頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2002年10月

ADSLその後/やんぽう通信

「やはりおかしい」
繋がらなくなって、もう3日が経過してしまった。
このままでは埒が明かないので、もう一度NTTに連絡してみた。
とりあえず、116番にかけてみると、フレッツ・カスターマーズセンターがあるから、そちらに連絡してくれ、ということだった。
そちらのほうに連絡を取ってみると、「さっそく調べてみましょう」との返事。
数分後、NTTのほうから携帯に、折り返し電話が入った。
「ADSLが切れてますねえ。装置を取り替えますから、家に帰ってから繋がっているかどうか確認して下さい。もし、まだ繋がらなかったら連絡して下さい。24時間応対していますので」

家に帰ってから、さっそく繋いでみたが、相変わらず繋がらない。
もう一度カスタマーズセンターに連絡を取った。
「おかしいですねえ。こちらのモニターでは繋がっているようになっているのですが。一度モデムの電源を切ってみて下さい。その際パソコンも再起動させて下さい」
電話を切ってから、ぼくはカスタマーズセンターの人の言うとおりにやってみた。
繋がった。
繋がるのが当たり前なのだが、何日も繋がらなかったので、何か初めてパソコンを使うような、新鮮な気分になった。
その後、LANケーブルを換えたり、パソコンを移動したり、何かと忙しかった。
気がついたら、午前3時を過ぎていた。

ということで、今日は経過報告だけしか出来なかった。
それでは、あんまりなので、以下を付け加えました。


カトリ
「よし、あと一勝で日本一だ! 一人一人が役割をきっちりこなせば、優勝は間違いない」
選手
「おう!」
ハラ
「あのう・・。ぼくは何をしたらいいのかなあ?」
カトリ
「監督は、勝利監督インタビューの台本作りとか、胴上げのポーズの研究とか、いろいろとやることがあるでしょ? カメラがベンチを映したら呼びますから、じっとしといて下さい」
ハラ
「おう!」


10月26日
ツツミ「イハラ君、私は松坂で始まり、松坂で終わるようなシリーズを望んでいる」
イハラ「わかりました」
10月30日
ツツミ「よくやった」
イハラ「・・・」


アベシン
「ドイとカンは間抜けだ」
ドイ
「私は間抜けではない」
シマダ
「あんたは腑抜けだ」
カン
「ぼくも間抜けではない」
カン夫人
「でも、脇が甘い」
キ○タク
「ぼくは脇が臭い」
シズカ
「私は蓄膿かもしれない」


将軍様
「日本政府が引田天功を連れてきてくれたら、家族を永住帰国させる用意がある。(もう喜び組は飽きた)」
息子
「日本政府がおれの入国を認め、東京ディズニーランドに行かせてくれたら、親父を説得する用意がある。(もう東南アジアは飽きた)」
ヘギョンの父親
「日本のテレビがおれを出してくれたら、ヘギョンを日本に行かせる用意がある。(もう名前だけの存在には飽きた)」
赤十字会
「おれたちをホテルから出してくれたら、養老牛丼を食べに行く用意がある。(もう吉野家は飽きた)」


朝鮮中央放送大物女性アナウンサー
「シーンアイナル、キム・ジュオーンイルチドーチャトンジ、ノーランシャスイーブン、マロヌンクサラミ。オジャパメン、ナネガミヨジョソ。トラワヨプサンハンエ。アンニョンハシムニカ。カムサハムミダ!!」(怒)



おかしい

今日、NTTに電話をかけ、さっそく来てもらうことにした。
しかし、モデムに異常はないとのことだった。
とりあえず、LANケーブルを買って帰り、繋ぎ変えてみた。
が、相変わらず、ほとんど繋がらず、時々繋がる状態が続いている。

一つだけわかったことがある。
それは、モデムのLANランプが点いてない、つまり、今までのLANケーブルは死んでいたのだ。
まあ、今度いつ繋がるかわからないけれど、気長に状況を見ていこうと思っている。
まあ、いつか正常に戻るだろう。

正常。
ああ、今日は日朝交渉の最終日だった。
だいたい予想したとおりの展開・結果だったようだ。
あくまでも北は、「(日本がああまで言うから)仕方がない。正常化してやるか」というポーズをとりたいのだろう。

