頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2001年11月

鼻が・・・

前から鼻の中が乾燥しており、なんとなく痛かったのだが、気にせずに放っておいた。
ところが、数日前えらの下がなにか張っているのに気づいた。
「ぐりぐり」が出来ているのだ。
長引いたら面倒だ、ということで、とりあえず鼻の中にメンタムを塗りたくった。

2,3日したら治ると思っていたが、今朝起きてびっくりした。
なんと、鼻が腫れ上がっているではないか!
左の小鼻にできものが出来ているのだ。
時間がたっていくうちに、目が痛くなり、のどが痛くなり、耳がどうも変だ。
まるで風邪を引いた時のような状態である。
もしかしたら、昨日の頭痛もこれから来たのかもしれない。

今日はパソコンショップにハードディスクを買いに行こうと思っていたのだが、この鼻を見ると情けなくなり、今日は予定を変更して、ガソリンを入れに行っただけにとどまった。
まあ、パソコンショップは急いで行かなくてもよかったのだが、来月は忘年会も続けてあることだし、なるべく早く買って設置を終わらせておきたかった。
しかし、この鼻ではねえ。
それも片方だけが腫れているし、しかも、外は乾燥しているから呼吸をするだけでも痛い。

それにしても、鼻が脈を打っているという経験は初めてだ。
小さい頃から、よく汚い手で鼻をほじっていたので、「ぐりぐり」が出来るのはしょっちゅうだったのだが、脈を打つほどの痛みを覚えることはなかった。
成人してからも、鼻毛を抜いて、そこからばい菌が入り化膿することはあったが、脈は打たなかった。
ということは、今回は特別にひどいということなのだろう。
しかし、何度も言うようだが、病院には行きません。
ぼくは自分の治癒力を信じていますから。

それでは、治癒力を高めるために、今日は寝ることにします。



頭痛

終日雨で頭が痛くなった。
頭が痛くなることは時々あるのだが、冷房の風に当たったりのぼせたりする以外の頭痛というのは、雨の日が断然多い。
低気圧と何らかの関係があるのだろうか?
雨の日に頭が痛くなった時はいつも、何層も重なった雲が脳を圧迫しているようなイメージを持っている。

さて、どんな痛みの時にも、ぼくは鎮痛剤を飲まないようにしている。
たいがい寝たら治るものだし、薬で胃を荒らされるのも嫌だ。
親知らずを抜いた時も、医者に「これを飲んで寝れ」と言われ渡された“とんぷく”を服用しなかった。
鈍い痛みが一晩中続いたが、ずっとこれに耐えていた。
それでも、いつの間にか眠っていて、起きた頃には痛みは引いていた。
歯医者に行き、医者から「ちゃんと“とんぷく”は飲んだかね?」と聞かれ、「いえ、飲んでません」と答えたら、「あの痛みによく耐えたねえ」と感心していた。
当然今日も、鎮痛剤を飲んでいない。
まあ、いくら痛くても、頭痛ぐらいで鎮痛剤を飲むわけにはいかない。
「痛みに強い」というプライドにかかわる。

ところで、むかしからぼくは頭痛の対処法を研究している。
首筋を揉む、背骨を矯正する、頭のつぼを押さえるなどいろいろやってみたが、一番効果があった方法は肉体と心を分離する方法だ。
これは、江戸時代の禅僧白隠の内観法を応用したもので、例えば風呂などに入ってリラックスした状態で、頭痛を客観視するのだ。
別に心が痛いわけではないので、これは比較的簡単に出来る。
痛みを「痛」という字に置き換えて、「痛」を心で眺めてみるのだ。
集中してやっていくうちに、あら不思議、頭痛が消えていくのがわかる。
頭が割れるような痛みには、比較的「痛」に置き換えやすいので有効である。
ただ、鈍い痛みの時は、痛みを客観視しにくいのであまり効果がない。
今は、この鈍い痛みになった時の対処法を模索しているところである。

