頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2002年08月

しろげしんたが選ぶ洋楽ベスト20(15位~12位)

この洋楽ベスト20を選曲するに当たって、手持ちのCDを聴きなおしてみた。
どちらかというと、ぼくは洋楽よりも、邦楽のCDのほうを多く持っている。
邦楽は、好きなアーティストのアルバムを全部集めるからだ。
逆に、嫌いなアーティストは、いかにいい歌があろうとも、買う気がしない。
一方、洋楽の場合はそういうことがない。
アーティストよりも、その歌のほうに興味があるからだ。
だから、邦楽のように「あの歌手は好かんけ、聴かんわい」ということがない。
興味の赴くままに、CDを買い揃えていく。
しかし洋楽は、誰が歌っているのか、また曲名すらわからないものが多くある。
そういうわけで、自分の知識だけで買うので、その量も当然少なくなっている。
このベスト20も、自分の知識だけで選んだものである。
当然、選曲に偏りがあるのは否めない。

第15位
『オールド・デキシー・ダウン』ザ・バンド
むかし、何かのドラマでこの歌がかかっていた。
その時、ぼくは「何か聴いたことがあるなあ」と思いながら聴いていた。
それもそのはず、ぼくはこの歌の入ったアルバムを持っていたのだ。
ただ、そのアルバムは、このザ・バンドのものではなく、ボブ・ディランの『偉大なる復活』というアルバムだった。
このアルバムの構成は、ディラン→バンド→ディランというふうになっており、ぼくはこのアルバムを聴く時は、いつもバンドの部分を飛ばして聴いていた。
極端に言えば、ザ・バンドなんてどうでもよかったのだ。
しかし、先に書いたドラマを見て、これはいい歌だと思った。
さっそくバンドのアルバムを買い求めた。
その時期は、ちょうど『ラスト・ワルツ』というアルバムが出た頃だった。

第14位
『アローン・アゲイン』ギルバート・オサリバン
自分でもびっくりしているが、「え、この曲が14位?」という感じである。
とりあえず好きな曲を羅列していって、好きな歌の順に並べていった。
その結果が14位である。
この歌以上に、好きな歌が13曲もある、ということである。
この曲に関する思い出は、以前書いたことがあるので省くことにする。
明日から9月、いよいよ秋になる。
秋はこの歌が似合う季節でもある。

第13位
『Desperado』イーグルス
オリジナルのイーグルスの歌を聴いたのは、5,6年前のことである。
友人がイーグルスのCDを持っていたので、MDに録音してもらった。
その中にこの曲が入っていた。
けだるい曲ではあるが、何か魂が揺すぶられるような感銘を受けた。
この歌は、カーペンターズも歌っているが、なんとなく趣きが違う。
このけだるさは男性の声のほうが、よりいい。
なぜなら、イーグルスのほうが、より「ならず者」臭いからだ。
ちなみに、イーグルスといえば、何といっても『ホテル・カリフォルニア』だが、ぼくはこの歌はあまり好きではない。
というより、いい思い出を持ってないといったほうがいいだろう。
聞いた時代がよくなかった。
その頃ぼくは浪人中で、いろいろ嫌な思いをしていたのだ。

第12位
『ジェラス・ガイ』ジョン・レノン
この曲はアルバム『イマジン』に入っているが、アルバムタイトルにもなっている『イマジン』はあまり好きではない。
もちろん、世間一般では『イマジン』のほうが有名である。
しかし、ぼくはどうも好きになれないのだ。
このアルバムを聴いたのは、このアルバムが発売してから4年後、高校3年の頃である。
それまであまりジョン・レノンには興味がなかった。
ある時、友人がこのアルバムを録音してきてくれた。
「ジョンに興味ないやろうけど、このアルバムはいいけ、聴いてみて」
テープをもらってから、すぐに聴いたわけではなかった。
聴いたのは数日後だった。
重苦しいピアノで始まる『イマジン』から、「こいつアホか」と思った『オー・ヨーコ』まで一気に聴いた。
その中で一番気に入った曲が、この『ジェラス・ガイ』だったわけだ。
「何で、イマジンのほうが名曲と言われるんだろう」という思いにかられたものだった。
この歌を一度聴いて、もう一度聴いて、さらに聴いて、と何度も聴いていくうちに、だんだんこの歌が好きになっていった。
そうなると、テープでしか持ってないのが気に入らない。
さっそくレコードを買い求めた。
家に帰ってから、レコードを開けてみると、一枚の写真が入っていた。
それを見て笑ってしまった。
ぼくは、ポール・マッカートニーの『RAM』のジャケットを知っていたからだ。
それ以来、このいたずら好きのおっさんが好きになった。
さて、歌のほうだが、ぼくは今でもこの歌を、ビートルズ時代を含めたジョンの作品の中で、最高の歌だと思っている。
こんなに素直に心情を語っている歌は他にないだろう。
しかし、その対象がオノ・ヨーコというのもねえ。