ところで、最近マスコミは肝心なことを隠しているんじゃないか、いや、言いたくても言えないことがあるんじゃないか、と思えることがある。
例の少女、ヘギョンのことである。
だいたいあの国で、15歳の小娘が一人で空港に行くというのがおかしい。
ただでさえ自由に歩行できない国なのに、北にとって重要な拠点であるピョンヤン空港に行けるはずがない。
小娘が一人で、「じいちゃん、ばあちゃんに会いに来ました」と言ってやってきたら、そこを警備している兵士に詰問され、追い返されるか、悪くすれば逮捕されるだろう。
しかし、彼女はちゃんと空港まで来ている。
国家の作戦だと言ってしまえばそれまでだが、それなら誰か付き添いがそこにいたはずである。
だが、それが誰であるかを政府やマスコミは言わない。
これはおかしい。

単独インタビューの時、彼女は中学5年生だと言った。
あの国では通常、中学生といえば、例の赤いスカーフみたいなのを首に巻いているはずである。
しかし、彼女は私服で出ていた。
あれも国家の作戦か?
北の人はみないい服を着ている、というふうに見せるための宣伝だったのか。
なぜそこをマスコミは突っ込まないのだ。
聞きたくても聞けない理由でもあるのだろうか。

さらに言えば、なぜあの子は「偉大なる将軍様の配慮で」という枕詞を使わなかったのだろうか?
この枕詞を言わなかったがために、収容所に送られた人がかなりの数いると聞いている。
あの子は北では、特に成分が悪いと言われている、日本人とのハーフである。
一発で収容所送りのはずである。
それなのに、なぜ彼女は言わないのだ?
日本では評判の悪い言葉だから、決して言うことのないように、と指導でも受けたのだろうか?
そこをマスコミは、なぜ突っ込まないのだ。
おかしいではないか。

実は、マスコミの人は、うすうす感じているのだ。
ヘギョンの出自を。
しかし、確証がないから言えないのだ。
それは、先週号の週刊新潮の記事を見てもわかる。
ああいう回りくどい言い方しか、今は出来ないのだろう。
なぜ、父親が出てこないのか。
ただ単に出せない人物からなのだろうか。
そうだったとしても、出ないと不自然だから、本物は出さないにしろ、替え玉を出してくるはずだ。
替え玉を使ったりすることくらい平気でやる国である。
しかし、それをしない。
なぜだ?
ぼくが思うに、その父親があまりにも恐れ多い人物だからだ。
もしそうだとすると、日本人は毎日ヘギョンの父親をテレビで見ていることになる。
メガネをかけた、あの人を。



繋がらん

昨日からADSLの繋がりが悪い。
そのせいで、昨日の日記の更新が今日になってしまった。
午前11時頃、ようやく繋がったので更新は出来たが、それ以外の時間帯はほとんど繋がらなかった。

何が悪いのかはわからない。
プロバイダを変えてみても同じであるから、プロバイダのせいでもない。
かといってパソコンが悪いせいでもない。
時々は繋がるのだ。
ということで、考えられるのはADSLしかない。
そういえば、うちのパートさんも繋がりが悪いと言っていた。
パートさんのところは、ヤフーBBである。
ぼくはフレッツだが、それはあくまでもプロバイダ的な違いだけで、使っている回線はどちらもNTTのものである。
しかし、NTTからは何も言ってきてはないし、サイトを調べても、その件については一言も触れてない。

困るのは今日の日記である。
どうかして更新したいと思っているのだが、その術がない。
ダイヤルアップで繋ごうにも、ADSLにした時点で、もはや必要ないと思いモデムをはずしてしまっている。
携帯で繋ぐという手もあるが、携帯に接続するケーブルを持ってない。
朝起きた時に繋がっていれば、問題はないのだが、もし繋がらなかった時は更新が夜になってしまう。
どうしよう。

こういう時、ノートだと便利だ。
携帯に接続するケーブルが、付属でついているものもある。
エディタに書いて、後は送信するだけだから、それほど通信費もかからないだろう。
「買ってしまおうか」
しかし、そうそう簡単に買えるような額ではない。
今の経済状態からすれば、余裕を持って買うまでには、あと3年はかかるだろう。
そうなれば、この日記は3年後に更新されることになる。
その頃には、ADSLはもう過去の産物になっているだろうから、3年後にこの日記を読んだ人は、「ADSL・・・? ああ、何年か前に流行ったなあ。しかし、何を今頃言ってるんだ」と思うに違いない。