同じ頭痛でも、飲みすぎた時の痛みは始末に終えない。
なかなか去ろうとしないのだ。
寝ている間も頭がガンガンする。
翌朝も、痛みは治まらない。
経験上、何か食べて短い時間でもいいから寝るとか、汗を流すとかするとだいたい治るのだが、それでも治らないことがある。
そのときは思い切って、胃の中のものをすべて出してしまうことだ。
全快とまではいかないけど、かなり頭痛からは解放される。

それにしても、今日の頭痛はしつこい。
実は今日の頭痛は、模索中であるところの鈍い痛みなのだ。
ああ、そうだった!
寝れば治るんだった。
じゃあ、寝ることにします。
おやすみなさい。



居眠り

今日は早く日記を終わらせて、早く寝ることにしよう。

実は今日、午前3時まで日記を書いていたのがたたったらしく、売場でつい居眠りをしてしまった。
ところが、それをお客さんが見ていたらしく、ぼくに「あんたいいねえ。ここは居眠りする暇があるんやね」と皮肉を言ってきた。
ぼくはカッと目を見開いて、「いいえ、居眠りはしていません。目を瞑っていただけです」とゆっくりと悪びれずに答えた。
ぼくがあまりに堂々と言ったので、相手は「ああ、すいませんでした」と謝って立ち去って行った。

居眠りは得意だった。
小学生の時は、おしゃべりが忙しくて授業中に居眠りするようなことはなかったが、あまりしゃべらなくなった中学の頃は、しょっちゅう居眠りしていた。
そのつど見つかって叱られていたが、そのうち要領を得るようになり、いかにも授業を聞いているような寝方をマスターしていった。
右手でエンピツを持ち、ノートをとっているように見せ、左手で考える人のようにひじをつき、手でおでこを支えるようなポーズをとる。
視線の先に教科書がくるようにした。
傍から見れば「教科書を見ながら考えてノートをとっている図」になる。
この方法を見つけてからは、先生に見つかって叱られるようなことはなくなった。
しかし授業を聞いてないので、「じゃあ、今習ったところの小テストを行う」と言われると焦った。
授業を聞いても、教科書を読んでもないのだから、まったくわからない。
結局居残りさせられて、いつも「お前は真面目に机に向かっとるように見えるが、集中力がないんかのう」と小言を言われた。
当然、この小テストの延長にある中間・期末のテストの点はよくなかった。

高校に入ってからは、そんな小細工をやめ、堂々と居眠りするようになった。
2時間続けて数学がある時などは、2時間続けて居眠りをしていた。
先生も起きていたらうざいと思ったのか、そっと寝させてくれた。

同じ2年の頃、教壇の前の机、つまり前列の真ん中の奴が、リーダーの時間に居眠りをしていたことがある。
この位置は盲点なのか、居眠りしても見つかることはめったにない。
ぼくもこの位置に座っていたことがあるが、やはり見つからなかった。
しかし、ラグビー部顧問のこのリーダーの先生はそれを見逃さなかった。
突然、大声で「ばっかもーん」と言い、出席簿でそいつの頭を力いっぱい叩きつけた。
叩かれた本人は、何があったのかわからなかったらしく、寝ぼけ眼で周りをキョロキョロ見回していた。
その間抜け顔は今でもしっかりと覚えている。

さて、今日はあまりにも眠たかったので、「これではいかん」と思い、バックヤードで少し寝ることにした。
しかし、「さあ、寝るぞ!」と構えるとなかなか眠れない。
結局寝ないまま、また売場に戻った。
売場に戻ると、また眠たくなった。
こんなもんですね。



