頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2001年12月

一日の捉え方

この日記は1月1日に書いている。
なぜ12月31日に書かなかったかというと、この日には毎年、ぼく恒例の行事があるからだ。
それは、風呂に入って年を越すことだ。
つまり、「除夜の風呂」ということだ。
大晦日は、風呂の中で何か特別なことでもやっているのかといえば、そうではない。
ただいつものように長湯しているだけだ。
ああ、そういえば今日は、クリスマスにある人からもらった「アヒル隊長」といっしょに風呂に入っていた。
いつもと違うことといえば、このくらいか。
風呂から上がってから、いつものように食事をし、いつものようにパソコンの前に座っている。

ところで、この日記をつけ始めて、考え方が変わったことが一つある。
それは一日の捉え方だ。
今までは単純に「午前0時に一日が始まる」と思っていた。
しかし、日記をつけ始めてから、「それはおかしい」と考えるようになった。
日記を書くというのは、朝起きてから寝るまでの出来事や考えたことを文にするということだから、午前0時に一日が始まるとちょっと困るのである。
もし通常通りに一日を捉えると、今日の日記は、
「昨日の日記を書いている途中に今日は始まった。
午前2時までかかって、やっと日記を書き終えた。
それから20分後に寝た。
起きたのは午前7時40分であった。
・・・・
いつものように仕事を終え、途中本屋に寄ったりしたので、帰るのが少し遅くなった。
今日は大晦日ということで、恒例の“除夜の風呂”を決行しなければならない。
・・・・
ということで、“除夜の風呂”の途中に今日は終わった」
となるだろう。
何かおかしいでしょう?
この文章は、午前0時を一日の始まりとすることが、いかに愚かなことかということを示していると思う。

そこでぼくは、日記をまともなものにするために、一日の始まりを「朝起きてから」にした。
そうすれば、無理なく日記が書ける。
「今日は朝7時40分に目が覚めた。
昨日寝るのが2時を過ぎていたため、かなり寝起きが辛かった。
・・・・
いつものように仕事を終え、途中本屋に寄ったりしたので、帰るのが少し遅くなった。
今日は大晦日ということで、恒例の“除夜の風呂”を決行しなければならない。
ということで、いつものように風呂の中で年を越したのだった」
これなら無理がない。
一日というのは、朝起きてから次の朝起きるまで。
そうすれば、「今朝見た夢」も、「昨日の夢」で片付けられるから楽だ。


さて、今日の日記はこれでおしまいです。
一年間、このこじつけ日記にお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。
来年は、さらにこじつけに磨きをかけ、邁進する所存でございます。
来年もよろしくお願いいたします。

しろげしんた





日常生活

今年もあと1日。
しかし、ぼくたちは日常生活を強いられている。
世間は年末であわただしそうだが、ぼくたちは平常通りの仕事をやっている。
正月休みにしろ、3日から営業であるから、ただの2連休を取るにすぎない。
正月が明けたら、たっぷり休暇を取れるのかといえば、そうでもない。
別に他の日に定休日を設けているわけでもないので、いつものようにローテーションによる休みしか取れない。
これはお盆でも同じことだ。
つまり年中、同じ生活をやっているということである。

ぼくはこんな生活を22年間やってきたわけである。
もちろんこの間、転職した時を除いて、長期休暇など取ったことはない。
前の会社では数字の関係上休むことが出来ず、今の会社では人数の関係上休むことが出来ない。
病気にかかっても、他の人に迷惑がかかるから休むわけにはいかない。
今は週2日確実に休みを取っているので、「まあいいか」と思うことができるのだが、前の会社の時は月に3,4回しか休みが取れないことがざらだったので、かなりフラストレーションがたまっていた。
しかも、毎日朝8時から夜10時過ぎまで拘束され、週一度は7時出勤だった。
そんなに早く行って何をするかといえば、会議である。
そんなに遅くまで残って何をするかといえば、会議である。
何の会議かといえば、数字のツメである。
数字とは、売上数字のことである。
この数字さえよければ何のことはないのだが、数字が常時いい部門などはない。仮にあったとしたら、それは不正をやっている部門である。
会議といっても、数字の悪い部門の「報告」、それに対する「罵倒」の繰り返しばかりやっていた。
そんな疲れの溜まることを毎日やっていて、仕事の効率が上がるはずがない。

