頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2002年11月

本の影響

ぼくはあまり人の影響は受けないのだが、本の影響は受けやすい。
したがって、その時その時に読んでいる本がわかれば、今のぼくの心境がわかるはずである。

小学2年から3年にかけて、ぼくは『おそ松くん』が好きだった。
その影響か、ぼくはその当時、いたずらばかりやっていた。
やることなすこと、すべてが赤塚ギャグだったと言ってもいい。

小学6年の頃、『いじわるばあさん』や野末陳平のナンセンス本を読んでいた。
そのせいで、ぼくはいじわる大好き人間になった。

中学1年の頃、『姿三四郎』を読んだのだ。
その影響で柔道を始めた。
柔道着を着ているだけで、気分は姿三四郎だった。

中学2年の頃、『葉隠』を読んだ。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」のくだりを読んで、いつか切腹してやろうと思い、ボールペンで切腹の真似事をやっていた。
またこの頃、『あしたのジョー』を真剣に読み始めた。
そのせいで、矢吹丈のセリフを数多く使うようになってしまった。

中学3年の頃、『空手バカ一代』を読んで、極真空手の通信教育を始めた。
しかし、お金が続かなかったので、3ヶ月でやめた。

高校1年の頃、『水滸伝』を読んで、豹子頭林冲に憧れる。
棒術でも習おうかと、武道具屋に行き棒を買うが、数ヶ月後に邪魔になったため薪にしてしまった。

予備校時代、三国志を読み、諸葛孔明に憧れる。
孔明は四柱推命や方位学に優れていたと書いていたので、さっそくそういう関係の本を買い込み勉強した。
その翌年、ぼくは仕事を探さなくてはならなくなった。
しかし、何をするのか、はっきりした目標がなかった。
そこで、例の方位学を活用することにした。
が、すべて外れだった。
おかげで、26回連続で面接に落ちるという、不名誉な記録を作ってしまった。
そのせいで、いまだに方位学を信じられないでいる。

こういう傾向は、社会に出てからも変わらなかった。

20代前半、よく人から「30歳くらいですか?」と聞かれたものだ。
その頃は、年の割に落ち着いて見えたらしい。
ちょうど、中国思想に凝っていた頃だ。

20代後半から30代前半にかけて、よく人から「哲学やってるでしょ」と言われたものだ。
その頃は、哲学者のような目をしていたらしい。
ちょうど、仏教思想に凝っていた頃だ。

30代半ば、ぼくの周りには女っ気がなかった。
いつも大勢の男がぼくを慕ってきた。
ちょうど、任侠ものに凝っていた頃だ。

今、よく人から「年の割に若いね」と言われる。
「情熱」などという言葉を口走っている。
ちょうど、少年マンガに凝っているところだ。

ぼくを知っている人がこの日記を読んだら、その日のぼくの雰囲気で、どんな本を読んでいるかがわかるだろう。



引っ越しで大忙しだ

酔っぱらいのおいちゃんだが、今日もひと騒動起こしたらしい。
何でも、女性客に絡んだらしく、「お前、出て行け!」などと暴言を吐いたそうだ。
それを聞いて店長が切れ、警察を呼んだ。
おいちゃんは女子トイレに籠城するなどして抵抗したが、最後は「ご用」になったという。

事件にいつも絡んでいるぼくだが、今日は休みだったため、この捕り物を見逃してしまった。
今頃、絞られているだろうが、案外おいちゃんのことだから、これも計算尽くだったのかもしれない。
留置所に入れられたら、雨露をしのげるわけだから。

さて、そんな騒ぎも知らず、今日ぼくは家で引っ越しの準備をしていた。
ホームページの、である。
別段変わったところはないのだが、最近更新してない「ライブ」と「怠慢歌集」はやめることにした。
また、掲示板は一つにする。
掲示板は、今までのように個別にレスが出来るタイプをやめることにした。
以前のように日記がスラスラと書けなくなったし、仕事の都合で、朝レスも出来ない状況である。
とりあえず、当分はレスなしタイプでいこうと思っている。

