによくある赤いのれんの中華料理店だった。
もちろん、味は絶品だった。

さて、今日の日記も日をまたいでしまった。
すでに、正午を過ぎている。
そろそろ腹が減ってきた。
今日も峠ラーメンに行くことにしようかなあ。



再び浮浪者

しかし、1日に2編も書くとなるとよほどのことがない限り、違った内容の日記は書けない。
で、今回も浮浪者ネタを書きますわい。

長崎屋に入ったばかりの頃のこと、えらく汚いスーツを着込んだ御仁が店にやって来た。
ぼくがそのスーツ氏を見ていると、上司のHさんが笑いながら「あの人ねえ、この時期になったら来るんよね」と教えてくれた。
さらにHさんは「よく見てん。何か書いた紙を持っとるやろ」と言った。
スーツ氏の手元に目をやると、少し大きめのわら半紙を持っていた。
なるほど、そこに何かメッセージを書いている。
近寄って読んでみると、汚い字で『けっこん 人生』と書いてあった。
Hさんのいるところに戻り、「『けっこん 人生』と書いてました。何ですか、あれ?」と聞くと、Hさんは「よくわからんけど、毎回書いとることが違うんよねえ」と言った。
Hさんの話では、そのスーツ氏は東大を卒業しているという。
「東大出て、何であんな格好してるんですか?」
「よくわからんけど、卒業した後に大企業に勤めよったらしいんやけど、ある時頭を打って、ああなったらしいよ」
頭を打ってから人生観が変わったとでも言うのだろうか。
それにしては、大企業のエリートから浮浪者への転身、えらく大きな変化である。

浮浪者と呼んでいいのかどうかわからないが、以前、黒崎駅前に汚い身なりの乞食が座っていた。
ムシロを敷き、その上でずっと土下座をしている。
彼の前には、空き缶が置いてあり、そこには小銭が入っていた。
昔のドラマやマンガなどで描かれていた、乞食スタイルそのものだった。
人の話によると、その乞食はいつも朝7時にやって来、夜7時に帰るらしい。
12時間労働である。
ある時友人が「あの乞食の後を付けていった人がおってねえ、その人から教えてもらったんやけど、あの乞食、けっこう金持ちらしいよ」と、教えてくれた。
何でもその乞食は、表通りでは腰を曲げ苦しそうにダラダラと歩いているが、裏通りに入ると突然背筋をピンと伸ばして歩くらしい。
彼の行き先は裏通りの駐車場だった。
彼は、そこに止めていた黒塗りのクラウンの鍵を開けた。
そして、車の中に置いてあった荷物取り出して、駐車場内にあるトイレの中に入っていった。
しばらく待っていると、トイレから一人の紳士が出てきた。
横顔を見ると、先ほどの乞食だった。
彼は車に乗り込み、その車を運転して颯爽と駐車場を出ていったということだった。
乞食やってクラウンが買えるのだ。
こうなれば乞食も立派な職業である。
ということは、乞食は浮浪者ではないということになる。
このへんの判断が難しい。

昔読んだ、本宮ひろしのマンガ『男一匹ガキ大将』で、戸川万吉が乞食をやったことがある。
最初はふんぞり返って座っていたが、だんだん謙虚になっていく。
そこで何かをつかんだ万吉は、大きな人間に成長していったのだ。
「乞食を3日やったらやめられない」という。
やはり乞食には、やったことがある人にしかわからない何かがあるのだろう。
長い人生、一度でいいから、何もかも投げ出して乞食をやるのも一興である。
だけど、ぼくには出来ないだろうなあ。



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