一度切れたことがあった。
夜の会議が終わったあとのこと、時間はすでに午後10時半を回っていた。
「やれやれ、やっと帰れるか」と思っていると、販促係の人間が店内放送で「今から販促会議をやります。各売場の販促委員の方はお集まり下さい」と言い出した。
上の者にいい顔したいがためのパフォーマンスであった。
その時はぼくも販促委員だったので、当然参加しなければならなかった。
「冗談じゃない」とぼくは食いついたが、「すぐ終わらせますから」と言うので、しぶしぶ参加した。
もちろん疲れていることもあったが、その当時ぼくはJRで通勤していたので、電車の時刻と、乗り継ぎのバスのことが気になっていた。
JRのほうは0時過ぎまであるが、バスのほうは最終が23時14分だったので22時50分のJRに乗らないと間に合わない。
これに間に合わないと、タクシーで帰らなければならないのだ。
「しかたない。今日はタクシーで帰るか」と思いながらの参加であった。
ところがこの会議、いつまでたっても終わりそうにない。
時間は刻々と過ぎていく。
いつの間にか、JRの最終の時間も迫っていた。
そこでぼくは、「この会議、いつになったら終わるんですか?」と尋ねた。
するとその販促係は、「あと30分ほどで終わりますから」と言った。
「話が違うやん。すぐ終わると言うけ参加したのに。JRの時間がないけ、もう帰る!」と怒鳴り、ぼくは会議室を出て、さっさと帰った。

前の会社がこんな具合だったので、たとえ人数が少なくても、今の会社で勤まるわけだ。
ただ、最初に言ったように、ここも「盆も正月もない」という意味では同じである。
販売業22年生、まだまだ日常生活は続く。



よいお年を

「よいお年を」
社会に出てから、この言葉を何度口にしただろう。
それまでは、一度も口にしたことのない言葉だった。
どうして覚えたのだろう。
別に「年末の挨拶は“よいお年を”と言わなければならん」などと強要された覚えはない。
ということは、見よう見まねで覚えた挨拶なのだろう。
では、それまではいったい年末の挨拶はなんと言っていたのだろうか?
おそらく、普段の別れの挨拶をしていたのだろう。

そういえば、別れの挨拶の言葉も、年をとるにつれ変わってきている。
高校を卒業する頃までは、いつも「バイバイ」だった。
その後、社会に出るまでは「じゃあね」とか「またね」だった。
社会に出てからは、「お疲れさん」だ。
社会に出てから、「バイバイ」などと言ったことはない。
これも強要されてこういうふうに言い出したわけではなく、また高校を卒業したから「じゃあね」と言おうとか、社会に出たから「お疲れさん」と言おうとか決めていたわけでもない。
それは流れの中で変化してきたものだ。
ちなみに、友だちに「さようなら」と言ったことはない。
そんなこと、馬鹿らしくて言えん。

ということは、社会に出る前の年末の挨拶は、「バイバイ」や「じゃあね」ですませていたわけだ。

社会に出てからは、以前からの友だちにも「よいお年を」などと言っているが、これがまた照れ臭い。
言う前から、「何で、こいつに挨拶せないけんとか」と思ってしまう。
言っている最中も、ニヤニヤして「ばーか」などと思いながらやっているので、ありがたみも何もないだろう。
まあ、相手もそう思いながらやっているんだろうけど。