おお、もうこんなに書いてしまった。
今日は11位まで書こうと思ったのだが、しかたない、今日はここまでで打ち止めにしておこう。



しろげしんたが選ぶ洋楽ベスト20(20位~16位)

やっと、この企画を始める気になった。
というより、今日は他のネタを考えつかなかったのだ。
まあ、しばらくこの企画にお付き合い下さい。

第20位
『テネシー・ワルツ』パティ・ペイジ
ぼくは物心ついたときから、この曲をハーモニカで吹いていた。
聴いて覚えたというより、体で覚えた一曲である。
しかし、そうは言いうものの、パティ・ペイジを聴いたのは、ずっと後のことだった。
オールデイズのアルバムを買った時に、この歌も入っていたのだ。
それについての印象は、何もない。

第19位
『春がいっぱい』シャドウズ
高校の頃、春になると、ラジオ等で必ずかかっていた曲だった。
最近はあまり聞くことがなくなったが、こういう名曲はどんどんかけてもらいたいものである。
しかしこの曲、『春がいっぱい』というタイトルなのだが、どういうわけか、ぼくの持っているこの曲のイメージは、曇天なのだ。
ちょうど曇った日に、由布院の街並みを歩くようなイメージなのである。
なぜそういうイメージを持っているのかはわからないが。

第18位
『歌にたくして』ジム・クロウチ
高校生の頃、FM放送を聴いている時に、ちょっと印象に残る歌がかかっていた。
アンディ・ウィリアムスの歌う『歌にたくして』だった。
その時DJがこの歌の説明をしていたのだが、ジム・クロウチという聞いたことのない名前の人がオリジナルを歌っているということだった。
その人は、1973年に飛行機事故で死亡したということも、その時に聞いた。
さっそくぼくはレコード店に行って、『美しすぎる遺作』というアルバムを買い求めた。
アンディ・ウィリアムスのように、抜けるような声ではなく、鼻にかかった粘りのある声だった。
その声が、この歌に実にマッチしている。
アコースティックギターで始まるイントロが、すんなりと入ってくる。
これがまたいい。

第17位
『煙が目にしみる』ザ・プラターズ
この曲は、スタンダードナンバーのアルバムで知った曲である。
インストルメントばかりで聴いていたので、プラターズ版を聴いた時には、ちょっとした驚きがあった。
初めてプラターズ版を聴いたのは、映画『オールウエイズ』を見た時だった。
『ゴースト』の元になったような映画の中に、頻繁にこの歌が流れていた。
「え、この曲、歌詞があったんか」と思い、映画はそっちのけで、歌ばかり聴いていたのを覚えている。

第16位
『スタンド・バイ・ミー』ベン・E・キング
この歌もオリジナルを聴いたのは、ずっと後のことである。
初めて耳にしたのは、ジョン・レノンが歌ったものだった。
『ロックン・ロール』というアルバムが発売された頃、ラジオではこの曲と『ビー・バップ・ルーラ』がよくかかっていた。
「ぜひオリジナルを聴いてみたいものだ」と思っていたが、なかなかその望みは叶えられなかった。
当時のラジオ番組は洋楽全盛であったにもかかわらず、新曲を競ってかけていたので、オールデイズなどの特集を組んでいるような番組はなかった。
レコードも探してみたのだが、どこを探しても、ベン・E・キングという歌手のレコードは置いてなかった。
レコードの時代が終わり、CDの時代が到来しても、しばらくベン・E・キングなる人の『スタンド・バイ・ミー』はCD化されなかった。
ようやくCD化されたのが、例の映画『スタンド・バイ・ミー』のサントラ盤であった。
「ああ、こんな感じの歌だったのか」と何度も聴いているうちに、好きになっていった。
この歌の歌詞は、実に単純なものである。
要は、「どんなことがあっても、あんたにそばにいてほしい」、というのである。
今考えたら、介護の歌でもあるわけだ。
こういう単純な詩は、単純な演奏に乗ると、妙に輝きを増してくる。
ちなみに、この歌は、かつてぼくが歌える数少ない洋楽の一つだった。
カラオケでも何度か歌ったことがある。
しかし、最近は歌ってないので、舌が回らないと思う。