URLは、「http://beatles.to/shinta」でアクセスされている方に関しては、そのままでいいです。
http://www.ne.jp/asahi/m/shin/」の方に関しては、上記URLへの変更をお願いします。
ASAHIネットは12月いっぱいでやめますので、よろしくお願いします。

ところで、先日、携帯を買い換えた。
ドコモショップから、「504が出ましたよ」と連絡があったのだ。
ホームページに写真を載せたかったので、以前からカメラ付きが欲しいとは思っていた。
しかし、夏に発売したカメラ付きの251シリーズはiアプリが使えない。
ぼくにとって携帯は、iアプリがないと意味をなさない。
なぜiアプリにこだわるかというと、iアプリにはお気に入りのメールソフトがあるからだ。
そのため、夏に251が出た時には我慢した。
11月にカメラ付きのiアプリが出ると聞いたので、さっそくぼくは懇意のドコモショップに連絡し、予約しておいた。
ドコモから電話があったので、ぼくがすぐにドコモショップに向かったのは言うまでもない。

さて、ようやくカメラ付きを手に入れたのだから、これをさっそくホームページに反映していこうと思っている。
ということで、ホームページ引っ越し日の12月1日に写真第一弾をアップする予定だったのだが、ちょっとそれが難しい状況になってきた。
なぜなら、載せようと思っていた被写体がいなくなったからだ。
被写体は何でもよさそうなものだが、あるこだわりがあって、是非それを被写体にしたかった。
でも、しかたないか。
警察に捕まったんだから。



はーい

最近口癖になっているのが、「はーい」である。
これを低いだみ声で言うと、酔っぱらいのおいちゃんの物まねになる。
酔っぱらいのおいちゃんは、店長に優しくしてもらっているせいか、調子に乗っている。
大声で怒鳴るだけなら、かわいいほうである。
最近は他のお客さんからタバコをたかったりもするし、ひどい時には店の中で立小便をすることもある。
売場でタバコを吸われて以来、ぼくはおいちゃんに冷たく接するように心がけている。
それを感じたのか、おいちゃんのほうもぼくを避けるようになった。
それでも、おいちゃんの怒鳴り声が聞こえたら、他のお客さんに迷惑がかかるといけないので、素早くおいちゃんのいる場所に駆けつける。
そして、散々文句を言う。
「おいちゃん、店の中で大声出したらいけんち言うたやろ」
「お前に関係なかろうが。コラッ!」
「『コラッ』ちゃ、誰に言いよるんね」
「・・・」
ぼくが睨むと、おいちゃんはすぐに目をそらす。
そして、下を向いて、聞いてないふりをする。
「ここにおりたかったら静かにしとき。わかった?」
「わからん」
「わからん?」
「あ、わかった」
「ここはあんたの家じゃないんやけね。大きい声出すと、他のお客さんがびっくりするやろ?」
「何をっ! わしは若い頃、声を鍛えたんぞ」
「はいはい、そんなに大声が出したかったら、こんな狭いところじゃなくて、洞海湾に行って叫んできたらいいやん」
「何かコラッ!・・・。はーい」
「今度大声を出したら、つまみ出すけね」
「はーい」

その後しばらく様子を見ていると、おいちゃんは独り言を言い出した。
「おれは悪い人間じゃない。お、コラッ。・・・、はーい」
「ブツブツブツブツ。はーい」
一人で言って、一人でうなずいている。
いよいよ頭がおかしくなったのだろうか。

それから、ぼくはおいちゃんに文句を言うたびに、「はーい」と真似してやることにした。
おいちゃんは、きっとなめられていると思っているのだろう。
が、相変わらずぼくの顔を見ない。
顔をよそに向けて、言い返している。
「何で、おればかりに文句を言うか!おれは前科モンぞ、コラッ!」
そこですかさずぼくは「はーい」と言う。
「ふざけんなよ、コラァ!」
「はーい」

