頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2002年05月

マンガざんまい 2

東京にいた頃、よく読んでいたのが『少年チャンピオン』だった。
東京に出る前に、友人から「チャンピオンに面白いマンガが載っとるぞ」と聞いて読み始めたのだった。
『少年チャンピオン』といえば、『少年キング』と並び、それまでぼくが読んだことのない雑誌のひとつだった。
それまでに、そこに連載しているマンガで、読んだことがあるものといえば、永井豪の『あばしり一家』ぐらいだった。
その当時話題になっていた『がきデカ』と『ドカベン』は知ってはいたが、読んだことはなかった。

友人から面白いマンガの存在を知らされたぼくは、さっそく読んでみることにした。
しかし、別段これと言って面白いものではなかった。
「これのどこが面白いん?」
「面白いやろうも。ちゃんと読んでみてん」
何度か続けて読んでみたが、ぼくにはその面白さがわからなかった。
そして、「全然面白くない!」と言って、ぼくはそのマンガを読むのをやめた。

そのことがあって、何日かしてからのこと。
巷ではけっこうこのマンガが話題になっていた。
他の友人も、このマンガを絶賛していた。
「あまり面白くないのに、何でこうも受けるんだろう?」
そう思ったぼくは、もう一度そのマンガを読んでみることにした。
しばらく読んでいくうちに、突然このマンガのギャグが見えてきた。
「面白い!」
それまでは、理屈で読んでいたのだった。
理屈ぬきでこのマンガを読んでみて、初めてその面白さがわかったのだ。
さらに、このマンガはスピード感のあるマンガだったから、そのスピードに慣れるまでに時間がかかったともいえる。
『天才バカボン』以来、ギャグマンガから遠ざかっていたので、きっとギャグマンがを受け入れるセンスを失っていたのだろう。
ぼくは何度もそのギャグに耽ってしまった。
そして、はまってしまった。
そのマンガとは、後にギャグマンガの名作と謳われた、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』である。
このマンガは、ぼくの東京生活になくてはならないものとなった。
約2年間、毎週ぼくは少年チャンピオンを買い続けた。

さて、一度ギャグマンガの受け入れ態勢ができると、当然のように他のマンガも読んでいくようになる。
しかし、あまりに『マカロニほうれん荘』が強烈だったために、なかなか面白いマンガに出会うことはできなかった。
『マカロニほうれん荘』を読み始めてから1年半が過ぎた時、ついにそのマンガに出会うことになる。

その頃、ぼくは毎日代々木のピザ屋に通っていた。
価格が安かったのと、いろいろなマンガを置いてあったので、気に入っていたのだ。
そこで、何気なく少年マガジンを読んでいると、新人の読み切りマンガが載っていた。
初めてそのマンガを読んだ時、何か小学生の頃に読んだマンガを思い出して、懐かしさを感じたものだった。
画はそれほどうまくなかったが、内容がすばらしくよかった。
その後そのマンガは、連載されることになった。
小林まことの『1・2の三四郎』である。

この『1・2の三四郎』だが、一度ぼくの周りで「お前、三四郎のモデルじゃないんか」と話題になったことがある。
理由は、柔道部に参加していたこと。
試合表にうちの高校の名前が出ていたこと。
桜五郎の嫁さんのコーキーさんの博多弁は、実は北九州弁であること。
そして、何よりもそれらしかったのが、『黒崎高校の柳』である。
ぼくが柔道部にいた頃、一時廃部の話が出たことがある。
上級生がやめ、部員が極端に減ったのだった。
ぼくは慌てて部員集めに精を出した。
そして、7名の部員と16名の会員を確保した。
その16名の会員の中に、柳という男がいた。
がり勉タイプで、線が細く、まったくスポーツとは縁のない男だった。
何度か部室に訪れたが、結局長続きせず、「肺に穴が開いた」とか言って辞めていった。
実はその柳が、黒崎中学の出身だったのだ。
『黒崎高校の柳』と『黒崎中学の柳』、絶対そこには何かある、となったわけである。
真偽のほどは知らないが、もしかしたら本当に何かあったのかもしれない。
しかし、ぼくは三四郎みたいに強くなかったし、また精神力で背を伸ばすような甲斐性のある男ではない。