ところで、「よいお年を」のあとの続く言葉が何であるかを、真剣に悩んでいた時期がある。
もちろん、「よいお年をお迎え下さい」が正しいのであるが、その頃は、そう続くことに違和感を感じていた。
「よいお年をお過ごし下さい」、この言葉を使うのは年が明けた後だろう。
「よいお年をお取り下さい」なら、年寄りに向かって言っているようである。
やはり「よいお年をお迎え下さい」が妥当なのか。
でも、言い回しがどうもしっくりこない。
「よい年でありますように」ではいけないのだろうか?
「幸せな一年を」ではいけないのだろうか?
しかし、これらの言葉を「よいお年を」のように略して言うとすると、「よい年で」や「幸せな」となってしまって、逆におかしくなってしまう。
いろいろ考えたあげく、「よいお年を」だけでいいじゃないか、というところにおさまった。
後の文章は「余計だ」と思うに至ったわけである。
それから、自信を持って(?)、「よいお年を」と言えるようになった。

ということで、皆さんよいお年を。

・・・?
ああ、あと二日あったんだ。



年末という言葉に騙されるな

午後から近くの米屋に灯油を買いに行った。
年末年始分ということで6缶買った。
今日は18リットルで税抜き498円だった。
米をいっしょに買うと、さらに200円安くなるらしい。
先日ラジオでこの店を紹介していたが、その時そう言っていた。

全国で見ると、どうなのかはわからないが、ぼくはわりとガソリンや灯油が安い地区に住んでいる。
例えば、ガソリンがリッター82,8円というスタンドがある。
テレビなどでよく「セルフ」というのを売り物にして、「激安スタンド」などと紹介されている店がある。
レポーターも「ここはなんと、ガソリン1リットル85円!」などと大げさに言っている。
その店の人も、「セルフだからここまで出来るんですよ」と答えている。
確かに他の店と比べたらそうなのかもしれないが、ぼくが利用しているスタンドは、セルフではないのにセルフよりも安い。
その「激安スタンド」の人は、「セルフにしなくても安く出来る」というのを勉強しておいたほうがいいだろう。

しかし、最近はその「激安以上に安い店」も口コミで伝わったのか、いつ行っても満車状態である。
この間ガソリンを入れに行った時は、待っている車が道路まではみ出していた。
時間がなかったので、しかたなく他の店で入れたが、なんとその店はリッター90円だった。
その時入れた量が50リットルだったから、860円も損をしたことになる。
この差は大きい。
こういう時のために、サブメインの店も決めておかなければならない。

しかし今日は、いくら年末とはいえ、灯油6缶というのは買いすぎた気もする。
別に「年始はずっと休みです」、というわけではないのだから、その半分にしておけばよかったのかもしれない。
ぼくの家は団地の3階なので、灯油を両手に持って3往復しなければならなかった。
おかげで、今は腕が痛い。
おまけに、約40kgを持って階段を上がったわけだから、ひざの裏も痛くなっている。
きっと年末という言葉に騙されたんだろうなあ。
よくよく考えてみたら、そこも店なんだから、1週間も休むはずがないのだ。
年内は31日まで、年明けは遅くても4日には開くだろうから、たかだか4日間の休みである。
別に毎日灯油を買いに行くわけではないので、1週間分も買っておけば充分だったのだ。
何で焦る必要があったのだろうか?

これは店の側でもよくあることだ。
年末という言葉に騙されて、ついつい多めに在庫を取ってしまう。
でも、考えてみたら取引先の休みというのは1週間かそこらしかないのだ。
いくら年末はお客が増えるといっても、よくて通常の倍であろう。
ということは、2、3週間分の在庫を抱えておけば、充分なのである。
それを何を焦ってか、気がついたら1か月分以上の在庫を抱えていた、ということはよくあることである。
取引先も年末という言葉に騙されて、「年末年始は、これで充分ですか?」などと言ってくる。
こちらはその言葉に騙されるわけだが、その取引先だって12月に無理をしたつけが1月に回ってくる、というのをすっかり忘れてしまっているわけだ。
つまり、こちらは在庫過多で泣き、あちらは返品で泣くということだ。
今年もあと3日、今ごろ冷静になってももう遅いのだが、来年の戒めとして、このことは頭に入れておこう。
と、毎年思っている。