先日、ベンチの周りにポテトチップスの食べかすが散らばっていた。
お客さんが「そこ、例のおいちゃんが座ってましたよ」と教えてくれた。
その翌日、おいちゃんがベンチに座ってポテトチップスを食べているのを見つけた。
案の定、周りに食べかすが散らばっている。
「ポテトチップスを食べるなとは言わんけど、もう少しきれいに食べり。昨日おいちゃんの食べかすを掃除したんやけね」
「大将、わたしはですなあ。悪い人間じゃありませんけ」
「悪い人間やないんなら、ちゃんと自分の食べた後始末ぐらい片づけなね」
そう言ってぼくは、売場からホウキとチリトリを持ってきた。
そして、それをおいちゃんに突きつけ、「自分が散らかしたんやけ、ちゃんと自分で片づけり」
おいちゃんは相変わらずぼくの顔を見ず、「はーい」と言うと、ぼくからホウキを取り上げ、そのへんをはわきだした。
「やれば出来るやないね」
「わたしはきれい好きですけ」
「誰がきれい好きなんね」
「・・・。はーい」

今日、店内放送で店長から呼ばれた。
行ってみると、店長は一枚の紙をぼくに渡した。
その紙には、
『酔っぱらいのおじさんから、「山芋を買え」としつこくせまられました。こちらが「いりません」と言うと、大声で怒鳴り出し、子供が泣きだしました。ああいう人は出入り禁止にして下さい。店の人も、もっと強気に対応して下さい』
とお客さんの苦情が書かれていた。
ぼくがそれを見て、「『強気に対応して下さい』と言われても、他のお客さんの建前、言えませんよねえ」と言うと、店長も「そうよねえ。その人はいいかもしれんけど、知らないお客さんには良く映らんとねえ」と言う。
こちらとしては、おいちゃんが他のお客さんに絡み出したら、注意することしかできない。
その際、こちらから「いいかげんにしとけよ。出て行け!」などと言えるわけがない。
注意して言うことを聞かなかったら、後は警察を呼ぶだけだ。

夜、おいちゃんは、いつものようにベンチで寝ていた。
閉店になったので起こしたのだが、なかなか起きようとしない。
仕方なく、おいちゃんを店の外に引きずり出した。
後ろから脇を抱えて引っ張ったため、時々首が絞まったのだろう、「ウェー、何か、ウェー、コラッ、ウェー」とあえぎながら言っていた。
外に出すと、「コラッ!殺すぞ、コラッ!・・」と、一人でわめきだした。
しかし、誰も相手にしなかった。
おいちゃんは、またそこで寝ころんでしまった。
後で店長が、「外は寒いけ、あのままだと死んでしまうやろね。110番しとこ」と言って、電話をかけていた。

帰る時、ぼくはおいちゃんが寝ている横を通って行った。
パトカーが来ていた。
3人の警察官が対応していた。
おいちゃんが動こうとしないので、困っている様子だった。
まさか警察に向かって「殺すぞ、コラッ!」と言ってないとは思うが。



自分というもの

「しんたさん、いくつなんですか?」
若い人から、時々聞かれる。
以前は「チャゲアスや大竹しのぶと同い年」と言っていたのだが、最近はもっぱら「蓮池さんと同い年」と言っている。
「えーっ! 見えませんねえ。だって、顔が若いもん」
これはお世辞である。
いくら顔が若くたって、頭だけ見れば、実際の歳以上に見えるはずだ。

それはさておき、このサイトのタイトルや、日記に書いてあることを見れば、「この人、かなり歳を気にしているなあ」と思うかもしれない。
が、今までぼくは歳を気にしたことが、まったくない。
だから、お世辞とはいえ、若く見られるのだと勝手に思っている。
ぼくは、歳というものを、自分という活動の経過時間だと思っている。
生まれてから、ぼくはずっと自分をしている。
その意識の中で、45年がすぎただけのことだ。
その時その時、その場その場に、いつも自分がいる。
この先も、ぼくはずっと自分をしていくだけである。
言い換えれば、歳というのは、ぼくにとって、ただの飾りにすぎないのだ。
あくまでも主体は自分、飾りに振り回されるのは、まっぴらである。