恋愛に勝者なし

「君がほしい」(1975・8・29)

朝焼けが差し込み 今日の運命を決める朝に
灰色がかった空に 薄く日が差す昼に
カラスが鳴き叫び こうもりが群がる夜に
君がほしい

みんなが美しいと言う花に そっぽを向く時
みんなが素晴らしいと言う 風に向かって歩く時
みんなが この時間がにせものだと思う時
君がほしい

 組み合った手は すべてを引きつけ
 その中に君がいることも たしかだろう
 君にすべてを向けたい だけど心は遠くに
 君がほしい 君がほしい 君がほしい

さっきからの夜が 影を映し出す
そこで君が 今夜のありかを確かめる
「ここから先は もう何も見えないみたい」
君がほしい

草むらの陰に隠れ じっと息を止めると
どこからともなく 光の声がする
「話が違うじゃないの あんたうそつきね」
君がほしい

 組み合った手は すべてを引きつけ
 その中に君がいることも たしかだろう
 君にすべてを向けたい だけど心は遠くに
 君がほしい 君がほしい 君がほしい


高校3年の時に作った詩だ。
この頃、ぼくは深い恋をしていた。
その人とは結ばれないと、本能的にはわかっていたのだが、それでも彼女に対する激しい感情は抑えることが出来なかった。
その感情が、詩となり、歌になったと言っても過言ではない。
結局、ぼくはその人のことを、高校1年の時から8年間思い続けた。
途中、他に好きになった人がいないではないが、その人への想いには勝てなかった。
不器用なぼくのことである。
その人とは、もちろん片思いのままで終わった。
終わったと自覚したのは、その人が結婚したというのを聞いた時だった。
想っては諦め、諦めては想い、の8年間だった。
その8年間の恋を、ぼくは次の詩で締めくくった。


「思い出に恋をして」(1981)

メルヘンの世界に恋しては
ため息をつきながら扉を右へ
行き着くところもなくただひたすら
影が見える公園へと歩いて

帽子をかぶった小さな子供たち
楽しそうに何かささやいて
ひとつふたつパラソル振って
空の中へ向かっていく

明日は晴れるといいのにね
小さな雲に写った夕焼けが
君たちのしぐさを見守っているよ
そのうちにパラソルも消えて

悲しいのは今じゃない
思い出にこだわるぼくなんだ
気がついてみると君を忘れて
ただつまらぬ思い出に恋をして


また、数年後、その8年間を振り返ってもみた。


「プラトニック」(1986)

今 君がどこにいて何をしてるかなんて
ぼくには関心ないことなんだよ
もっと大切なことは 君を心の中から
離したくない それだけなんだよ

 いつも、君はぼくの中にいる
 もっと、素敵な笑顔見せてくれ
 早く、もっと早くぼくの前に
 明るい風を吹かせてくれ、いいね

もう 時を急ぐことはない
ぼくは 時を超えているんだから
今 君がどんなに変わっていても
吹きすぎる風は ぼくにやさしい

 いつも、君はぼくの中にいる
 もっと、素敵な笑顔見せてくれ
 早く、もっと早くぼくの前に
 明るい風を吹かせてくれ、いいね


悲しいものである。
人に恋をするということは、病気になるということだ、とぼくはこの詩を書いた時につくづく思った。
まあ、病気ではないにしろ、まともな精神状態でないことはたしかだ。
片思いでさえ、こんなふうなのだから、相思相愛であったとしたら、かなり重症である。
それは目を見たらわかる。
何かトロンとしているものだ。
自分を見失っている証拠だろう。

以前、ある人に彼女の話をした時、「結局、おまえは今のだんなに負けたんだな」と言われた。
しかし、ぼくが好きだということが、その人にうまく伝わってないのに、「だんなに負けた」もないものだ。
そういえば、よく恋は勝ち取るものだと言うが、ぼくはそれは間違っていると思う。
いったい何を基準に恋の成就と言うのだろう。
セックスまで至ることが成就なのか?
結婚に至ることが成就なのか?
心中することが成就なのか?
どうもはっきりしない。
基準のはっきりしないものに、勝ち負けなんかあるはずないじゃないか。
だいたい、病気の度合いを競って、何になると言うのだろう。
どんなに深い恋でも、いつかは消え去ってしまうものだ。
そんな一過性の病気のようなものに、優劣をつけること自体おかしい。
つまり、恋愛に勝者なし、ということである。