さて、朝になった。
相変わらず繋がらない。
会社に着いたら、NTTのほうに問い合わせてみよう。
しかし、きっと「おかしいですねえ。そんなことはないはずですが。お宅のパソコンがおかしいんじゃないですか?」言うにきまっている。
いつもそうである。
ISDNを申し込んだ時は、半年近くも待たされた。
どうなっているのか、と問い合わせてみると、「おかしいですねえ。受け付けた形跡がないんですが」という返事だった。
さらに「調べてみます」と言うので、ぼくは「調べなくていいですから、今受け付けてください」と言った。
すると、「ああ、今からだと、開通は2ヶ月先になりますねえ」という返事だった。
結局、ISDNを申し込んでから開通するまで、8ヶ月を要してしまった。
またそういうことにならなければいいが・・・。
とにかく問題は、この日記をどうやって更新するかということだ。



ショッピング・カートの痛み

よくスーパーマーケットに行くと、ショッピング・カートが置いてある。
もちろん、うちの店にも置いてあるのだが、今日そのショッピング・カートを見て、ふと思ったことがある。
うちの店には、大・中・小と三つの種類のカートがある。
そのうち、大と中は子供を座らせることのできるタイプだ。
カゴの後部、ハンドルの下あたりに折りたたみの簡易イスがついている。
子供を乗せる場合は、その折たたみの部分を倒し、子供を後ろ向きに座らせる。
簡易イスには、うしろに倒れないように背もたれがついている。
また、ショッピング・カートから落ちないように、子供の股の部分に5cm幅のガードがついている。
子供はそのガードを股に挟んで、ショッピング・カートを押す人の前で足をぶらぶらしている格好だ。

さて、ぼくが気になったのは、子供の股の部分の5cm幅のガードだ。
女の子の場合は問題ない。
しかし、男の子の場合は問題だ。
もし、このカートが電線などを踏んだ場合のことを考えて欲しい。
電線の段差の刺激がショッピング・カートに伝わる。
当然その刺激はガードにも伝わる。
さらにガードに伝わった刺激は、股間に伝わる。
ああ、考えただけでも痛い。
よく子供は我慢できるなあ。

ぼくは小さい時から、よく股間部分を打って、死ぬ思いをしてきた人間である。
覚えているのは、小学校5年の頃、家の前の広場で野球をしていた時だった。
ぼくはその時ピッチャーをやっていたのだが、何回の守備の時だったか、相手チームのバッターが、ピッチャー返しをやってくれた。
投げた次の瞬間、その球は勢いよくぼくの玉に当たった。
内野安打である。
ぼくはタイムをとり、しばらくの間声も出ず、必死に痛みをこらえていた。
こういう時、なぜか「大丈夫か?」などと声をかける奴はいない。
決まってみんな笑うのだ。
当たったほうは死ぬ思いをしているのに、よく笑えるものだ。

プロ野球でも、キャッチャーの股間に球が当たり、苦しむ場面を目にすることがある。
トレーナーが駆けつけ手当てをしているのだが、その間ベンチは心配しているのかといえば、そうではなく、監督以下ニヤニヤと笑っている。
「あらー、球が当たった。あれ痛いんだよなあ」
などと言って、思い出話でもしているのかもしれない。

柔道に『内股』という技がある。
相手の内股を足ですくう技である。
しかし、ヘタクソな人はこの技を、股間を蹴上げる技だと思っている。
当然股間直撃である。
ぼくの相手はヘタクソしかいなかったのか、よくこの技で泣かされた。
中には、かかとで蹴上げる奴もいた。
これはたまらなかった。
内出血してしまい、1週間ほど患部は青黒くなっていた。
下着が擦っただけでも痛く、この痛みが引くまで、しばらく変な歩き方をしたものだった。

一度柔道の団体戦の時に、蹴上げられたことがある。
この時も痛かった。
審判が苦しんでいるぼくのところに寄って来た。
「大丈夫か」と聞いてくるのかと思いきや、なんと彼のはいた言葉は、「はい、飛んで」だった。
もちろん、股間を打った時は、飛ぶことがいいのはわかっている。
しかし、声も出ず、体を動かすことさえ苦痛な状況で、すぐさま飛べるものではない。
ぼくは手を上げ、「待ってくれ」というゼスチャーをし、痛みが回復するまで必死にこらえていた。
もちろん、ぼくのチームのメンバーは、笑っていた。