その後、作者の小林まことが新潟の出身とわかり、「黒崎とは新潟の黒崎のことやろう」ということになり、疑いは晴れた。
しかし、今になってみると、ちょっと惜しい気もする。



マンガざんまい

この日記の特徴は、クモ膜下出血のことを書いた翌日にマンガのことを書く、という支離滅裂なことを平気でやることにある。
ということで、今日はマンガのことを書く。

今ぼくは、四つのマンガを読んでいる。
一つ目は、毎度おなじみ西岸良平の『鎌倉ものがたり』、二つ目は、どおくまんの『熱笑!花沢高校』、三つ目は、藤子A不二男の『魔太郎がくる』、四つ目が、昨日人から借りた『魁!!クロマティ高校』である。
一つ目は、もう説明しない。
二つ目は、本家の秋田書店では廃刊になっていたものが、別の出版社からコンビニ本として復活したものである。
東京にいた頃に読み始め、訪問販売の時にマンガ喫茶で続きを読み、今また読み直している本である。
三つ目の『魔太郎がくる』も、マンガ喫茶でよく読んだ本である。
四つ目の『魁!!クロマティ高校』は、現在『少年マガジン』に連載しているマンガである。
画は劇画調であるが、中身はギャグで、そのギャップが非常に面白い。
今、第4巻を読んでいるのだが、掲示板荒らしのことなどが書いていて、大変
興味深く読んでいる。

さて、それらの本をぼくはいつ、どこで読んでいるのか。
気が向いた時に、ある時は風呂の中、ある時はトイレの中、またある時は職場で読んでいる。
これは昔から変わらない。
当時はバスや電車の中で読んでいた。
授業中でも、マンガのことを思い出すたびに読む。
また就寝中でも、ちょっと目が覚めた時に、パラパラとページをめくったりしていた。

授業中に一度失敗したこともある。
一年生の時だった。
リーダーの時間急に、学校に持ってきていた『夕焼け番長』が読みたくなった。
ぼくはこういう時、自制心が効かない。
机の下で本を広げて読んでいると、突然「こら、前から4番目。今何しよったか」、とリーダーの先生が怒鳴った。
ぼくは知らん顔をしていた。
すると先生は「机の下のもの出してみ」と言った。
ぼくは、『うるさいのう』と思い、ほかのものを出そうとした。
が、あいにくその時机の中に入っていたものは、『夕焼け番長』とトランプだけだった。
一瞬、どちらを出そうかと迷ったが、マンガのほうが罪がないと思い、『夕焼け番長』のほうを出した。
「これは、お前の本か?」
「貸本です」
「誰の本か?」
「だから、貸本です」
「誰の本か、言えんのか!」
「貸本と言いよるでしょうが。貸本屋の」
「・・・そうか。これは没収させてもらう。欲しければ、後で職員室に取りに来い」

ぼくはこの教師が好きではなかった。
自分ひとりで授業するし、ギャグも面白くなかった。
それに、いつもぼくを目の敵にしていたようなところがあった。
そんな人と、話す気は毛頭なかった。
当然のごとく、ぼくは職員室には行かなかった。
しかし、困ったことがになった。
その日、貸本屋に返すことになっていた本だったのだ。
かばんの中には、その本の前の巻が何冊か入っていた。
その巻だけ、抜けているのもおかしいが、とりあえず持っているだけ返した。
とうとう本は戻ってこなかった。

それから間もなくして、クラスで風邪が流行ったことがあった。
その時期にぼくは、風邪も引いてないのにマスクをしていったことがある。
予防のためではなかった。
ただのシャレである。
ちょうどその日に、リーダーの授業があった。
高校の頃、先生は教科書を読ませたり、質問をする時には、必ずと言っていいほど、日付の数字と同じ出席番号の人を当てていた。
下一桁がいっしょの場合も、当たったものだった。
その日は、ぼくの出席番号の日だった。
「今日は11日か。出席番号11番、読んで訳せ」
「・・・」
「11番は休みか?」
ぼくは手を上げた。
「おるやないか。早く読め」
ぼくは風邪で声が出ないふりをした。
「お前、何でマスクなんかしとるんか。そのマスクは外せんとか?」
ぼくは首を振って、後は知らん顔をした。
隣の席の者が「しんた君、風邪で声がでないんです」
「本当か?」
最後まで、彼は疑っていた。