ああ、ぼくは恋愛の勝者を求めていたのかなあ。
であれば、片思いより、そちらのほうが悲しい。



あしたのために

ジャブ
-攻撃の突破口を開くため、あるいは敵の出足を止めるため、左パンチを小刻みに打つこと。その際ひじを、左のわき腹の下から離さぬ心がまえで、やや内側を狙い、えぐりこむように打つべし。正確なジャブ3発に続く右パンチは、その威力を3倍にするものなり-

「あしたのジョー」ファンなら、もちろん上の文句を知っているに違いない。
丹下段平が、鑑別所にいる矢吹丈に宛てた、ハガキによるボクシングの通信教育第一弾「あしたのために その一」である。
「打つベーし、打つベーし、打つベーし」と言って、鑑別所のボスであった西を殴る場面は、実に痛快だった。

なぜまた「あしたのジョー」かというと、実はぼくは数週間前から、インターネットでアニメ「あしたのジョー」を見ているのだ。
ぼくは、「あしたのジョー」はマンガでは何度も読んだことがあるのだが、アニメは1度しか見たことがない。
それもリアルタイムに見ていた。
中学生の頃だったから、もはや記憶は薄れている。
しかも、当時はビデオなどなかったので、全部見たわけではない。
あの力石徹との闘いで、ジョーが力石からアッパーカットを食らい敗北したシーン、またその後の、あまりにも有名な力石との握手シーンを見逃している。
あの力石の倒れるシーンは、友だちの演技でしか見たことがない。
いつか全編通して見たいと思っていたのだが、ビデオやLDで全巻揃えるのは、経済的に無理があった。

ところが、最近「ジョー」をインターネットでやっているという情報を得、さっそくそこの会員になった。
そういうわけで、毎日何話かずつ「ジョー」を見ているのだ。

アニメ版とはいえ、セリフはほとんどマンガといっしょである。
「あしたのジョー」というマンガは、少年誌に掲載されていたわりには、言葉が難しく、また哲学的なことを書いた場所も多々見受けられる。
それでも、多くのバカ少年に受けていたのは、その奥に当時の風潮であった自由への憧れがあったからなのかもしれない。
何者にも縛られることなく、ただ己の本能の赴くままに突っ走って行くジョーの姿に感銘を受けたのだろう。
その後、ぼくは吉田拓郎という人に出会うのだが、拓郎にも同じような感銘を受けたのを覚えている。
ぼくが拓郎を好きになったのは、彼の中に「あしたのジョー」を見たからかもしれない。

さて、ジョーには「不可能を可能にする、天性の野生児」という形容があるが、あの言葉が最近ようやくわかってきた。
ジョーを解くキーワードの一つに、「完全燃焼」という言葉がある。
結局ジョーは最後に「真っ白な灰」になるのであるが、彼にはその真っ白になるための起爆剤が必要だった。
その起爆剤こそが、力石であり、カーロスであり、金竜飛であり、ホセ・メンドーサだった。
最終的に彼は、勝ちへの執念より、「完全燃焼」を選んだ。
「完全燃焼」するために、どうしても必要なものがある。
それは集中力である。
人間の持つ集中力というのは、どんな不可能でも可能にできるのである。
それは、数学が苦手だったぼくが、九大生でも解けんと言われた問題を解いたこと、また初めて卓球をした時、卓球部の人間に勝ったことで経験している。
とにかく、あの時は我ながら凄い集中力が出ていたと思う。
何か普通と違うのである。
眉間から、それまでに味わったこともない不思議な気が出て、体がフワフワしていたのを覚えている。
おそらく、ジョーで言う「完全燃焼」というのも、こんな感じではないだろうか。
そういう状態の時、人は不可能を可能に出来る。
ジョーという人は、それを人為ではなく、本能で実現した人である。

ぼくは今、集中力という観点から「あしたのジョー」を見ている。
そういう目で人生を見るのも、また楽しいものである。
信長も、武蔵も、きっと集中力の優れた人だったのだろう。
では、その集中力を高める方法はあるのだろうか?
答は「イエス」である。
ではどうやって、集中力を高めるのか?
座禅を組むのがいいのか?
念仏を唱えるのがいいのか?
滝に打たれるのがいいのか?
断食すべきなのか?
たしかにそういう方法もあるだろう。
しかし、そんな悠長なことをしていたら、とっさの時に何も出来ない。
すべては王陽明の言う「事上磨錬」
つまり、実践で鍛えていくのだ。
そして、その時の心構えこそが、「えぐりこむように、打つべし」である。