「年末ボケ」日記

毎週木曜日は、大量の入荷があるので、いつも荷出しには時間がかかる。
今日は年内最後の木曜日ということで、通常の倍の入荷があり大変だった。
お客さんは通常より多いし、電話もひっきりなしにかかる。
しかも、こんな日に限って、取引先の営業が「売れてますか?」などと言ってのこのこ登場したり、本社のお偉いさんが売場チェックをしにきたりする。
取引先は軽くあしらっておけばいいのだが、本社のお偉いさんはそうはいかない。
彼らは現場のことがまるでわかってないので、手を休めて、いちいち細かく説明しなければならない。
これにまた時間を食ってしまう。
なんとか一段落着いて、食事に行ったのは、もう午後4時半を回っていた。
食事がすむと、いつものように昼寝。
売場に戻ったのは5時半だった。
それから、明日からの売り出しの準備をしなければらなかった。
くだらんことを聴いてくるお客さん。
相変わらず、鳴りまくる電話のベル。
もう勘弁してほしかった。
放心状態で店を出たのは、いつものように8時20分だった。

以上のような状況だったので、日記のことを考える暇がまったくなかった。
さて何を書こうか?

そういえば、明日は今年最後の休みなのだが、何も予定がない。
とりあえず、灯油を買いに行くことだけは決まっているのだが。
銀行は先週すませたし、本は大量に買い込んだし、黒崎に出て年末風景でも見に行くか。
ぼくは、年末の街とかお祭りとか、とにかく、人がたくさんいるのを見るのが好きだ。
なんとなく躍動感というものを感じる。
そんな人ごみの中にいると、何かホッとするものがあるのだ。
販売という職業に就いたのも、きっと「人が集まるところが好き」という潜在的なものが働いたのだろう。
24年前の暮れは、デパートの井筒屋でアルバイトをして、人ごみを満喫していたし、22、23年前の暮れは、毎日のように新宿の人ごみの中を練り歩いていた。
21年前、長崎屋でアルバイトをしていた頃は、台車を押して年末の人ごみの中を走り回っていた。
10年前、前の会社を辞めた年の暮れも、無職の身でありながら、そんなことを気にもせず、年末の街に触れに行った。
おそらく今日のことも、何年か経つと、ぼくの中の年末の風景として残るのだろう。
まあ、明日は21世紀の年末を充分満喫することにします。
それにしても、この不景気、人ごみというのはあるのかなあ?

ところで、来年の3月のことなのだが、黒崎そごう跡に移転した井筒屋の、前の店舗跡に、市内で一番大きな本屋が出来るらしい。
九州でも3番目に大きな本屋だということだ。
8階建てのデパートの半分、つまり4フロアが本屋になるという。
デパートの1フロアはけっこう広いものである。
それが4つも重なると思うと、嬉しくてたまらない。
欲しい本があったら、小倉・博多はもちろん、東京までも行くぼくにとっては、これは朗報である。
ちなみに、小倉は「クエスト」、福岡は「紀伊国屋」、東京は神田神保町の古書街に出没しています。

しかし、3月か。
その前に、寒い冬を越さなければならない。
これが嫌なんです。
「来春発売」とか、「来年の夏オープン」とかいうCMを見ると、いつも「ああ、冬を越さなければならん」と思ってしまう。
ぼくにとって、冬というのは関所みたいなものなのである。
冬さえなければ、すべてはうまくいくように思えてしまう。
ウィンタースポーツなどをしないぼくにとっては、冬の寒さというのは苦痛以外の何者でもない。

そうだった。
明日何をするのかを考えていたのだった。
とりあえず、明日は灯油を買って・・・・
そうだ!
昨日日記に書いた、モバイルを見に行こう。
まだ、買えないけど。
でも、見たら欲しくなるんです。
ああ、この手があった。

ということで、明日は灯油を買って、お金とカードをいっさい持たず、モバイルを見に行くことにします。



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