さて、この日記もマンガを読みながら書いているので、とりとめのないものになってきた。
実は、あるマンガの主人公のモデルがぼくじゃないか、という話になったことがある。
それを書き出すときりがないので、その話は明日書くことにする。



クモ膜下出血

寝不足後遺症というか、何というか、どうも頭の中に膜が張っているようで、なんとなくすっきりしない。
まあ、そういう状態は高校時代から続いているので、別に珍しいことではないが。
しかし、ここ数日、頭に関することには、変に神経質になっている。
言うまでもなく、伊藤俊人さんのことがあってからのことだ。
その死因である『クモ膜下出血』が、対岸の火事ではない年頃だから、とくにそう感じるのかもしれない。

クモ膜下出血、3年ほど前にうちの会社の男性がこの病気で亡くなっている。
ぼくより、10歳ほど年上の方だった。
以前ぼくがいた部署は、彼の部署の隣だったのだが、彼には大変お世話になった。
よく、倉庫整理を手伝ってくれたり、フォークリフトの動かし方を教えてくれたりした。
亡くなったのは、ぼくが今の職場に転勤した年だった。
ある日、彼が病院に運ばれた、という情報が入った。
その日の午後、ほかの人が食事から戻ってくると、彼は「頭が痛い」と言ってしゃがみこんでいた。
程なく、救急車が到着した。
自分で救急車を呼んだという。
そして、彼は気丈にも「大丈夫」と言って、笑顔で救急車に乗り込んだ。
病院に到着する頃には、もはや彼の意識はなかったそうだ。
それから約1ヶ月、彼は意識が戻らないままあの世に行ってしまった。
彼もダイエーホークスの大ファンだったのだが、結局ホークスの優勝を見ないままだった。

それから何ヶ月かして、取引先の人が、クモ膜下出血で入院したとの連絡が入った。
彼は、まだ20代だった。
うちの担当からは外れていたものの、ぼくは彼とかなり親しくしていた。
しかし、彼の場合は病気でなったものではなかった。
前の日に、飲んでけんかをしたらしい。
それが元でのクモ膜下出血だった。
もはや、ぼくの頭の中には「クモ膜下=死」という図式が出来上がっていたのだが、その人は一ヶ月ほどで退院したということだった。
後日、会社に復帰した時に、「ご心配かけました」と彼が挨拶に来たことがある。
「今はどう?」
「いや、やはり物忘れがひどくなったようです」
と言っていた。
新たに、ぼくの頭の中に「クモ膜下=物忘れひどい」という図式がインプットされた。
図式を結びつけると、「クモ膜下=物忘れひどい=死」という図式になる。
ということで、ぼくは物忘れというものを非常に恐れるようになった。

それから、1年位経った時に、ある同業者の話を聞いた。
朝、店を開けようとシャッターを上げた瞬間に、「ブチッ」という音がした。
本人は「切れた!」と言って、店の中に入っていった。
その後、意識不明になり、その日の午後に亡くなったという。
ぼくの中に、また図式ができた。
「シャッター=クモ膜下=物忘れひどい=死」

それから、伊藤さんの死である。
以前フジ系で『こんな私に誰がした』というドラマがあったが、これが彼を見た最初である。
その後、たびたび画面でお目にかかることになる。
今でも忘れないのが、『ショムニ』で寺崎部長に食ってかかるシーンだった。
普段は寺崎部長の腰ぎんちゃくである伊藤扮する野々村課長が、ある日ショムニのミスで癌の診断を受けた。
それを真に受けた野々村が、やけになって寺崎に「お前も小さい男だなあ」と悪態をつくのだ。
あの時の、寺崎部長とのやり取りは本当に面白かった。

まだ、40歳か。
惜しい人材を亡くしたものである。
謹んで、ご冥福をお祈りする。



寝不足日記

なんとか、ハードディスクの交換は終わった。
別に「やったー!」なんて思わない。
容量さえ考えなかったら、何も変わってない。
ただ、昼寝もせずにやったから、結局は睡眠時間が1時間半だった、というだけのことだ。
眠たい。