1月6日の日記の続き

最近、休みが取れないでいる。
基本的に火曜日と金曜日が休みなのだが、人員削減の結果、どうもローテーションがうまくいかない。
先週の金曜日は商品の入荷日のため午前中出勤になった。
今日は今日で、昼から会議だった。
昔は休みも取らずに頑張れたのだが、40歳を超えたころから、これが苦痛になった。
肉体的には別に何ということはない。
ただ寝不足が辛い、ということだけである。
問題は精神的なものにある。
目が覚めてから、「今日は休みだ」と思うのと、「今日も仕事だ」と思うのは、全然違う。
雨が降っていても「休みだ」と思うのは、晴れているがごとく感じる。
逆に晴れていても「仕事だ」と思うのは、どんよりと雲が垂れ下がったように感じる。
まあ、何にしろ、今まであった「日常」というものを崩されるということが、こんなにも苦痛なものなのか、と思い知らされる日々である。

愚痴はここまでにしておこう。
今日のテーマは、今年の1月6日の日記に、店の屋上で血を流して倒れていたおっさんのことを書いたが、その続編である。
その休日出勤となった先週の金曜日。
午前11時頃だった。
9時前に出勤していたぼくは、ようやく検品作業を終え、家に帰ろうとした時だった。
一人の品のいい年配の男の人が「店長さんいますか」と言って、事務所に入ってきた。
ぼくは店内放送で店長を呼んだ。
店長とその男性は、倉庫でしばらく話をしていたが、「その件は私は知りません」と言う店長の声が聞こえた。
そして店長は「しんたさん」とぼくを呼んだ。
「1月に屋上で人が倒れとった話を知っとるかねえ」
「ああ、知ってますよ」
「誰が担当したんかねえ」
「一応、第一発見者は、ぼくということになっていますけど」
「ちょうどよかった。この方が話があるらしいよ」
そう言って店長はその場を離れた。
前にも話したが、店長はこの8月に転勤したばかりで、そんな事件があったことは知らない。

さっそくその男性は、ぼくに名刺を見せた。
名刺に書いてある社名では、その仕事の内容がわからなかったが、その男性の説明で、興信所みたいな会社ということがわかった。
その人は、倒れた男性の調査をしにきたのだ。
その人が調査を始める前に、ぼくは「あの人どうなったんですか?」と尋ねた。
「救急車で病院に運ばれた後、しばらく意識があったんですが、その後意識がなくなって、植物状態になりました。
そして先々月、6月に急性肺炎で亡くなりました」
「ああ、亡くなったんですか」
調査が始まった。
「そのときの状況を教えて下さい」
ぼくは、あの日の日記に書いていたことを、思い出しながら言った。
「倒れていたのはどこですか?」
ぼくは屋上までその人を連れて行き、その場所を教えた。
「どこに血が流れていたのですか?」
「この辺一帯です」
「小便をしていたらしいですね?」
「それはこの壁です」
「吐いた跡もあったとか」
「うーん、吐いてたのは覚えてますけど、場所まではよく覚えていませんねえ」
20分ほど彼はぼくに質問したのだが、変に吐いたことに執着しているようだった。
「飲んでたんですか?」
「さあ、どうだったか」
後で思い出したのだが、そのときの状況は、この日記に詳しく書いていたのだった。
そう、おっさんは酒気帯び運転で店まで来ていたのだ。
あいまいな説明をするよりも、このサイトを教えてやればよかった。

そういえば、死んだおっさんには娘がいた。
おそらく、おっさんが死んだので保険金を請求したのだろうが、現金なものである。
この親子は絶縁状態と言えるほど、仲が悪かったらしい。
警察が身元を確認するために娘を呼んだ時も、娘は行くのを拒んだという。
怪我をすると他人で、死ぬと親子か。
世知辛い世の中である。

ぼくはこの調査のおかげで、家に帰り着いたのは、午後1時を過ぎていた。
仕事中なら、別に1時間や2時間は苦にならない。
しかし、休みの日の1時間は貴重である。
以前はそこまで時間には執着しなかったのだが。
そう思うようになったのは、仕事のために休日を利用しなくてはならなくなったからだ。
この無駄になった時間を、娘に請求しようかなあ。



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