ロングホームルーム

高校の頃、ロングホームルーム(LHR)という時間があった。
生徒主体の時間で、下らんことをやっていた。
覚えているのは、2年の時にやったN君について語るものだった。
N君とは同級生で、学校はよく休むし、女たらしだし、クラスでは浮いた存在の男だった。
主旨は「N君の姿勢を正す」といったようなもので、要は吊るし上げだった。
「N君はどうしてクラスに溶け込まないのですか?」
「N君、学校に来て下さい」
「N君はいつもこうじゃないですか!」
「N君は、こういうところが悪いから直してください」
N君を嫌っていた人が中心になって発言していた。
中には、「ぼくは友だちとして言うけど」と前置きして、散々悪口を言っている奴もいた。
ただ、一方的にN君が攻められていたわけではなく、彼も応戦をしていた。
この「N君の姿勢を正す」は2週続けてやったが、結局はただ悪口を言い合っただけの中途半端なものに終わった。

LHRの定番に「Xへの手紙」というのがあった。
クラスのある人の名前が書かれた紙をランダムに渡され、その紙に書かれた名前の人に匿名で手紙を書いていくものだった。
ぼくがもらった手紙で印象に残っているのは、1年の時にもらった手紙だった。
「しんた君は変わってますね。人は付き合ってみないとわからないと言うけど、実際はどういう人なんだろう?・・・今彼女を探しているみたいですね。頑張って下さい」と書かれていた。
書いた人はだいたいわかっていた。
ぼくはその人を彼女にしたかったから、何かピンとくるものがあった。
友人もその手紙を見て「あいつやろう」と言っていた。
でも、そこから何も始まらなかったのが、今となっては悔やまれる。
2年の時にもらった手紙は、スキャンダルまがいのものだった。
「以前Yちゃん(当時ちょっと付き合った人。上の人とは違う)と一緒に帰るのを見かけましたが、その後Yちゃんとはどうなりましたか?」などと書かれていた。
Yちゃんと別れて、けっこう時間がたってからもらった手紙だった。
「馬鹿が。何を今頃言いよるんかのう」とあきれていた。

2年の時、実に下らんことをやった。
タイトルは「男と女、どちらが偉いか?」だった。
こういう内容になると、俄然張り切る女子がいた。
男子が発言するたびに、「それは違う!」と反論する。
最後には男子対俄然張り切る女の戦いになった。
あまりに馬鹿馬鹿しいものだったので、ぼくは議論に参加せず居眠りをしていた。
すると、議長が突然「しんた君はこのことについて、どう思いますか?」と言った。
ぼくは『おれに振るな』と思いながら、「こんなの、止めろうや」と言った。
議長もそう思っていたらしい。
結局この議論は、そこで打ち切りになった。

2年の初めに「このクラスをどういうクラスにしていきたいか?」というのがあった。
ぼくは「そんな計画立てても面白くない。行き当たりばったりやけ面白いんやん」と言った。
この発言について、担任や議長は反論していた。議長はぼくの意見を踏まえて、無理やり「みんなで意見を出し合い、計画性を持って楽しいクラスにしていきましょう」と言った。
じゃあ実際2年の3学期が終わった時点で、議長の言ったようなクラスになったかといえばそうではなく、ぼくが言ったように「計画性のない行き当たりばったりの楽しいクラス」になった。

そんな下らんロングホームルームだったが、ぼくは別に嫌いなわけではなかった。
なぜなら、その時間だけは授業がないからだ。
生徒主体だから、居眠りしても咎められない。
ぼくは授業はよくサボったが、LHRだけはサボったことがなかった。
今でもあの「Xへの手紙」だけはやりたいと思っている。



言葉の話

昨日の日記で、「ぎりぎり」という言葉がわからないという声が多数あったので、説明しておきます。
「ぎりぎり」とは「つむじ」のことです。
会社でいろんな人に聞いてみたのだが、半分くらいは知らなかったようだ。
でも、うちの母親は大阪出身なのだが、「大阪にいた頃も“ぎりぎり”と言っていた」と言っていたので、九州の方言ということでもなさそうだ。
ということは、おそらく「つむじ」の古い言い方なのだろう。