ぼくは10代の頃、20歳になったら、自分の中で何かが変わると思っていた。
また、20歳になった日に、何かが変わったと思っていた。
だけど、何も変わらなかった。
19歳最後の時間に、ぼくはトイレの中にいた。
20歳最初の時間も、ぼくはトイレの中にいた。
20歳の変化をトイレの中で期待していたのだが、20歳の時間になったからといって、トイレの中の状況は何一つ変わらなかった。
ただそこには、日常が綿々と続いているだけで、そこには何も変わらない自分がいた。
それは、30歳になっても、40歳になっても同じことだった。
やっていることはいつも同じ。
目に触れるものを見、耳に触れることを聞き、肌に触れるものを感じ、心に触れることを思っているだけだ。
そこには確固たる自分が存在している。
そう、自分はいつも自分なのである。

ぼくは昔から、ポパイの『おれは、おれで、だからおれなのさ』というセリフが好きである。
天上天下唯我独尊の姿勢が実にいい。
この人も、おそらく歳を気にしてはいないだろう。
だから、ああいう爺臭い顔をしていても、オリーブを愛していけるのだろう。
願わくば、この先もぼくは歳を気にしない、歳に振り回されない人間でいたいものである。



緊張

そういえば、最近ギターを弾いてない。
前はカチカチだった右手の指先が、今はふにゃふにゃになっている。
指使いなどは体が覚えているだろうが、もはやそれに耐えられるだけの肉体ではなくなっているということか。
まあ、10分も弾いたら、もう押さえることは出来ないだろう。

そういえば、元憂歌団の内田勘太郎さんは、普段イメージトレーニングはやっているが、ギターには触れないと言っていた。
お客の前で弾かないと、集中できないのだそうだ。
そこがプロたるゆえんだろう。
ぼくのようなギターをかじっただけの人間は、誰もいないところでやる時は集中できるが、人を前にすると集中できなくなる。
大勢の人を前にするとなおさらで、心臓はバクバクし、ひどい時には吐き気さえ催してくる。

15年ほど前に、よく通っていたパブがあった。
生演奏でうたわせてくれる店だったのだが、そこで初めて歌をうたった時はひどかった。
イントロが始まったとたんに胃が痛くなった。
その痛みが緊張からきているのはすぐにわかった。
が、どうしようもない。
もう演奏は始まっている。
何とか1番を歌い上げた後に、気分が悪くなって座り込んでしまった。
その上、緊張をごまかすために大声を張り上げたので、のどまで痛くなっている。
カラオケならリモコン一つでキャンセルすることも出来るのだが、生演奏だとそう簡単にキャンセルするわけにはいかない。
「どうしよう」と思っている時だった。
ぼくの異変に気がついたバンドのボーカルの人が、2番を歌い出したのだ。
それで安心したのか、胃の痛みも治まってきた。
何とか立ち上がり、ボーカルの人といっしょに歌った。
その後、ぼくはどこでうたっても、あまり緊張することはなくなった。
が、立ってうたうのは相変わらず苦手である。
人の結婚式などでうたう場合などには、必ずギターを持っていき、それを口実に、座ってうたわせてもらうようにしている。

ところで、あのジョン・レノンは、ライブの前に吐いていたという。
まあ、繊細な神経の持ち主だったというから、あながち嘘だとは言えないだろう。
ビートルズがコンサートをやらなくなった原因は、きっとその辺にもあるのだろう。
しかし、ああいう人でも、緊張するのだろうか。
それを考えると、ぼくのような男が緊張しているなどというのは、人様に対して失礼なことである。
何も期待されていない人間が、勝手に緊張している姿というのは、滑稽この上もない。
いくら歌がうまいだの、ギターがうまいだの言われてチヤホヤされても、所詮は趣味の範疇でしかない。
本音のところは、誰も何も期待してないのだ。
緊張するだけ損である。



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