頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2002年07月

遠い記憶

午前中にNTTの工事があるというので、今日は出勤時間を遅らせた。
通常より1時間半遅い出勤となった。
天気予報では、今日は一日中晴マークがついていたのだが、朝から時々雨が降ったりしていた。
灰色のような青いような、なんとなくすっきりしない空の色が、普段とは違った街の姿をかもし出していた。
「そういえば、こういう天気は以前にもあったなあ」
などと思いながら、ぼくは車を走らせていた。
ちょっとしたことが、忘れていた過去を思い出すきっかけとなることがある。
それは、音楽や、ノートの切れ端や、その時の心象や行動、テレビや映画の一コマだったりする。
今日の起爆剤は空の色だった。
「さて、いつのことだったか?」
遠い記憶であることは間違いないのだが。
今日はそのことばかり考えていた。

その答が出たのは、夜家に帰ってからだった。
保育園に行っていた頃だったか、それ以前だったか、肩を脱臼したことがある。
テレビを見ながら寝ていた時、「寝床に行きなさい」と母親に起こされた。
ぼくが何度起こしても起きないので、母はぼくの手を引っ張って起こそうとした。
その時だった。
「グキッ!」という鈍い音がした。
その瞬間、肩に鋭い痛みが走った。
それまで味わったことのない痛みだった。
当初、筋をたがえたくらいにしか思われてなく、母は「寝たら治るよ」などと言っていた。
痛みに耐えて、何とかその日は眠りに就いた。
翌朝起きてみると、相変わらず痛みは引かず、肩はダラーンと垂れ下がった状態だった。
しかたなく病院に行くことになった。
朝早く、近くの済生会病院に行ったのだが、「ここは午前9時からじゃないと開きません」ということで、1時間近く待たされることになった。
しかし、あまりの痛みに我慢が出来ず、そこを出て他の病院をあたることにした。
「そういえば、黒崎の車庫前に『ほねつぎ道場』があったねえ」と、親戚のおばちゃんが言った。
「じゃあ、そこに行こう」ということになり、当時あったチンチン電車に乗って、その「ほねつぎ道場」へと向かった。

電車を降りて、少し歩いたところに薄暗い路地があった。
その路地の片隅に、「ほねつぎ道場」はあった。
その道場に着いてしばらくすると、柔道着を着た人がぼくの前に現れた。
その人はぼくの肩を触ったり、腕を回したりした。
そして、「ああ、はずれてますね」とこともなげに言った。
「ぼく、ちょっと痛いけど我慢してね」
彼はそう言うなり、ぼくの腕を軽く引っ張った。
かなり痛かった。
「はい、力を抜いて」
そう言われても、こちらには昨夜の恐怖心がある。
腕を引っ張られると抵抗してしまう。
その人はかなり手を焼いていたようだった。
しかし、何度か腕を回したり引っ張ったりしているうちに、こちらも抵抗しなくなってきた。
そのタイミングを見計らって、彼はぼくの肩を抑え、腕をグッと押し込んだ。
そして「腕をまわしてみて」と言った。
ぼくは恐る恐る腕を回してみた。
すると、先ほどまでの痛みがうそのようになくなっていた。
この間約5分であった。
しかし、ぼくにはかなり時間がかかったように思えた。

ほねつぎ道場から出て、その日はじめて空を見た。
家を出た時は、痛みで空を見るほどの余裕がなかったのだ。
灰色のような青いような、なんともすっきりしない空の色。
ちょうど今日の午前中のような天気だった。
あのときの痛みもなんとなく覚えている。
そういえば、今朝も肩が痛かった。
ま、あの時は今のような鈍い痛みではなかったが。



気に食わん

世の中気に食わんことだらけである。
北九州に、石原軍団御用達の明太子屋がある。
実際に行ったことはないが、テレビで見る限りでは、店内に石原軍団の写真を貼っていた。
そういうことが売りの店らしい。
会社の行き帰りに、この店の看板をよく目にする。
ぼくはその看板を見る時、いつも思うことがある。
それは、「だから何だと言うのだ!」ということだ。
石原軍団の御用達なら、明太子はおいしいのか?
石原軍団の舌は絶対なのか?
ちなみに、ぼくはそこの明太子を食べたことはない。
仮に今から明太子を食べようとした場合、「石原軍団御用達」という言葉だけで、明太子選択の判断材料にするようなことを、ぼくはしないだろう。
だいたい、有名人がよく買っているというのを、宣伝に使うこと自体おかしいのだ。
「うちは、あの石原軍団がよく利用している明太子屋だからおいしいのだ」とでも言いたげな宣伝に不快感を禁じえない。