昼から銀行に行った。
そういえば、銀行は午前中に済まそう、という計画だった。
それも、寝不足から来る無気力から、もろくも崩れてしまった。

ジーンズがほころんでいる。
「これでいいや」と思って外に出たが、歩いているうちに、さらにひどくなった。
ほころびが太ももの周りを半周している。
一周するのは時間の問題だ。
それは今日かもしれない。
引き返して、履き替えた。

行きはJRを使った。
帰りは歩いて帰った。
天気はよかったようだ。
しかし、空は黄色く見えた。
これもまた寝不足のせいだろう。
そういえば、ジョンレノンの詩だったと思う。
「空が黄色く見えた」というのがあった。
あれは何という歌だったろうか。
たしか「レット・イット・ビー」の中の歌だったと思うが。

歩いて帰る途中、手に何滴かの水がかかった。。
エアコンの水かなと思って周りを見ると、それらしきものもない。
雨かなと思って空を見ると、晴れている。
雲は出ているのだが、青空が透けて見えるほど薄い雲だ。
そのうち、パラパラと降り出した。
しかし、空はさっきと変わらない。
「そうか、狐の嫁入りか。
それで、空が黄色かったのか」
寝不足は、魔物をも信じさせる力がある。

今日のダイエー・西武戦。
北九州市民球場であった。
4回途中から雨が降り出した。
雨脚は見る見る強くなった。
そのうち雷も鳴り出した。
激しい音、鋭い閃光!
窓の外と、テレビの画面が同時に光る。
初めて見る光景だ。
これも魔物の仕業か。

寝不足はさらに祟る。
風呂の中で寝てしまった。
ちょっと目を閉じると眠ってしまう。
ハッと気づいて目を開ける。
時間にしてどのくらいだろうか。
その間いちいち夢を見る。
けっこう長編ものだ。

ここまで書いて限界を知る。
「起きていても、何の役にも立たない男です」
ということで、寝た。
午後11時50分だった。



イライラする

あー、イライラする。
今日家に帰ってからずっと、以前から計画していたハードディスクの交換を行っている。
実は、手持ちのCDをコンピュータにコピーしていたのだが、いよいよ容量が足りなくなってきた。
まだCDのコピーは半分も終わってないのに、これでは全部収めることができない。
ということで、ハードディスクを換えることにした。
「わざわざ面倒くさい交換とかせんで、増設すればいいのに」、と言う人もいたが、いかんせん使用している機種が省スペース型なので、増設することはできない。
外付けも考えたが、置く場所もない。
そこで、どうせ内蔵型に換えるのなら、いっそ大容量に換えてしまえ、と調子に乗って120GBのハードディスクを買い込んだ。
しかし、容量が大きなせいか、時間がかかる。
フォーマットだけならそこまでかからないのだろうが、このパソコンはWindowsXPにアップグレードしているため、いったんWindows98を入れてから、XPにアップしてやらなければならない。
また、新しいハードディスクの付属のソフトは、XP対応になっていないため、直接ファイルをコピーすることもできない。
データを、CD-Rに保存してからの作業になってしまった。

現在午前8時16分だが、まだ終わってない。
とりあえず、昨日の日記だけは書いておかないとと思い、いったん作業を中断した。
それにしても眠たい。
それもそのはず、1時間半ほどしか寝ていない。
頭は回らないし、指はてきぱきと動かない。
集中力もなくなっている。
目に付くものや、心に浮かんだものに、関心がいってしまう。
「そうだった、コンビニで『天才バカボン』買ったんだ」
そんなことを考えだすと、もはや日記そっちのけで、『天才バカボン』を読んでしまう。
おかげで、たかだか3行ほどを打ち込むのに、かなりの時間を要している。
さて、いったいこの日記は何時になったら終わるんだろう。

そういえば、今日は銀行に行く日だった。
前回の休みが土曜日だったため、今日にずれ込んだんだった。
予定としては、午前中に済ますつもりだが、それもこの日記が終わらないと、始まらない。
銀行から帰ってきたら、今度はアプリケーションのインストールが待っている。
それにしても、かなりの量のアプリケーションがある。
あ、ちゃんとパスワードは保存しておいただろうか。
それよりも、ちゃんと復元できるのだろうか。
何か、不安だ。
困ったなあ。
紙に書いとけばよかった。
今日は本当にやることがたくさんある。
そう思うと、また日記がはかどらなくなる。
とにかく今は、日記のことだけ考えよう。

あ、そういえば・・・。



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