方言ではないけれど、その土地特有の言い方というのがある。
東京にいた頃のことだが、ある日友人と池袋の西武百貨店に行った。
その当時、西武の屋上の食堂に評判の料理があったので食べに行ったのだ。
ウエイトレスがオーダーを取りに来たので、その評判の料理とビールを頼んだ。
さらにウエイトレスが「他に何かご注文はありますか?」と聞いたので、ぼくが「何か、腹の太るものを下さい」と言った。
ウエイトレスと友人は声を揃えて、「え?」と言った。
北九州の方では「お腹いっぱいになる」ということを「腹が太る」と言う。(「ぎりぎり」と同じように、使わない人もいるかもしれないが)
しかし、これは方言ではないだろう。
どこに住んでいても日本人なら、よく考えればその意味はわかるはずだ。

逆に方言というのは、どう考えても意味が解せないものを言うのだと思う。
福岡県では「さっち」という言葉をよく使う。
「王監督は、さっちが鳥越にバンドをさせて、チャンスを潰すっちゃね」
わかりますか?
「さっち」とは「何かにつけ」とか「決まって」とかいう意味がある。
つまり上の文章は、
「王監督は、決まって鳥越にバンドをさせて、チャンスを潰すんだよ」という意味である。
この「さっち」というのは福岡の純粋な方言だと思う。
以前熊本の人に「熊本では“さっち”という言葉を使いますか?」と聞いたことがあるが、「なんですか?それ」と言われた。
お返しに、その人から「しんたさん、武者んよかですね」と言われた。
今度はこちらが「なんですか?それ」と聞く番だった。
「武者んよか」とは熊本の方言で、「かっこいい」という意味らしい。
「そういえば・・・」と、ダイエーホークスの松中選手が熊本のファンから、「武者んよかですね」と言われていたのを思い出した。
そこでぼくは「熊本の人は、さっちが“武者んよか”を使うんやね」と言ってやった。

柳川ではひな祭りの頃になると、「さげもん」という飾り付けをする。
ちょうどその頃に、川下りに行ったことがあるが、その時船頭さんがその「さげもん」なるものを見せてくれた。
天井から糸で飾り物を吊るしているのだ。
ぼくは、それを見て「さげもん」とは「下げ物」つまり下げた物であることがわかった。
「もの」と言うのをこちらでは「もん」という。
例えば、「わるもの」は「わるもん」である。
「さげもん」とか勿体つけるから、何か特別なものと思ってしまう。
下げた物だと知ると、実に味気のないものである。
せめて「下げ飾り」とかにしてもらいたかった。

沖縄に行った時に聞いた話だが、例の「うちなーぐち」は奈良時代の日本語に近いそうである。
そうであれば、沖縄の人が本土の人間を「やまとんちゅ」というのはおかしい。
沖縄の人も結局は「やまとんちゅ」じゃないか。
沖縄の開祖は鎮西八郎源為朝だというし、琉球王国の時代から文字はひらがなカタカナを使っていたわけだし、立派な「やまとんちゅ」ですよ。
しかし、中国が「沖縄は中国の神聖なる領土である」と言うのは解せませんな。

そういえば子供の頃よく「ぎったんはなふくき」と言っていた。
「うそついたら針千本飲ます」と同じような意味だったと思うが。
友だちと何か約束する時に、「ぎったんね」とかいうふうに使ったような覚えがある。
似たような言葉で「チック、タック」というのがあった。
大ぼら吹いたり、出来もしないような約束をすると、決まって「チックねー(そんなことある<出来る>わけないやろ、といった意味で)」と言って腕をつねる。
「タック」と言うまで離してもらえなかった。
そして、それがうそだったり、出来なかった時は、デコピンの刑が待っていた。
こんなこと、今の子供はしないだろう。
今の子なら、ターゲットはいつも同じ子になり、いじめに繋がるだろう。
ぼくたちの頃は平等だった。
それにしても、する奴はいつも決まっていた。



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