うちの近くにあるレストランのメニューに、『天皇陛下が召し上がったカレーカレーロワイヤル』なるものがある。
別に、「その時天皇陛下は、この味にいたく感動された」とコメントがついているわけではない。
ただ「食べた」と書いているだけである。
もしかしたら、天皇はその時「まずい」と思ったのかもしれない。
しかし、こういう書き方をしていると、「だからおいしい」と暗に言っているように思えてならない。
実際食べてみると、「だからおいしい」という味ではなかった。
普通のカレーライスだった。

これと似たような話で、『皇室献上銘菓』なるお菓子がある。
食べてみると、それほどおいしいものではない。
確かに皇室に献上したかもしれないが、その程度のお菓子を献上するとは失礼なお菓子屋である。
またそれを宣伝文句に使っているのが気に食わん。

ラーメン屋や飲み屋に行くと、有名人のサインの数々。
あれも気に食わん。
さも「うちは有名人が来店するほどの、凄いお店なんだよ」と言いたげに、サインが並んでいる。
お客もお客で、「ここ○○が来たところなんだって。すげえ!」などと言っている。
しかし考えてみると、その有名人氏は、以前から懇意にしている店ならともかく、こんな地元の人しか知らない店を選んで来るわけがない。
たまたま飲み食いに行った場所が、そこだっただけの話じゃないか。
「すげえ!」ことでも何でもない。
本当に「すげえ!」と言われたいのなら、「このお店の、××というメニューが気に入りました」と書け、というのだ。
ただのサインでは、何にもわからんわい。
それも何と書いているのか、わからないものばかりである。
こんなことやめてしまえ!



迷惑な話2

予備校で、ぼくがトイレから出てくると、前を同じクラスの女の子が歩いていた。
同じくトイレから出てきたようだ。
教室に戻るには階段を上らなくてはならない。
ところが、ふと彼女を見ると、スカートがめくれている。
それもミニスカートである。
同じ階段を上るわけだから、後ろを歩いているぼくは当然見えてしまう。
彼女が階段を上りだした時、ぼくは目のやり場に困った。
「どうしよう」
しかし、教えてやるほどの勇気はない。
かえって変態扱いされるのがおちだ。
中学時代の思い出がよみがえる。
見たら見たで、後でわかった時に何を言われるかわからない。
しかたなく、ぼくは下を向いて階段を上った。
後でぼくを見ていた男子から、「お前、いい思いしたのう」と言われた。
見てないっちゃ!

社会に出て、電車通勤をしていた頃の話。
電車はいつも満員だった。
痴漢と間違えられると嫌なので、ぼくはいつも両手で吊り革をつかんでいた。
ある日、えらく後ろから押されたことがあった。
両手は吊り革をつかんでいるため、押されるたびに吊り革にぶら下がって、爪先立ちの状態になる。
そのたびに、前に立っている女の人のお尻に、ぼくの下半身が当たるのだ。
最初は押されるほうばかりに気をとられて、前を押していることは気がつかなかった。
気がつくと、その女の人はぼくを睨んでいる。
どうして、前の女の人がぼくを睨むのかがわからなかったが、しばらくして、「あ、そうか!」と、やっと合点がいった。
単純にぼくと彼女の間の行為だけで捉えると、これははっきり言って痴漢行為である。
しかし、こちらとしてはそういうつもりは毛頭ない。
こちらも動きようがないのだ。
ぼくは心の中で、「そういう怖い顔で睨みなさんな。この状況で、どうしろというんだ。おれだって早くあんたのそばから離れたいわい!」と思っていた。
ある駅で人が減ったので、ぼくはすぐにその人のそばから離れた。

またまた中学時代に話は戻る。
ある日の昼休みのこと。
ぼくは急にトイレに行きたくなった。
教室を出て、廊下を小走りしてトイレに向かった。
その時、曲がり角で、同じクラスの女の子とぶつかりそうになった。
ぼくはとっさに手を出した。
その手が、なんと彼女の胸に触れたのだ。
『あらっ!』と思ったが、もはや漏れる寸前である。
ぼくは「ごめん」と言って、トイレに急いだ。
教室に帰ると、その女の子は何かニコニコした顔をしていた。
その後、ぼくはその子から、婉曲なラブレターをもらった。
だから、違うっちゃ。
勘違いやろ、カ・ン・チ・ガ・イ。