さて、ショッピング・カートに話を戻すが、だいたいショッピング・カートにイスをつけること自体が間違っている。
子供がいると、いろいろとわずらわしいという理由から、そういう便利なものを開発し、利用者も重宝がるのだろう。
しかし、これでは、痛みに耐える人間は育成できても、自分を守れる人間は育たない。
鍛えて鍛えられる場所ではないので、とにかくとっさによけるという反射神経を養うことが必要になる。
そのためには、子供を歩かせることが一番だ。
歩くことで、人は自ずと自分を守る術を身につける。
歩かせると子供が疲れるし私も疲れる、座らせると子供も楽だし私も楽だ、そういうことが結果的には虐待に繋がるということを知っておくべきである。



飲み会 その2

「あのう、今の歌、何という歌ですか?」
「黄昏のビギン」
それでぼくはピンと来た。
中森明菜の『歌姫Ⅱ』というアルバムに入っている歌じゃないか。
「誰の歌ですか?」
「水原弘です」
「中森明菜も歌ってますよ」
「ほう、明菜が」
「いい歌ですね」
「うん」

そういう話をしている時、ママさんがぼくの席にやってきた。
そして言った。
「あの人ね、前は歌手やったんよ」
「へえ」
「ほらここにも名前があるよ」
そう言って、ママさんはぼくにカラオケのメニューを見せた。
「ほら、ここ」
そこには、ぼくが聞いたことのない名前が載っていた。
『K.J』
「へえ」と答えておいた。
もしかしたら偽者かもしれない。
ちょっと古い歌手だし、一般には顔も知られてないような人だから、地方に行けばごまかせる。
元ヴィレッジ・シンガーズの清水道夫の例もあることだし。
しかし、そのおっさんが本人でも偽者でも、ぼくにはどうでもいいことだった。

ぼくのグループが仕事の話などを始めたので、ぼくはその『K.J』なる歌手のおっさんの横に移動した。
「歌手だったらしいですね」
「昔ですね」
「歌手なら先生ですね。いよっ、先生!」

「先生はどちらの出身ですか?」
「北海道です」
「東京に出て歌手になったんですか?」
「まあ」
「それから黒崎に来たんですか?」
「いや、博多に5年いましてねえ」
「で、黒崎に」
「いろいろありましてねえ」
「先生も苦労されたんですねえ」
ぼくが歌手のおっさんのことを「先生」と呼んだので、気分をよくしたのだろう。
「まあ、一杯やらんですか」と、ぼくに酒を勧めてきた。
その後もぼくは「先生、先生」と持ち上げたので、歌手のおっさんは完全にぼくを気に入ってしまった。
カウンターの中に入り、勝手に酒をついでは、ぼくに振舞った。
しかし、質の悪い冷酒だった。
これで、ビール、焼酎、ウィスキー、日本酒、と全部の酒を制覇したことになった。
もちろん、今日頭が痛かったのも、チャンポンで飲んだせいだろう。

帰るまでずっと、歌手のおっさんと話をしていた。
歌手のおっさんは話の中で、有名な歌手の名前を連発していた。
みな懇意らしい。

店を出たのは2時を過ぎていた。
タクシーで帰り、すぐに布団の中にもぐった。
日記は朝起きてから書いた。
会社に行く前に風呂に入ったのだが、頭の痛みはそれで引いた。
しかし、酒はまだ抜けなかった。
二日酔いというよりも、まだ酔っ払っていた。
おそらく、歌手のおっさんからもらった冷酒が効いたのだろう。
この酔いは午前中一杯続いた。
立っているのが辛く、歩くとフラフラした。
きっと周りの人は酒臭かっただろう。

しかし考えてみると、その状態で車を運転して行ったのだから、恐ろしいことである。
運転中に、並走車や対向車が、こちらに向かってくるような錯覚を何度か起こした。
会社に着いた時、よく死ななかったものだ、と一人で感激していたほどだった。
けっこうスピードを出していたから、ちょっとした運転ミスで大惨事になっていたかもしれない。
もしそうなっていたら、「また、福岡県の事故件数が増えた」と、福岡県公安委員会のおっさんを嘆かせることになる。

ところで、昨日飲んだグループとは、年内に何度か飲む約束をした。
次回は、ぼくの休みの前の日にして欲しいものだ。



記事検索
RSS
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