大体こんなところか。
若い頃は、よく勘違いされて迷惑したものである。
最近は勘違いされての迷惑話は少なくなったが、昨日の冒頭のような変な迷惑話が多くなった。
そういえば、今の会社に入った時、「あの人の目を見たらいけんよ」と教えられたことがある。
「あの人」とは、24,5歳の女性であった。
話を聞くと、その女性の目を見ると、「あの人、私のことが好きみたい」と人に触れまくるのだそうである。
こういう自意識過剰な人は、本当に困りものである。
この話を聞いていたので、ぼくはそういうことを言われずにすんだ。
入社して程ない頃、会社帰りに小倉に飲みに行ったことがある。
駅に向かう途中に、その子とばったり会ってしまった。
「今帰りですか」
「ああ」
「どこまで行くですか」
この子、若いくせに言葉がいやに年寄り臭い。
目を見ただけで恋愛なら、まともに話していたら大恋愛になってしまう。
ぼくは始終、そっけない返事を繰り返すばかりだった。
こういう人の存在も、迷惑と呼んでいいだろう。



迷惑な話1

唐突にこんな話をして申し訳ないが、ぼくはつい何年か前まで、女性のナプキンの使い方を知らなかった。
てっきり、あれは患部に貼るものとばかり思っていたのだ。
わりと女性の多い家系だったにもかかわらず、こういうことには無関心だった。
もしぼくが日用品などの売場を持たされていたら、大恥をかいたことだろう。

なぜこういう話をするかといえば、ぼくの店によくナプキンの宣伝販売に来るおばさんがいる。
その人は、ぼくがその前を通ると、いつも「いらっしゃいませ」と言うのだ。
ぼくは男である。
それに、一応制服を着ている社員である。
何を思って言っているのかは知らないが、こんなことはやめてほしい。
そのナプキンおばさんが頭にこびりついて、つい冒頭の話になったわけである。

中学の頃、昼休みに女子と男子に別れてバレーボールをしたことがある。
もちろん体育の時間ではないので、ジャージなどははいてない。
前衛にいた女子がスパイクを打った時だった。
サッと風が吹いて、その女子のスカートがめくりあがった。
ぼくはその瞬間を見逃したのだが、他の男子は「オオッ!!」と歓声を上げた。
その女子は真っ赤な顔をしていた。
その後のことである。
他の女子がぼくのところに来て、「しんた君、見たでしょ?」と言った。
「いや、見てないよ」
「そんなことはない。あんたの位置からだと丸見えなんだから」
「見てないっちゃ」
その女子は、後々まで疑っていた。
ぼくは本当に見てない!

同じく中学の頃の話。
その日ぼくは親戚の家に泊まることになっていた。
昼間友人と遊び、親戚の家に向かったのは、夜の7時ごろだった。
季節は春だったので、7時にはもう日が沈んでいる。
ぼくの5メートルほど前を、女の人が歩いていた。
行く方向がいっしょだったのだろう。
駅から、ずっとぼくの前を歩いていた。
川沿いに歩いていくと、道が狭くなるところがある。
そこで、その女の人はぼくの存在に気づいたようだった。
女の人は少し早歩きになった。
そこから少し行った所で、ぼくは左に曲がり路地に入るのだが、その女の人もそこから左に入ってしまった。
ぼくはどうしようかと迷った。
その女の人は、ぼくにつけられていると思っている。
このまま行き過ぎてもいいが、ぼくも左に曲がらないと、親戚の家に行くことは出来ない。
そこで思い切って、ぼくも左に曲がった。
すると、その女の人は走り出し、「おねえさーん」と言って、一軒の家に飛び込んだ。
どうやらそこが彼女の家だったようだ。
ぼくが彼女の家を通り過ぎる時、彼女はその「おねえさーん」といっしょに、玄関からぼくを見ていた。
ぼくは知らん顔をして通り過ぎた。
ぼくは変態ではない!

高校の頃、保健の時間に人命救助の講義があった。
その中で、心臓マッサージやマウス・トゥ・マウスの実践があったのだが、そのモデルを誰がやるか、ということになった。
じゃんけんで決めようということになったのだが、誰かが「こういうことは、保健委員がせないけんやろうが」と言い出した。
「そりゃそうだ」ということになり、しかたなくぼくが犠牲者になった。
先生が「ちゃんとハンカチをかぶせてしなさい」と言ったのだが、いるんです。こういう時に、マジになる奴が。
もちろんハンカチの上からだったけど、そいつは唇をしっかりとぼくの唇に当て、息を入れてきた。
肺が膨れていく。
そいつは当時からヘビースモーカーだった。
ぼくの息は、しばらくタバコ臭かった。
後でそいつは、ぼくの唇を奪ったと、いろんなところで触れて回った。
ある日、女子から「しんた君、○君の唇奪ったらしいね」と言われ、変な目で見られた。



芸能コースのある高校

今日ローカルの番組で、ある高校に芸能コースというのがあると言っていた。
いよいよ県民皆芸能人の本領発揮かと思い、興味深く見ていた。。
このクラスでは、毎週4,5時間を費やして、生徒に歌を歌わせたり、ダンスを踊らせたりしているのだ。
あの堀越学園にも芸能クラスというものはあるが、それは芸能人が行くクラスであって、別に芸能人を育成しているわけではない。
しかし、この学校は芸能人を育成しているのだ。
時間割の中に、現国や数学などと並んで、ギターとかダンスという科目が書かれてあるのが面白かった。
もしぼくが高校生なら、躊躇なくこの学校のこのクラスを選ぶだろう。
無能な人間を育てる普通科よりも、よっぽどやりがいがあるに違いない。

さて、その番組の中で担当の先生が、「この中にモノになりそうな人間が2,3人は確実にいる」と言っていた。
この先生は、「浜崎あゆみやMISIAや椎名林檎といったトップミュージシャン」をその学校から出す、という夢を持っているようだった。

ところでこの番組を見て疑問に思ったことがある。
それは、「この科目の試験はどういう問題が出るのだろうか」ということである。
もちろん実技はあるだろうが、筆記のほうはどうなっているのだろうか。
「福岡出身の有名人を5人書きなさい」とか、「メジャーとインディーズの違いは何か。50字以内で簡潔に書きなさい」などという問題は出るのかもしれない。
まさか、「この科目は不得手だ」と思う人間はいないだろう。
もしいるとしたら、それはスランプに陥っているか、自分の才能に眼界を感じたか、担当の教師が嫌いかのいずれかである。

もう一つの疑問は、この科目で単位を取れずに、留年する人間がいるのかどうかだ。
授業にまともに出ていれば、まず留年はないだろう。
「インディーズ」の意味がわからなくて、欠点をとる生徒は皆無に等しいと思う。
「君は‘F’のコードを押さえきらないから、来年もう一度やり直しなさい」
「君はマイクを持つ時、どうして小指を立てるのかね。前から何度も注意してるだろう。全然進歩が見えないじゃないか。留年だ」
などとやっているのだろうか。

さて、このコースを選んだ生徒たちの就職状況はどうなのだろうか。
先生もいろいろ大変だろう。
大学や専門学校に行く生徒以外は、もちろん就職するのだろうから、そういう生徒たちの面倒を見なければならない。
第一希望は、みな音楽事務所や芸能プロダクションであるはずだから、そういう関係に顔が利かなければならない。
ホリプロやサンミュージックなどに行って、 「今年は有能な子がいるので、よろしくお願いします」などとやっているのかもしれない。
『のど自慢』に出させる場合もあるかもしれない。
「鐘が3つ鳴らなければ、君の将来はない。もしそうなったら、君は芸能界をあきらめて、普通の就職をしなさい」」
晴れて鐘が3つ鳴った場合は、それを肩書きに就職活動を行っていくのだろう。

仕事の合間にチラッと見ただけなので、今まで書いたことはすべて憶測である。
しかし、ただ一つ確かなことがある。
そこにお笑い系がなかったことだ。
福岡からせっかくタモリという大物が出ているのだから、そういうコースも作ってもらいたいものである。
しかし、もしお笑い系のクラスが出来ても、授業中にほかの生徒を笑わせるようなことをしたら、先生から叱られるだろう。



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